2章7話:少女と女
花畑を抜けて、研究所の前へ辿り着く。
リーゼはしっかりフミーを送り届けた。
「リーゼはこれからどうするの?」
「王都に戻って宿屋借りるわ。警備隊の奴らまだ彷徨いてやがるし、そんなとこで寝てたら夢見がわりぃ」
苦そうに舌を出し、肩をすくめるリーゼ。
「そう……ここに泊まって欲しかったんだけどなぁ」
「あぁ……?」
「ネオンとリクは忙しいし、リーゼがいたら楽しいかなって」
「かっ。ネオ・ハクターがいるとこで寝るとかさらに夢見がわりぃよ」
軽く片手を上げ、リーゼは帰ろうとする。引き止めようと、
「リーゼ!」
「おわっ!」
名前を呼びながら腰に抱きついた。
フミーの腕にすっぽり入るほどに細い。
「じゃ、最後に一つ! えーと……なんで今日、アタシを連れ出したの?」
「なんだ、急に!」
質問はなんでもいい。ただ、別れが惜しかったから、少し待って欲しかっただけだ。
「理由とかねぇよ、気まぐれだ! ええい、離せ! 騒いで警備隊の奴ら来たらどーすんだ!」
曲がりなりにも答えを貰った以上、仕方なく引き剥がされる。
フミーのせいで歪んだ服を整え、リーゼは今度こそ別れの背中を向けた。
「……いや、一人じゃつまんねーからかもな」
「ふーん、わかるよ!」
ボソリと付け加えるように呟やいたリーゼの声に共感を示す。
背中しか見えないから、どんな表情をしているのかわからないのがもどかしい。
その背中が、一歩進むたび、遠のいていく。
見えなくなるまで、いいや、見えなくなっても見続けていた。
それも、中断される。
「ん!」
自分の額に、突如冷たい感触がしたのだ。
額の次は、頭のてっぺん、耳、鼻——ぽつぽつと降り注がれ、次第に勢いが増していく。それに伴い、ザァザァと音が大きくなる。
雨だ。
月は隠れ、空は雲に覆われた。
これ以上濡れないように研究所の扉を開け、中へ入る。
不用心だが、鍵は開いてて一安心。
「——!」
扉を閉めようとしたが、それは最後までできなかった。
手と足が挟まり、阻止されていたから。
「フミー」
ずぶ濡れの状態でリーゼ戻ってきていた。
「この土砂降りの中で流石に王都まで戻りたくねぇ。泊めてくれ」
———
研究所内は広く、気を抜くと迷子になりそうだ。
昨日、リクを探すべくネオンと共に一通り研究所内を探索したけれど、それだけでは脳内に見取り図を生成することは叶わない。
だけど、そんなフミーとは違いリーゼはぐんぐん進んでいく。
「前に来たことあるの?」
「ここ、元々は組織の本拠地だったからな」
「そうなの!?」
元はネオ・ハクターの所有物とネオンは言っていて、さらに曰く付きとも言っていた。それが、組織の本拠地だったことだろうか。
「だからここ、『テーキット』って名前だったんだ」
ドットルーパーから組織の名前を聞いた時の疑問がここにきて解けた。
「名前を変えてないのは敢えてだろうな。組織を壊滅させ拠点をぶん取った証、みたいな?」
と言いながら、リーゼの足はある部屋の前で止まる。
「そこは……」
「シャワー室だな。着替えねぇし、浴びる気はないが、タオルくらいあるだろ」
部屋を開ければリーゼの言った通りそこはシャワー室であり、タオルが備えられていた。乱暴にそれを取り、リーゼは自身の頭を拭く。
そんなリーゼから、フミーの顔面へタオルが投げられフミーも同じく頭を拭いた。
濡れてる服が鬱陶しいので新しい服を召喚して着替えたいところだが、召喚術は原則世界中で禁止という話がある以上、こういった日常の場面で積極的に使うのは躊躇われる。
「あ、そうだ。薄緑の服がたくさんある部屋あったんだよね」
昨日の記憶の中に引っかかるものがある。
場所は忘れたがその部屋は、患者衣のような服が並べて掛けられていた。
