2章11話:フミーとネオン
思う存分日記を書いてから就寝したフミーだが、太陽が登らぬうちに目が覚めてしまった。
部屋に飾られていた時計を確認すれば、時刻は午前3時15分。起きるには早過ぎるが、それでもベットを抜け出した。
何か目的があるのではなく、なんとなく歩きたかっただけだ。
リーゼと研究所を歩き回り構造を覚えてきているので、迷子になることもないだろう。
「あっ、ネオン」
「起きてたんですか、フミー」
就寝していた部屋からしばらく歩いた廊下の先、長椅子が置いてあるのだが、そこにネオンは座っていた。
「目、覚めちゃって……」
「私の方はリクに睡眠をとってもらっている間、手持ち無沙汰で……」
「話し相手になろうか」
「眠くありません?」
「大丈夫!」
胸を叩き自信満々に返事をすれば、ネオンは薄く微笑んだ。
その反応に肩をすくませ満足し、ネオンの隣へ座る。
「リーゼがね、いつまで警備隊の人たち森にいるんだろうってぼやいてたよ」
「ああ、当分はいるでしょうね。リクが捕まってた場所はあくまでドットルーパの根城でしかなく、他の再結成を企む輩の根城がこの森のどこかにまだあるかもしれませんから」
「警備隊の人って真面目でよく働いててすごいね。……昨日、隊長さんに会ったんだけど見るからに強そうでカッコよかったし」
「へぇ、その人元気にしてました?」
「うん。元気だったと思うけど……知り合いなの?」
夕食の際に王都での出来事は話したが、それ以外は話していなかったので、隊長さんと会ったことを話したのは初めてだった。
問いかけにネオンは、何かを回想するように宙を見上げる。
「組織を壊滅させた時に協力し合った仲ですよ。当時、私は他人にさほど関心がありませんでしたが、戦場に似つかわしくない幼い子供だったので印象深いです」
「その時から隊長さん?」
「いえ、一般隊員でした」
どの道、幼い頃から戦いに身を置いていたことには違いない。だから、あんなに凛々しい瞳をしているのかとフミーは少し納得する。
「ところでフミー、私たちが作業をしている間、どうやって過ごすのですか。また王都へ?」
「研究所の中でリーゼと遊んで過ごすよ」
「フミーはリーゼに凄く懐いていますよね」
「うん。家族みたいに思うことにした」
「そこまで……!? 出会って3日も経ってないのに」
それには、先ほど話には出た隊長さんとの会話が関係している。リーゼを自分色に二度と落ちないほど染め上げると誓ったから。
「……アタシ、父様に色んなことを教わった。あんまり覚えてないけど母様にもきっと。父様の真似っこしようとしたことも何度もある」
かけがえのない5歳までの記憶。
その中で色濃く映るのは家族との思い出だ。
「だからね、家族の影響って大きいと思うの」
リーゼにとってそんな存在になれたら嬉しい。
加えて、リーゼの影響も受けたいし、ネオンやリクとも影響し合いたい。
家族を宣言したのはリーゼのみだが、そうやって誕生する他人との繋がりを、積極的に欲しがるのがフミーなのだった。
「……私に家族はいないけど、リクの話を聞く限りそういうものでしょうね」
ネオンのその感想に、フミーは首を傾げる。
「ネオ・ハクターは? 生みの親じゃん」
「…………え、た、……確かに、生みの親に違いないけど、家族ではない、ですよ」
フミーの発言はまるで予想だにしていなかったように、辿々しく否定した。
そんなに変なことを言っただろうか。
視線を彷徨わせネオンが動揺しているのを見る限り、言ったのかもしれない。
「ネオ・ハクターは私のことを家族だと思っていないし……」
「そうなの?」
「いや、直接言われたわけじゃないけど、でも……」
「じゃあ、家族だと思われてた可能性もあるよ。一緒に住んでたりした?」
「それは……はい。——けど、やっぱり違いますよ! そんな関係じゃなくて、もっとこう……」
宙でワキワキと指を動かし眉間にシワを寄せながら、ネオンは言葉を探す。だが、ネオンが見つける前にフミーが口を開く。
「じゃあさ、ネオ・ハクターともっと一緒にいたかったって思う?」
「———」
母様とも、父様とも、もちろんカザミショーヤとも、もっと一緒にいたかったと心から思う。
ネオンもネオ・ハクターに対しそうなら、家族であったかはどうあれ、大切な存在には違いない。
そして、その答えは——
「フミー」
一度瞬きしてから、ネオンはフミーへ向き直る。
「ありがとうございます。思い出しました」
その声はわずかに震えているが、さっきまでの辿々しさはない。
感謝を述べるネオンは、瞳が濡れているわけでもないのに泣き笑いの顔かと一瞬勘違いしそうだった。
それほど、彼女が切なげに見えたのだ。
「ネオン……?」
「ネオ・ハクターともっと一緒にいたかった……うん、そう、その通りです。——フミー、あなたは凄いですね」
「よくわからないけど、ありがとう……」
