3章11話:天使のようなあなた
七日間だけ過ごした少年。
その姿を見るだけで泣きそうになるからやめて欲しい。どうか、これ以上フミーを苦しめない内にいなくなって欲しい。
だってその姿は、
「本物じゃ、ないんでしょう」
はっきりとその姿は見えるのに、今にも消えそうな曖昧さを孕んでいて、フミーが求めているものではないと告げている。
「フミーは、何を持って本物だと思うんだ?」
「だって、本物は……死んでる。灰になった」
フミーのリュックには、お守り代わりにしているカザミショーヤの灰が入った袋がある。間違いなく彼は焼死した。フミーの目の前でフミーのために。
「幽霊は本物じゃないと?」
「幽霊、なの?」
「どうだろう。森林が作り出した幻影かもしれないし、幽霊かもしれない。俺自身もよくわからないんだ」
曖昧で、いい加減だ。苛立ちを覚える。
「……アタシ、あなたともう話したくない。どっか行って」
目の前の存在から顔を背ける。
本物じゃないくせに、これ以上、フミーの心をかき乱さないで欲しい。
「ごめんな。君に俺は酷いことしたもんな」
「ちがっ……」
背けた顔をもう一度向ける。
勝手にフミーを救っておきながら勝手にいなくなってしまったことは酷いことだが、この場合それは関係ない。本物じゃないのに謝ってもらっても困る。
「俺を嫌っててもいいから俺についてきて欲しい。エルフの里まで案内してあげるからさ」
「……場所、わかるの?」
「うん。何故かわからないけど知ってる」
「……」
それが本当なら渡りに船だ。
フミーを探しているであろう父様のことは気掛かりだが、エルフの里ならば少なくとも安全性は確保されるはずである。仮面や木の枝に襲われるなどうんざりだ
それでも抵抗があり、受け入れるべきか悩んでいたが——
「歩きながら話そう」
「あっ」
結論を出すより先に、彼はフミーの手を引いて進み始めた。
「ちょっと! アタシまだ——」
文句を言おうとしたが、それは中断した。あることに気づいたからだ。
フミーの手を握っている彼の手。フミーよりは大きく、父様よりは小さい。そんな男の手だ。
その手は、温かかった。雪を溶かすような陽だまりのように。
突然手を掴まれびっくりしたが、なすがままに身を任せることにした。
どうしようもなくフミーの心をかき乱すが、悪い存在とは思えなかったから。
「父親のことが気掛かりだよな。彼なら疲労によりエルフの里で眠ってるから安心していいよ」
足を動かしながら、彼は振り返ってフミーを見る。
「ネオンとリーゼはわかる?」
「ネオンもエルフの里だな。リーゼは、森林の中の一箇所でじっとしてる。みんな無事さ」
「……あなたは、どこまで知ってるの?」
みんな無事で、しかも父様とネオンはエルフの里に着いている。その情報は喜ばしいことであったが、それ以上に不可解さが深まる。何故そこまで知っているのか。
「相変わらず質問が多いな」
「答えられない?」
「本当に俺もよくわからないんだ。色んなものが入ってるというか」
「色んなもの……」
男は眉を下げて困った顔を作る。
「俺の記憶もあるのにフミーの記憶もある。知らない人の記憶もあるし、ゲームみたいに森林地帯のマップも入っててどこを通れば魔物とエンカウントするのかもなんとなくわかる」
「……」
「だからかな、俺も俺が風見翔也ってあんまり思えないんだ。——でも、俺の一部は間違いなく風見翔也だよ」
それを聞いた時、握られた手の指先に思わず力が入る。
見た目も声もカザミショーヤなこの少年。だからこそ、纏う雰囲気の違いが不自然で拒否感が強いものだった。
そして、その感覚は当然だったのだ。
彼の言う通り、一部が間違いなくカザミショーヤならば、逆にいえばそれ以外は不確かなものということ。カザミショーヤではないものが入った不完全なカザミショーヤだ。拒否感も当たり前。
それとも、彼の一部に再会できたことをフミーは喜ぶべきだろうか。
いいや、違う。
「アタシが会いたかったのはあなたじゃない」
一部は一部でしかない。数ある構成要素の一つの状態を喜ぶべきではない。
フミーは求めるべきは、そんなささやかな再会ではなく、求めているのは本物の、フミーを救ってくれたカザミショーヤだ。混ざり合ったよくわからない存在ではない。
青が赤と混ざれば紫になるように、混ざればそれは本来の形とは違うものだ。
