2章10話:コピー人形
「私が、君を作り出さずにあの扉と向き合っていれば、今頃あの子は外に出られていたかもしれない」
「……」
「君の誕生を否定しているわけでも、責めてるわけでもないよ。ただ、諦めるのが早かったかなって」
「……」
「君には役目に務めてもらうための付与魔法がかかっているけれど、役目を終えてからは自由だ。大丈夫、私よりも優れている君ならすぐ成し遂げられるよ」
「……はい」
これは、100年以上も前の会話だ。
チョジュラス家指南役であり技術者であるネオ・ハクターと、彼女の記憶、頭脳、能力、また、それ以上の肉体を兼ね備えていたコピー人形との会話にも満たない会話。役目を託す側と託される側のものだ。
しかし、託された側そのコピー人形は託した側のネオ・ハクターの期待を裏切り、役目を果たすまで100年以上もかかることになる。
それもそのはず、途中からは役目が嫌になっていたからだ。
最初は、託されたものを成し遂げようと必死になっていた。それでも、一歩も進むことなく時間が過ぎていく。
なのに、役目は自由になることを許さない。逃げることを許さない。
ただのコピー人形がコピー元から外れることなど、許さない。
そうして劣等感に冒されながら、暗闇を走るようにもがいてもがいて、息を切らして、迷走して、大切な人に出会って、ようやく果たせた役目。
それを果たすことさえできればよかったはずなのに、喜び一色の感情にはならなかった。
だって——
———
赤ん坊の爪よりも小さな欠片を積み重ねるような作業だ。
リクの指示の元、パズルのように組み立ていくそれは、精密さを最も必要とする。
リクの能力はただ組み立て方がわかるだけであり、組み立てる技術は別問題だ。
だが、ネオ・ハクターの技術を受け継いでいるネオンには造作もないことであり、順調に進んでいる。
ふと、ネオンが横を見ればリクが呼吸が乱れていることに気づく。
ネオンが時計を確認すればもうすぐ深夜1時。いつのまにか日付が変わっていて、その間、休憩はしていなかった。
「リク、休みましょう」
「大丈夫だよ」
「……。私疲れました。もう無理です。休まないと限界です」
「なら、休もうか。ありがとうね」
リクは能力を使うために外していた手袋をつけた。休憩の合図だ。
人工的に作られた存在であるネオンは、疲労はほとんど感じないし睡眠も必要ない。
反して、リクの能力は反動が大きく長時間の使用は体を壊しかけない。
よってリクを慮っての泣き言だったが、その意図は筒抜けだった。
普段あまり鋭くはないのに、このような時は鈍感性を発揮しない。あるいは、ネオンがわかりやすすぎるというのもある。
「やっぱり、一カ月近くはかかりそうですね」
「なるべく早く再会させてあげたいところだけどね」
ブヨブヨとしたゼリーのような緑色の物体が巨大なビーカーへ入り、床へ置かれてある。
それを作業を中断した二人は見つめながら神妙な面持ちをする。
元々普通サイズのビーカーに入っていたが、フミーの血を混ぜることにより膨張し何倍ものサイズのビーカーへ入れることになった。だがそれも必要な過程だった。
薬とも形容できるその物体は、近しい魂の者を蘇生できる物だ。
それだけではない。
フミーの父親が実験によって変容した成れの果てでありながら、魂は未だ留り生きている存在。
『生きている』の定義によっては外れたものかもしれないが、リクがそう表した以上そうなのだとネオンは疑っていない。
よって、行われているのは死者蘇生ではなく復元と二人の間で定義してある。
だが、フミーはこの事実を知らない。
父親が原型を残さず無惨な姿で生き続けていることを風見翔也は話していないからだ。
ネオンの記憶を共有されしネオ・ハクターから風見翔也へは伝えたが、風見翔也からフミーへ話されていないことだった。
ネオンはそれを察していたが、わざわざ伝えることはしなかった。
自分の役割はそれではないと理解しているから。
フミーの父親が復活したとしても、その話を自分の娘にすることはない。よってフミーは今後一生その事実を知ることはないだろう。
例え、フミーがこの薬で風見翔也を生き返らせる選択をしていたとしても同様だ。
「……。意識が消失しているのが、せめてもの救いかな」
「うん。……そうだね」
自分の本来の肉体が失われ、脳だけで浮かんでいるような状態なのだ。
喋れず、歩けず、視界はなく、匂いも感じられず、音も聴こえず。意識があったのなら、地獄以上の何でもない。肉体を復元したとしても心が壊れていては意味がない。
だから意識が失われた状態でよかったが、リクは別のことも考えていた。
このような状態になるまで、度重なる過酷な実験をされていたはずだと。
その中で消耗した精神はどれだけものなのか、どれだけの苦痛なのか。
——心は、もう壊れているのではないか。
復元したところでどのみち、フミーの知るフミーの父親には戻れないのではないか。
その場合、どうするべきか。
そんなことは、リクは口には出さなかった。本当にそうなら、その時考えればいいことで、悲観的な未来と過去を想像しても、未来は確定していないし、過去は確定している。ただそれだけの話だと自分の中で結論をつけて、リクは勢いよく立ち上がった。
「顔洗ってくる。その後、再開しよう」
「ええ、わかりました」
ネオンは洗面所へ向かうリクを見送る。そうなれば、彼女は部屋に一人となった。
一人になれば、ネオンを『ネオン』と定義づける相手はいない。自分だけだ。
だが、ネオ・ハクターのコピー人形であるった彼女は長年自分を定義できなかった。
コピーであるはずなのに、完全な模倣ができず、不完全で劣化品で役目もこなせない下位互換な存在。
ネオ・ハクターのはずなのにネオ・ハクターではない。
そんな自分の存在価値が揺らいでいた彼女に『ネオン』と名を与え、定義したのはリクだった。
リクが何度もその名を呼んだ。
そのリクに続き名前を呼び始めたのはフミーだ。その少女が名前を聞いてくれたから、ネオンは初めて『ネオン』を名乗れた。
あの時、正真正銘『ネオン』になったのだ。
だから、今のネオンは揺らがない。
揺らがないが、彼女は前の自分へ対して思うところはあった。
役目に囚われていたことだ。
縛り付けられた役目から解放されたいがあまり、時にから回って暴走して、自分のことしか考えられていなかった。
その罪に向き合い、反省はしなくてはならない。
彼女はこれから、『コピー人形』ではなく『ネオン』として生きるのだから。
「ただいま」
顔を洗いに行っていたリクが戻ってきた。その顔には雫が滴っていて、身につけたアシンメトリーの白衣には水が飛び散った跡がある。
勢いよく顔を洗ったことは明白でその絵面が想像できネオンは頬を緩める。
「まだ濡れてますよ」
部屋に設備されているタオルを取り出し、ネオンはリクの顔を拭いた。それに対し「ありがとう」とリクは礼を言う。
本人に言えやしないことだが、ネオンはそうやっていつも礼を言ってくれるリクを見ていると心が温かくなる。この感覚きっと大事なことだとネオンは自覚している。
そうやって顔を拭き終われば、リクは目の前の相手を見つめた。
「もう大丈夫だよ。再開しよう」
「ふふっ、私が疲れているから休憩したはずでしょう?」
「あ、そうだった」
顔を見合わせ、軽妙に笑い合ってから、作業を再開した。
復元までの時はそう遠くない。