2章6話:フミーとリーゼ
警備隊の隊長なだけあって忙しいらしく、そそくさと隊長さんはこの場を後にした。
彼女のおかげで沈んだ気持ちが少し和らいだ気がする。
結局、互いに名前を知ることはなかったが、それでいい。
機会なら、きっとあるはずだから。
「随分あいつと長話してたじゃねぇか」
自ら距離を取り蚊帳の外で見ていたリーゼが、隊長さんがいなくなったのを見計らい近づいてくる。
「うん。リーゼのこととか色々話したよ。聞く?」
「いいや、やめとく」
どうせ嫌な話だろうとでも言いたげに断る。
勝手にリーゼのことで誓わせたりしたので事後報告として聞いて欲しかったんだけども。
「それより、日が完全に落ちる前に行くぞ」
森を顎で示し、進んでいくリーゼへ引っ付いて着いて行く。
森の中だろうと迷子になる可能性は付きまとうだろうから。
「あー、ちっと危ねえが超近道なとこ通っていいか?」
「うん? わかった、いいよ」
「よし!」
「わわっ」
承諾すると、フミーを抱え出した。朝、連れ出した時のように。よくもまあ、そんなに軽々持ち上げられるものだ。
「わぁーー!!」
それからリーゼは、動きずらいはずの長いスカートで華麗に獣道を驀進する。
地面の歪みを飛び越え、襲ってくる野犬をかわし、急斜面を無理矢理登り、目まぐるしく変わる景色に酔いそうになる。
だが、その勢いは急に止まった。
「畜生、警備隊の奴だ。ここは回り道していくぞ……」
リーゼに耳打ちされたが、ぐるぐると目が回るフミーには確認できない。
だが、ゆっくり枝を踏まないほど慎重に歩んでいるのは伝わってきた。フミーも下手に動いて音を立てないように気をつける。
「……ん?」
そんな中、フミーの嗅覚が反応した。
甘く、心地いい暖かな匂い。
それを、風が運んできたのだ。
草木を掻き分け、その匂いの元があるはずの光の差す空間へリーゼは踏み込む。
そこは——
「わーお」
「———」
棒読み気味にリーゼは薄く反応したが、フミーは何も言葉を出せなかった。
言葉どころか、沈んだ気持ちも、悩みも、ぐるぐるした思考も、全て吹き飛ばすほど美しさだった。
桃色と白の花が薄暮れの光に染まり、一面に咲いている。
開けた空間に敷かれた花の絨毯、隠されるように木々に囲まれ、それは、世界から隔絶された秘密の場所かのようで。
そよ風に揺れ、花は寂しげに揺れる。
それすらも、幻想的な空間を作り上げる一つかのようだ。
ただ見惚れ、熱に浮かされる光景が広がっている。
花畑にやって来たなら花冠や指輪を作りたいと思っていたのに、手をつけるのは勿体無いと躊躇わせるほどのもの。
リーゼに降ろしてもらい、しゃがみ、指の先で優しく花に触れる。
その様子を眺めるリーゼがいて、この景色を共有できる存在が隣いるだけで喜ばしく思う。
しかし、彼女には申し訳ないがフミーはそれだけで満足できなかった。
「いつか、一緒に来たい」
「あん?ネオンとか?」
「ネオンとも来たいけど、カザミショーヤと」
「誰だそりゃ」
口に出したのは、リーゼに聞いて欲しかったからだ。
幽閉中、彼と花畑に来る夢を見たことがある。
外に出ることを諦めたはずなのに、朝起きた時、現実でも一緒に行きたいと思い描くほどのものだ。
「今はいないんだ。けど、いつか連れて来こられるように、この場所を覚えておきたい」
「それが、生き返らせたい奴か?」
「うん」
察しがいいリーゼへ頷く。
ところで彼女にはいないのだろうか。
自分へ大きな影響を与え、いなくなってもなお、諦められない存在。
死んで、悲しかった存在。
リーゼの瞳にはフミーが映っているが、今ここでフミーが死んだら、悲しんでくれるだろうか。
泣きはしない気がする。彼女黒い瞳の奥まで入り込めた気はしないから。
「何だよじっと見て」
「リーゼ、今アタシに質問したよね。生き返らせたい人か?って」
「そうだな」
リーゼはこれまで、フミーへ個人的な質問することはなかった。
聞きたいことがあるかと言えばないと言い、フミーへ興味がなく、踏み込むことをせず。
だから、それは今日一日で少し進んだことの証明だろう。
目指すは、フミーが死んだら泣いてくれそうなとこまでリーゼを絆すこと。
「リーゼ、アタシね」
「おう」
「5歳の頃から、154年と44日、幽閉されてたの」
「……」
嘘だと思われたかもしれない。159歳であることも信じられてないのだ。
それでも、話すだけ、話す。今話したいから。
「154年と38日目にカザミショーヤが現れて、最初はアタシが召喚したんだと思ってた。毎日誰かが現れることを祈り続けてたし」
口挟まず、リーゼは聞いている。真実かどうか、見定めるように。
「それはネオンとリクが色々頑張った結果だったんだけど、とにかくその時、死ぬまでずっと独りかも思ってたから、死んでもいいほど幸せだった」
あの時の自分に、死ぬ代わりに誰かに看取ってもらえるボタンがあれば迷わず押した。
それほど人と触れ合いたくて、飢えていた。
実際は、すぐにカザミショーヤともっと時を過ごしたいと思ったし、フミーがカザミショーヤの死を見届けたのだけれど。
「カザミショーヤはね、アタシのために身を犠牲にして幽閉を解いたんだ。だから、アタシは置いてきぼりなの」
「置いてけぼり……」