何故、そんなに嬉しそうで悲しそうな顔をしているのか、そこには複雑な感情が隠れていそうで、フミーには予測できない。
「ちゃんと落ち着いてからでいいから、教えてよ」
「はい。…………落ち着きました」
大きく深呼吸し、ネオンは息を整えた。一昨日、リクがいないと分かった時もそうしていた気がする。あとドットルーパーと相対していた時も。
「とはいえ、なんてことないですよ。憎くて嫌いだった相手のことも、最初は好きだったってことを思い出したんです」
「憎くて嫌い……ネオ・ハクターが?」
反芻するフミーにネオンは苦笑いをする。
「理由はあまり語りたくないですが、そうなる前は彼女の期待に答えたくて役目を全うしようとしてました。今の今まで、それも忘れていましたけど」
どこかを見つめるその眼差には寂しげである。
いつまで経っても父様も母様も好きだ。カザミショーヤのことも絶対そうだ。
好きであったはずの相手が嫌いになることなど、経験したことがない。
でもそれは、フミーの人生経験が足りないからなんだろうか。
これから先、広く人々と関わればそうなる相手も出てくるのか。あるいは、今好きな人たちの誰かを嫌いになる可能性。
「私は期待に答えられない自分が嫌いでした。今思うと、それに伴ってネオ・ハクターのことも嫌いになった気がします」
「———」
——自分が嫌い。
そう語るネオンの横顔を見れば胸が痛むが、同時に親近感があった。
ああ、そうだ。違う。フミーはもう経験していた。
——アタシは、自己嫌悪を経験していた。
自分を嫌いになっていた。
父様や母様に愛され育ち自尊心を育まれ、自分を愛していたのに、嫌いになっていた。
銀黒の魔女によって自分の弱さを目の当たりにし、消えてしまいたくなった。
隊長さんと誓い合ったり、花畑を見つけたりで緩和されいた傷を再び意識する。
胸の奥で疼く、その痛みを。
誰かじゃない。他ならぬ自分に、好きであったはずの自分に、嫌悪していた。
「……」
「フミー?」
黙りすぎたのか、心配そうにネオンが顔を覗いてくる。
今は、見ないで欲しかった。何も聞かないで欲しい。
「どうしたの?」
それなのに、どうして聞くの。
いや、そうか。フミーがこれまでしてきたことだからか。
やられたことは帰ってくると父様も言っていた。だから、されたら嫌なことはするなと。
それは守ってきたはずだ。普段なら、聞かれることは好きだ。自分に興味を持ってもらってる証拠だから。
でも、今は聞かないで欲しい。フミーが自分のことを嫌いになったことなど、言いたくないし、知られたくない。
バレてしまえば、もっと自分を嫌いになりそうだから。
「……ネオンは、今は自分のこと、好き?」
目も合わせないまま、彼女に問う。
これ以上追及される前に、自分が質問する側へ。加え、それは単純に知りたかった。
「前の自分よりは好きだよ。でも、嫌いなとこもあるから、もっと好きになれるように頑張りたいってとこですね」
「どうして、前よりも好きになれたの?」
それがわかれば、フミーも参考にできる。
「……。それを言わせるんですか」
ジトっとした目を向けてくるネオン。
聞いてはいけない質問だったのかと謝る前に、ネオンは勢いよく立ち上がった。
そして、座っているフミーを紺色の瞳が見下ろす。
拳が入りそうなほど口を大きく開けて、ネオンは息を吸い込んだ。
「あなたが! なんて呼べばいいと聞いてくれたから! ネオンと名乗れたんです! リクに呼ばれるだけでも嬉しかったし自分を少し好きになれたけど、それでもあの時、あなたがネオ・ハクターでもコピー人形でもないと、当たり前のように言ってくれてどれほど救われたかわかりますか!?」
必死に、真摯に、叫んだ。
間違いなくネオン史上一番の声量はフミーの内側まで響く。
まるで激励のようで、フミーの心が奮い立つ一方、フミーの内情を全て見抜かれていたかのようで恥ずかしい。
「ネオン」
肩で息をするあなたの名前を呼ぶ。
「今ので少し、自分を好きなったよ」
「なら、よかった」
「ネオンのことももっと好きになったよ」
「……ふーん」
金髪を揺らし、ネオンが落ち着かなそうにしていると、駆けてくる足音が聞こえた。
「大声聞こえてきたけど、なんかあったか?」
寝癖をつけたままのリーゼがやってきた。
「リーゼも起きたことだし、三人でお話ができるね!」
「え、何の話」
フミーが呼びかけリーゼが困惑する。
「あなたは自分のことが好きでも嫌いでもなさそう」
「褒めてんのか貶してんのかわかんねぇな。当たってるけどよ……」
リーゼを見据えながらのネオンの発言にツッコミながら、リーゼはフミーの隣に座る。
「てか今4時前だぞ。何やってんだお前ら」
「雑談です。リーゼも起きてきた以上混ざってもらいます」
「まだ眠いんだけど!?」
「テーマ決めていいですよ」
「えーと、じゃあ紅茶について」
リーゼの絶妙なテーマ選択のおかげか、三人の雑談は大いに盛り上がった。