2章9話:銀黒の男と吸血鬼の男
「あぁ……愛しい愛しいログライフ様」
銀髪の男は氷塊の中の女に恋慕を抱く。
その氷塊は触れたものを問答無用で凍らせてしまいそうなほどに冷たい。
それを男は知っている。
それでも躊躇なく触った。
まずは指先を触れさせ、それから撫でるように掌を這わせる。
もう片方を手も同様に。そうして巨大な氷塊を抱きしめるような形になれば、今度は頬をくっつけ、全身でその存在を感じようとする。
それが、ここに来る男のルーティンだ。
愛しい恋人を抱くようにも、母を求める子のようでもあった。
場所は王城地下、薄暗く光がない空間。
そこへ凍結し封印された女の名は——ログライフ。
かつて存在した組織『テーキット』のボスだ。
「気持ち悪い。いつまでやってるっすか〜?」
一連の流れを見ていた吸血鬼の男が、辛辣に苦言を呈す。
彼の名はドットルーパ。先ほどまで投獄されていた男だ。
何故その男がそこにいるのか。
——時は、数十分前。
「やあ、ドットルーパ。脱獄の手伝いに来たよ」
気だるげに囚人の時間を過ごしていたドットルーパへ、柵越しに気軽に挨拶をするのは銀髪の男だ。
全身黒ずくめの格好に加え、名前が広がっていないこともありその容姿から、『銀黒の魔女』と呼ばれている。
もっとも、長い時を生きるドットルーパは男の名を知っていた。
何故、名を騙りたがらないのかも。
男の名をドットルーパが呼ぶことは許されるだろうが、ほとんど呼ぶことはなかった。
男が名を呼ばれ喜ぶ相手は、たった一人だということを知っているから。
「オイラの部下も投獄されてるんで、あいつらを先に逃して欲しいっすね〜」
「そう言うと思って、先に安全な場所へ逃しておいたよ」
気が回る男である。
そうなれば抵抗する理由もなく、看守を戦闘不能にし鍵を盗んできた男の手によって、ドットルーパは再び自由の身になった。
「じゃあ、さっそくだけど一緒に来てもらうか」
「オイラは別に必要なくないっすか〜?」
「目覚める時に君がいた方いいだろう。息子じゃない」
「……どうでしょうかね」
曇るドットルーパの瞳はその親子間の複雑性を表している。
「行くならボクの手を取ってよ。肩でもいいけど」
差し出された手は無視し、男の華奢な肩に手を置く。
共にテレポートするために必要な手順だ。
「リリィ・シェア」
男が呪文を呟けば、一瞬にして景色が変わる。
王城の警備など面倒な道を飛躍して目的の場所へ辿り着いた。
——こうして、時は現在へ。
ようやく男は氷塊へ抱擁するのを止め、ドットルーパへ振り向く。
「ひでぇ様っすね〜」
「ドットルーパもやればいいじゃないか」
「オイラは痛いのは嫌っすよ〜」
ドットルーパがこう言うのも無理はない。
氷塊へ触れた代償に、男の表面は爛れていたからだ。
這わせた掌は破れ血が吹き出し、密着させた頬は皮が剥ぎ取られたようで、傷ひとつなかった綺麗な男の顔が見る影もない。
唯一、特注の服は綺麗に形を保っている。
ドットルーパは白けた目でその様を見るのに対し、その足元にいる黄色い小鬼は、隣にいるドットルーパのズボンの裾を掴みながら心配そうに男を見つめていた。
「見苦しいんで早く治したどうっすか〜」
「この痛みをもう少し刻んで味わっていたいんだ。それとも心配してくれるの?」
「オイラはどうでもいいっすよ〜」
そう言いながらドットルーパーが視線を足元へ落せば、男も釣られてそこを見る。
そうすれば、そこへいる黄色い小鬼と男の目が合い、見つめ合う時間ができる。
「おいで」
それは、その黄色い小鬼への言葉ではない。ブカブカした腕よりも長い服の袖を捲りながら、自らのコートへ向かって呼びかけているのだから。
腕時計を確認するかの如く、顔へ手首を近づける。
袖の中が蠢き、一体の小鬼が出てきた。緑色だ。
黄色い小鬼と同様に、心配そうな顔で男を見ている。
「今回は、早めに治してもらうとするよ」
その言葉に緑の小鬼はホッと息を吐くように安堵してから、男へ向かって手をかざす。
そうすれば、暖かな淡い光に男は包まれた。
——それは、癒しの力だ。
緑の小鬼の男を想う気持ちからもたらされる愛であり、献身だ。
故に、その回復能力は男へしか使えない。
ドットルーパだろうと、同胞である小鬼だろうと、自身であろうと、効果は発揮しない。
だが、それを緑の小鬼は不満に思うことはなかった。
「ありがとう」
数分の時を浪費し、男の傷と痛みは失われる。
そうやってお礼を言われ、緑の小鬼はニコリと笑顔を浮かべては、服の中へと戻っていく。
主人の役に立てるだけでいい。そんな健気で愚かな生物が小鬼なのだ。
黄色い小鬼もまた、傷が癒やされた主人に対し笑顔を浮かべる。
男はそんな小鬼の元へ、片膝を立てしゃがみ込み掌を差し出す。その差し出された掌へ乗り、いくつか言葉を交わしてから黄色い小鬼もまた、男の服の中へと入る。
「便利もんだな。まぁ、不老不死の吸血鬼が言えたもんじゃないっすね〜」
「珍しい。自虐かい?」
「そうそう。早く死にたいっすわ〜」
「そうだね。君のその願いのためにもまずは——」
ドットルーパと男は、巨大な氷塊を下から上まで眺める。