何より、本物のカザミショーヤにそぐわない部分が多すぎる。例えば、話し方だったりフミーを見る目だったりだ。それは致命的である。
「……うん」
フミーを見つめる目を細めて弱々しく微笑む男の顔に、胸を小さい針で刺されたような痛みが走る。突き放したのは自分であるというのに。
その気まずさから目を背けるべく、俯いて話題転換をすることにした。
「エルフの里まであとどれくらい?」
もうすでに結構歩いているはずだが、父様とネオンに合流したいところだし早く着きたい。
「3時間くらい」
「そんなに……?」
「フミーが木の枝から逃げてる内に大分奥まで来ちゃったし、魔物とか危険を避けて通るとなるとその分回り道になるからな」
——と、説明されるが、体力があまりないフミーがそんなに歩き続けられるか不安である。途中で休憩を所望したい。
「着く前に俺が消えたらごめんな」
「……」
フミーが途中の休憩について提案するより先に男はそんなことを言い出した。
「やっぱり消えるんだ」
「ああ。日が昇ってくるとダメみたいだ」
「どうして?」
「どうしてって言われても、それもなんとなくだな。……ただまぁ、月光って古来から色んな力があるとか信じられてるわけじゃん。そういうことなんだろう」
男はフミーの問いに月を見上げながら答えた。つられてフミーも見上げる。
夜空にポツンと浮かぶ月は、欠けていた。
月へ視線を向けたまま、フミーたちは歩く。ただでさえ手を繋いでいるというのに、前を見ずに歩くなど危ない。片方が転んだら巻き添えだ。だけれど、欠けた月に親しみを覚えてしまって目を離せない。
「なぁ、フミー」
「何?」
視線を変えないまま、そばにいる男は名前を呼ぶ。
「俺が——風見翔也が、生き返った時、質問して欲しい。この時間のことが記憶にあるかどうか」
「……それ、意味ある?」
「それもそうか」
わざわざフミーが質問しなくとも有る時はある、無い時はない。
そして、フミーの予測では記憶は無いはずだ。
その理由としては、彼の正体を不思議な森林が見せた幻影としてフミーは認識しているからだ。一部がカザミショーヤと言う彼だれれど、この場所について詳しいのはこの場所で作られた存在だと思うからだ。
幽霊という可能性はないはず。数ヶ月前フミーが幽閉されていた部屋でカザミショーヤは死んだのに、今になってこの場所で現れるなど不可解だ。手が温かいというのもイメージに反する。
——などと考えている時だ。
遠くで音が聞こえた。それは、つい何十分か前に聞いたものである。
「この太鼓の音は何?」
月から視線を移し、辺りをキョロキョロと見渡す。
そう、太鼓の音。木の枝に追いかけられる前に聞いたその音がまた聞こえてきたのだ。
「この森林地帯に住んでるある部族のものだな。エルフの里の人たちじゃなくてね」
「エルフの里以外にもやっぱり住処があるんだ」
事前に本で調べた際に得ていた情報ではある。その詳細は不明瞭なため半信半疑だったが、本当のようだ。
「でも奴らに見つかったらフミーなんて食べられてちゃうぞ」
「からかわないでよ」
「いやマジで。派手に森林伐採したとか知られたら生きて帰れねぇよ」
「え」
落ち着いたトーンで話す彼はフミーをからかっているようには見えない。
急に体温が1度下がった気がした。
「そもそも派手に森林伐採した『メヴィ・ソラシア』を教えたの俺なんだがな」
「なっ!!!」
「しー……。声出すと見つかる」
人差し指を口に当ててジェスチャーする彼の言葉にフミーは咄嗟に口を抑えた。
それから、彼の耳へ口を寄せて小声で話す。
「アレは間違いなくあなたの声じゃなかったよ……! 女の人の声!」
あの時、囁いて呪文を教えたのは優しい天使のような声だった。呪文の一言しか聞いていないが、あの声が彼の声と違うことはわかる。
「…………」
「……何?」
何も答えずじっとフミーを見つめられ、フミーは首を傾げる。
「耳元で喋られるとこそばゆい」
「じゃあどすればいいの!」
声出すと見つかると言うから気をつけた結果であるのに。
しかし、頬を膨ら眉間に皺を寄せるフミーなど気にせず彼は足を止めた。
「——ねぇ、フミー。たまには俺から質問してもいい?」
そして、手を握ったままフミーに正面から向き合う。
「……何かな」
「目を瞑って」
「それ質問? まぁ、いいけどそれくらい」
指示に従い、目を瞑った。