ネオンとリクどっちの物かはわからないそれは、数えきれないほど備えられている。明らかに普段着用には見えないがたくさんあるのだから借りてしまえないだろうか。
「被験者用の服だなそりゃ。場所変わってなきゃ3階だ。いくぞ」
タオルを肩に掛けながら部屋を後にするリーゼへ、フミーもついて行く。
被験者用の服と言っていた。組織にいた被験者が着る物、ということか。
階段を駆け上がり、通路の奥に聳え立つ扉を、リーゼは開ける。
薄緑の被験者服が縦横10メートルくらいの部屋に溢れていた。
目の前のその服を手に取り、リーゼは観察し、また別の服を取り、また観察する。それを何回か繰り返した。
「見たところ、未使用品しかないっぽいな。リクの能力使って使用済みのは全部捨ててるか。死人が着てたのもあったしその方がいいな。——お、このサイズ丁度良さそう」
被験者用の服の中には子供用と思わしき小さなサイズもあったが、それよりも大きいサイズを手に取り、リーゼは服を脱ぎ始めた。
「はぁ……パンツまで濡れちまってる」
パンツ一張羅で、リーゼの細身の身体が無防備にも顕になっている。
その躊躇のなさに少し驚きつつフミーは目を引かれていた。
その肌にいくつか痛々しい傷があったからだ。切り傷、火傷の跡、あざ。
これもまた本で得た知識だが、傷というのはデリケートな物らしい。特に女性にとって。
だがこうも堂々と晒しているのだから、聞いても問題ないだろうか。
「怪我したの?」
「ああ、この傷か? 物心ついた時からあったもんもあるし、ネオ・ハクターにつけられたのもあるな。死戦を何度もくぐったにしては大したことねぇんじゃね。五体満足だし」
被験者服用の服に袖を通しながら、カラッと答える。
死線をくぐった末、五体満足じゃなくなった人間を見たと言っているも同義に思えた。
先ほどの花畑では、周りの人間は数え切れないほど死んだと言っていたし、壮絶な経験をしてきたに違いない。
一方フミーは、死を直接見たのはカザミショーヤしかいない。
数が重要ではないし、フミーにとってとてつもない衝撃的な出来事であるのは明確だが、フミーとリーゼでは精神に圧倒的壁がある。
何度も人の死に直面して、リーゼのようにいられるのか。
いや、いられなきゃ自分が壊れてしまうから、いなければならない。
フミーは長生きる。その間、死に何度も直面するはずだ。
それは、目の前のリーゼや、リク、今日出会ったバニーガールのお姉さんだったりだ。
みんな、フミーより先に死ぬ。
吸血鬼や人工的に作られた存在などの例外を除き、周りの人々はいつかいなくなる。
それは、受け止めなきゃいけない。
悲しいから寂しいからで、その度にカザミショーヤのように生き返らせようとして自分の寿命に付き合わせるのは、——それは、ワガママなような。
「ねぇ、リーゼは死んだら生き返りたいと思う?」
「思わねぇ」
「そっか」
迷いのない答えだ。
カザミショーヤはフミーへ託したが、今のリーゼのように突っぱねる人もいる。
それがまた寂しいと感じてしまう自分もいるあたり、幼い。
子供扱いされるわけだ。
「まさか、自分が着る側になるとはな」
気づけばリーゼは薄緑の服を着終わっていて、フミーも慌てて濡れた服を脱ぎ、着替え始める。
薄手の服だが、暖かい季節なので問題ない。肌触りも悪くない。
「どお? リーゼ」
「回ってないで、早く行くぞ」
くるっと一回転してリーゼに見せつけるも、数秒だけじっと見ただけで何も感想はくれなかった。悲しい。
濡れた自分の服はしっかり持ち、そのまま二人は部屋を出る。
「あっ!」「お……」
「フミー、やっぱり帰ってきてましたか」「おかえり、フミー」
ネオンとリク、二人の姿があった。