人間の生を研究していた組織『テーキット』の再結成が不可欠。また、それを束ねていた彼女の存在も必要なのだ。
「早くやってくださいっすよ〜」
「ああ、もちろん。——出番だよ」
先ほど緑の小鬼を呼び出した時のように、自身の服へ呼びかける男。
すると男の身につけた黒いローブの襟口から、今度は青い小鬼が現れる。
「試しに少し使ってみたんだけど、使い勝手が悪いんだよね。長期戦を覚悟する必要がある」
「待つのは得意のはずっすよ〜。オイラもあんたも」
「自虐に加えて皮肉とは。やるじゃん」
皮肉と受け取っているが、気さくにドットルーパを肘で突く男に気にした様子はない。
「君に便乗してボクも一つ自虐だけど、手土産を持ってき損ねたのが惜しい」
幽閉から解かれし長寿の少女を思い浮かべながら、男は目を細めるた。
「手土産……あんたのことだから100本の薔薇とかっすか〜?」
「ログライフ様の願いへ繋がるものだよ。貴重なサンプルになること間違いなしの」
吸血鬼を始め長命な種族は数多く存在する中、生粋の人間でありながら長い時を生きる者。
組織『テーキット』は、そんな長寿を血を持つ男を捕らえ度重なる実験を長年繰り返したことがある。
中には過激なものも含まれていたが、最終的に辿り着いた『結果』としては、ログライフが求めていたものに近づく一歩となった。
さらなる躍進を目指そうとした中、組織は壊滅させられ、希望の星であった『結果』である『薬』も研究所ごと奪われてある。
男は取り戻すことも考えたが、それよりも新しい被験者を用意することがプレゼントになり得ると判断した。
だが、ログライフの喜ぶ顔を想像しながら罠を張り、まんまと獲物が引っかかり、成功を確信していた男の幻想は砕け散っている。
「一度空間に引き込めれば負けなしのはずなのに」
銀黒の魔女の使い魔の一匹である赤い小鬼の能力。それは、触れた相手の意識をジャックするものだ。その際に見せるものは、トラウマから幸福な夢まで自由自在。
発動条件は小鬼が触れるだけなお手頃さに加え、一度支配したならば触れていなくてもいいため、赤い小鬼はすぐ逃げる手筈だった。
だが、何者かにそれは妨害され、赤い小鬼は致命傷を負い、能力を維持できなくなった。
「ボクの小鬼ちゃんを傷つけた奴、誰だろ。ネオ・ハクター?」
「あんたが狙ったのってフミーっすか〜?」
「そうそう。今日の夕方……いやもうすぐ昨日の夕方になる時間か」
「……」
ドットルーパは、フミーがリーゼと共に面会に来ていたことをすぐに思い出していた。
ログライフへ対する愛が大きいが、手下に愛着がない男ではない。リーゼのことを教えれば、報復を企むことは明らかだ。
しかし、元同僚のよしみかドットルーパは何も教えなかった。
「で、長話しちゃったけど、そろそろ始めないっすか〜?」
「今もう解析中だよ」
「マジっすか〜」
こうして二人が会話していた間にも、青い小鬼は氷塊へ触れ、コピーした能力を使っていた。
青い小鬼の能力。それは、頭に乗った相手の能力コピーできるものだ。触った物体の性質がわかる片目を持つリクの能力をコピーしてある。
「でーも、そろそろ限界みたいなんで休ませて、ここまでの解析結果を元に少し解除しましょうか」
「まだ途中なんでしょうに。できるっすか〜?」
「分厚い分厚い重ねがけされた封印用の付与魔法、その表面だけね」
能力を使った青い小鬼は肩に乗せて休ませ、男は氷塊の前へ立つ。
「ドットルーパはボクの反対側へ行って。この小鬼ちゃんによると、まずはそこを同時攻撃だよ」
「素手で攻撃したらオイラの手ヤバくないっすか〜?」
「使えなくなったら切り落としてあげるよ。君、生えてくるでしょ」
「ひどい。痛いのは嫌っすよ〜」
「なるべく痛くないように綺麗やったげるよ」
魔法が使えないドットルーパの攻撃手段は素手かナイフだ。だが、ナイフは現在持っていない。看守が持っているのか、はたまたネオ・ハクターの元か、もしくは野草に放置か、それすらもドットルーパはわからない。実際はフミーが研究所内に保管しているのだが、そんなことは当然知るよしもなかった。
「せーのでいくよ」
「了解っすよ〜」
「せーのっ!」
パリンッ!!
巨大なガラスが弾けたような、けたたましい音が鳴り響く。
王城を警備する近衛兵へ聞こえたのではないかと二人は顔を見合わせたが、こちらへ向かう足音は聞こえず。
「セーフみたいっすね〜」
「一応、防音結界張っとくよ」
銀髪をはためかせながら、男は結果を展開した。
「これでよし、次は……この下の部分の一点を炎魔法で突くと」
言葉にした通りに男がすれば、今度は地響きのような音が響いた。
結界を展開してるため、音が漏れる心配はない。
「こんな感じで繰り返してて、徐々に封印を解いていくことになるね」
「具体的にどれくらいかかりそうっすか〜」
「小鬼ちゃんに限界まで頑張らせたとしても、一週間以上はかかるね。限界まで頑張らせたくはないし、となると一カ月近くなりそう」
「帰っていいっすか〜」
ドットルーパは不満の声を漏らすが、結局その場へ残り、封印解除の協力をすることになる。
解凍までの時はそう遠くない。