まさかその隙にフミーを置いてどこかに行くとは思いたくないが、なんだか緊張してしまう。
「フミー」
「——わっ!」
予想外の感覚に思わず声を出してしまった。
「目、開けないでね」
体を温かく包み込まれる感覚があるのだ。
目を開けなくとも、正面から抱きしめられていることがわかった。
「フミーはさ」
目を閉じているのだから視覚からの情報は得られない。おかげで意識が耳に集中し、耳元で話す彼の声がくすぐったい。
なるほど。さっきの彼もこんな感覚だったのか。
「風見翔也を生き返らせるためなら誰かを殺せる?」
そのまま、質問を投げかけてきた。
「うん」
フミーは迷いなく答える。
ドットルーパの元へ面会に行った時だったか、前にも似たようなことは考えたことがあった。その時はこんなにはっきりとした答えを出せなかったと記憶している。
けれど、今は違った。
人を殺したこともないが、そんなのは嫌だが、カザミショーヤのためならできる自分でありたいと思う。
それに、最後までやり遂げるとネオンに誓ってある。カザミショーヤが生き返せないなんてことは、絶対あってはいけない。
ネオンはフミーが成し遂げるためならなんでもすると言ったのに、フミーがなんでもできなくてどうする。
「でも」
だが、フミーの言葉は続く。
「それは、最終手段だよ。本当にそれしかないならそうするけど、フミーの寿命はいっぱいあるんだから他の方法を探してからでも遅くない」
カザミショーヤを生き返らせるのが一番目指すところだが、一つの目標以外に何も目を向けなくなるのは危ういことだと父様に言われてあった。
人を殺すのは嫌というフミーの感情も見るべきなのだ。
それからでも遅くない。何のための長寿だ。
「じゃあ、生き返らせるために自分の寿命を差し出したりもできる?」
続けて、フミーは質問される。
「うん」
それにも、迷いなく答える。
カザミショーヤと一緒に過ごす分として少し残して全て差し出してもいい。それで生き返るのなら喜んでやる。
カザミショーヤは普通の人間。フミーが長く生きれたところで共に過ごすことにはどうやっても限界があることだし。
「……なんというか、特別面白い答えじゃないな」
「質問しておいて酷い」
「人間らしくていいと思うけどね」
人間らしいとはこれいかに。
「それから、『メヴィ・ソラシア』についてだけど、広範囲高威力な技な分、自身もダメージ受けるようになってるから頑張って応用して使って欲しい」
「う、うん」
急に話が変わって戸惑うが、取り敢えずフミーは頷く。
「この道を真っ直ぐ行ってすぐのところにエルフの里に向かっている人物がいるからその人に後はついていくこと」
「え?」
「じゃあ、頑張ってね」
急に何を言い出したのかと思えば、額に何かが触れる感触がした。その次の瞬間には、フミーを包んでいた温かさは消え失せる。
目を開ければ、そこに誰の姿もなく、フミーが一人突っ立ってるだけだった。
目を瞑る前ともう一つ違う点を挙げるなら、霧が完全に晴れていることだろうか。
「……」
自分の額に触りながら、彼が消えたことを悟る。呆気なく、跡形もなくいなくなったのだ。
「まだ、日は昇ってないよ」
そう呟きながら、足を前へ進める。言われた通り、真っ直ぐに。僅かな喪失感を抱えながら。
さっきまで近くにいた人物が消えるというのは、切なさをどうやっても植え付けるものだった。
頬を撫でる風はそんなフミーを慰めるようであり、それに心地よさを感じながら足を早める。傷口も撫でられヒリヒリとするが、それもまた、心地よさをもたらすものだった。
「——!」
霧が完全に晴れたおかげで100メートルくらい離れていてもその人影をしっかり認識できた。
あれが彼の言っていたエルフの里に向かっている人物だろう。
黒髪で暗めの緑色のマントを身にまとっていることが見える。
「お——っぎゃ!!」
おーい。そう声をかけようとした瞬間、木の根っこに引っかかり盛大に転んで顔から地面に突っ込んだ。
「いたた……」
顔は擦れ、口の中には土が入って最悪だ。
「あ」
そんな自分の前に人が立っていることに気づいた。
「大丈夫!? 凄いボロボロじゃない!」
その人はしゃがんで、白いハンカチで土のついたフミーの顔を優しく拭う。眉を寄せて心配そうにフミーの顔を見ていた。
鈴を転がすような声をし、エルフの特徴である長い耳をした女性だった。




