3章7話:追いかけっこの終幕
霧の中から現れる能面。老人の顔の仮面であり、ネオンたちとの分断のきっかけになった女の顔の能面とは同一個体には見えない。
だが、それと同じような背筋がゾワっとなる禍々しさはあった。同種の存在と見て間違いない。
「父様、アタシ…魔法使いすぎて動けないかも」
「大丈夫。僕が動けるから」
そう言って、大量を激しく消耗していたフミーを軽々しく持ち上げて抱える。
そのまますぐにその場から退避した。
走って、走って、飛び越えて、距離を取る父様。フミーの長い髪は激しく靡く。
しかし、能面も同じスピードで追ってくる。
霧により視界が狭い中、必死にフミーを抱える父様は逃げるも、それでも追ってくる。
途中、隙を見て父様が魔法攻撃をするも意に返さず、ひたすらに付き纏った。
そんな中、太陽は完全に落ちて辺りは暗くなり、視界はさらに悪くなる。
「はぁっ……はぁっ……」
「キュ、キュ、キュタ、キュタタ——」
30分ほど走っただろうか。流石の父様でも息が切れ始め、スピードが落ち始めている。一方、相手に疲れた様子はない。スピードは落ちていない。
「くっ……、このままだと追いつかれる!」
「ねぇ、父様! どこかに隠れよう! ——ほら、ちょうど洞穴っぽいのがそこに!」
暗い霧のかかった中、微かにそれは見えたそれをフミーは指差した。
「……うん」
フミーの言葉に従い、父様はそこへ急ぐ。そして、フミーをそこに降ろした。
「当たりに生物の気配は感じない。この辺りは安全なはず。だから、——フミーはここにいてくれ」
「え?」
「あれを引きつけて撒いてくる。ランタンを持ってるだろう。暗いと怖いだろうしフミーはそれを灯して待っていてくれ。それを目印にして僕は戻ってくるから」
「——っ! 父様も一緒にっ!!」
呼び止めるフミーの声も聞かず、父様は背を向けた。
伸ばした手は父様の上着を掠めるだけで掴むことはできない。
「父様!!」
「ごめんね」
一言だけ謝って父様は霧の中へ消えていく。
「待って! 父様、……父様っ!」
未練がましく手を伸ばし続けた。とっくに離れた距離は、それで縮まるはずがなくても。
「……」
洞穴の中から霧を穴が開きそうなほど見るしかできない。
走って追いかけたいが、体力が消耗していてそれもできない。
「また……」
置いていかれた。
呆気なく一人取り残されている。
父様がフミーを思ってのことだというのは知っている。それでも、無惨にフミーの心を傷つけるものだった。決して父様に言えやことだが。
「もっと、力があれば……」
小さな掌で小さな顔を覆い、歯を食いしばる。
例えば、ネオンくらいの力があれば、父様に置いてかれないだろうか。
隣にもっといられるだろうか。
「強くなりたいな」
弱い自分は嫌いだから、そう渇望する。
「…………」
顔を覆っていた掌を下げ、深呼吸をし呼吸を整える。そして、自分の両手を見つめた。
今やるべきことは落ち込むことではない。自己嫌悪や反省など後にするべきだ。父様に言われたことをやらなければ。
そう思いランプを取り出して火をつける。マッチもあるが、魔法を使って火のつけた。フミーの炎魔法の使いどころはこんな時くらいしかないだろうから。
「父様、早く帰ってこないかな……」
ランプの光を瞳にゆらゆらと映しながら呟く。
洞穴を照らすその光を見ていると、疲れも相まって眠ってしまいそうだ。
「寝ちゃ、だめ。……寝ちゃ……」
首を振って眠気を覚そうとするも、眠気は飛んでいかない。
意識が水上でぷかぷか浮かぶように揺れて、揺れて、沈みそうだった。その水上から抜け出そうとすればするほど、抗うほどに引っ張られる。
「だめ、だ……」
森林が誘う眠りへ、抵抗虚しく沈んでいくフミーだった。
———
追いかけっこ、そう聞けば幼子が遊んでいる光景が思い浮かぶかもしれない。だが、能面とアヤートが織りなすものはそんな愛らしいものではなかった。
能面に追いかけられながら1キロほど駆けてフミーのいる洞穴から遠ざける。
その間、成人男性サイズの大きな氷柱を打ち込んでみたり、風の刃を降らせてみたり、そんなアヤートが得意とする『魔法』で小器用に攻撃していた。周りに人がいては使えないような派手な魔法も試していた。
撒けるか倒すかできればよかったがそれは叶わず、能面は傷一つなく未だ目の前に健在している。
そうなった以上、そこからが本番だ。
アヤートは立ち止まり、振り返って能面を正面に見る。そうすれば、能面も立ち止まった。逃げるのを諦め、観念したと思われたのかもしれない。
「魔法耐性があるみたいだね、君」
向かい合った能面へ、これまでのことで確信できたことをアヤートは話すも、返事はない。相変わらず異音を発するだけだ。きっと言葉を理解していないのだろう。
「物理耐性は……どうなんだい?」
返答がないであろうことは承知した上で、アヤートは問いかける。独り言みたいだ。
物理耐性を確かめるなら蹴るなり殴るなりしてみればいいことだが、アヤートはしなかった。
不用意に接近したくないためだが、それは警戒というよりアヤート個人の嫌悪感からだ。アヤートは能面には嫌な思い出がある。
じゃあ、どうするのか。
ネオンのように石を投げてみるのもいいが、アヤートは他の方法を試すことにしていた。
撒けなくても倒せなくても対処の仕様はある。
「…………」
アヤートは瞳を閉じ、意識を研ぎ澄ませる。
これは集中力を必要のするため、フミーがいてはできなかったことだ。自分の娘がいてはどうしても意識を割いてしまうから。
「キュ、キュ、キュタ、キュタタ——」
ケタケタと笑うように異音を発する能面へ掌を向け、意識を集中させる。そんなアヤートを気にせず、能面はアヤートとの距離をじわじわと詰めてくる。追いかけっこをしていた時のスピードが嘘のようにゆっくりと、ゆっくりと。
「———」
歩幅一歩分ほどの距離になった時、能面を中心に立方体ができるかのように光輝く。すれば、冷気を纏いながら氷の箱が形成された。能面がスッポリ入るほどの箱だ。
「出てこられないだろう。しばらくそうしているといい」
地面へ転がる箱を見つめながらアヤートは言い捨てる。
アヤートによって生成させた氷の箱へ能面さ閉じ込められたのだ。あっけなく、動きも視界も封じられた。
動く物体へ照準を合わせてそんな芸当をするには、熟練された技術とセンス、極限の集中が必要である。その全ての条件を揃えての魔法だった。
これにより、氷が溶けるまでの数時間は足止めができる。余分すぎる時間だ。
コツン、コツンと能面がもがく音が聞こえるが、アヤートは気にせずその場を去った。
能面に追われていた時と同じくらいのスピードを出しながら地面を蹴り、フミーのところへ彼は急ぐ。
自分の足跡を頼りに進めば、霧の中で灯る光がアヤートの目に映る。それは、洞穴の入り口を照らすランタンだ。
それへ安堵の表情を浮かべるも、すぐにそれは崩れる。じとっとした空気が肌を舐め、嫌な汗が体を伝う。
「……フミー?」
ざわざわと喚く心を一旦縛り、呼びかけて洞穴に声を響かせるも返事はない。ほしい声は、ない。
再び、その洞穴へアヤートはたどり着いた。フミーの元を離れ戻ってくるまで10分もかかっていない。それだけ早く終わらせてきた。迷わずに戻ってこれた。
だというのに、ランタンを残してその少女の姿は見当たらない。
「父様!」と呼んでくれるはずの声はなく、洞穴の奥から水の滴る音がただ聞こえるだけだった。