「フミーの気持ち、わかる?」
「しらねぇよ。……けど」
「けど?」
「周りの人間は数え切れないほど死んでんのに、なんでウチは生きてんだってのはたまに思うわ。死にてぇわけじゃないが、特別生きることに執着してねぇ奴がしぶとく生き残ってるのは不思議なもんだ」
「……」
ここまで口をつぐんでいたリーゼが反応し、それに言及をしてみる。
花畑の先の、星のない夜空で唯一光る月を瞳に写しながら返答するリーゼ。
軽く話しているが、重い言葉だ。
いつの間にか日が完全に落ち、夜が始まっている。
しかし、まだお互い帰る気にはならない。
「それにしてもリーゼ、アタシの話信じてる?」
「べーつにっ。マジな可能性もあるかもなってぐらい。完全に信じちゃいねぇ」
全く信じられてない状態からは脱出したらしい。
「そっか。真否を確かめるために質問してもいいんだよ?」
「んなもんどっちでもいいわ。実年齢はどうあれガキには違いねぇよお前は。てか質問されたがりか?」
「アタシだけ質問するのはフェアじゃないし、リーゼはネオンやリクと違ってフミーのこと全然知らないし……」
「一方的に質問されてもウチは構わねぇけどな。質問する方がめんどい」
リーゼはかったるそうに頭をかく。
フミーは質問するのもされるのも好きなので、その視点はなかった。
「じゃあ、もう一個質問してくれたら、今日はもうしなくていいよ」
「どこから目線だガキ……」
「アタシ目線です——ぎゃっ!」
生意気なことを言った仕返しか、おでこにデコピンをされた。
それから、観念したようにため息を吐くリーゼ。
「じゃあ、アレだ。なんで幽閉されたんだ?」
質問をしてくれた。やっぱり優しいリーゼへ目を輝かせ、勢い余り早口で答える。
「あの組織にね、アタシのチョジュラス家が狙われてたみたいで、そこから守るために父様が閉じ込めてくれたの! あっ、父様は死んじゃってたんだけど、もうすぐ会える予定だから安心してね。今それで、ネオンとリクが頑張っててるんだ」
リーゼは瞬きを何回かし、
「フミー、その組織って『テーキット』か」
「うん、アタシの知ってる組織、それしかないよ」
一つ確認した。警備隊も組織と言えるかもだが、この場合は抜きだ。
リーゼは肯定したフミーへ眉を顰めている。
瞳は揺れ、彼女の感情を表しているかのようだ。
「リーゼ?」
「……そろそろ帰るぞ」
フミーから顔を背け、花を踏まぬよう迂回するように歩き出すリーゼ。
「待ってよ〜」
その後を数秒遅れて追う。
様子が少しおかしいリーゼの顔を恐る恐る覗き込む。月の光によって照らされる表情は、眉間に皺もなく、いつも通りで、首を傾げ拍子抜けだ。
しかし、リーゼは口を開かず会話が起こらない。
起こらないならフミーから話しかければいいだけの話だが、月に青白く照らされるリーゼの横顔を見ていると何故だか躊躇われる。
互いの無言により起こるのは完全なる静寂ではない。
風の音や足音が混じるのだ。
そこに耳を傾けて、隣いるリーゼの存在を感じながら、一歩一歩踏みしめる。
会話をするのも楽しかったが、こうやって環境音のみの時間を共に歩くのも、良いものだった。
花畑を迂回し終わり、いよいよこの空間ともおさらばの時。
フミーとは違い花畑に未練がなさそうに、先へ進もうとするリーゼを袖を引いて引き留めた。
「リーゼ」
「おん?」
風に揺られながら振り向くリーゼと視線が交差する。
まだここにいたいとは言わない。明日以降も来れるわけだし。
それでも呼び止めたのは、このまま終わらせたくなかったから。
リーゼを絆すなら、これじゃ足りない。
届かない。
——何よりアタシが物足りない。
「おい、フミー」
黙る自身へ呼びかけられる声。
まだまだ、彼女のことはフミーにはわからない。
ガラス玉と隊長さんは言っていたけれど、硬い反面、衝撃に弱く割れやすいのがガラスだ。
そんな脆い印象をリーゼには持っていないが、もしかしたら、その一端はすでに表れていたのかもしれない。
普段はグイグイいくフミーですら時折、躊躇して慎重に扱いたくなる雰囲気を彼女に感じるから。
「なんだよ、またデコピンするぞ」
思い耽って黙りすぎてしまい、苦言を呈された。
そろそろ口を開かなくては。
「アタシに協力して」
「……お?」
意味が伝わらなかったのかキョトンとした顔で首を傾げられた。
文脈でわかるかなと思ったのに。
「今日ね、アタシは弱い存在って実感したから、だから……」
——フミーはいい子だから、きっと友達もいっぱいできるだろう。
——助けてくれる人も協力してくれる人も現れるはず。
カザミショーヤが言っていた。
自分をいい子だと称せるほど自惚れやしないが、友達や協力してくれる人、その相手の一人は目の前の黒髪で目つきの悪い女性なら嬉しい。
共に闘ってくれる相手になって欲しいと、出会って二日で思わせてくれた。
「カザミショーヤを生き返らせるための道を、一緒に歩んでください」
手を差し出す。
タイミングを見計らったかのように、強い風が吹き荒れ、花弁と葉がいくつか宙に舞う。
「あの組織は生に関する研究してたし、ウチも構成員だったけどさ、別に研究員じゃないから大した知識も技術もないぞ」
「うん。それでも」
「なんで」
「リーゼと一緒にいると心強いから」
「……」
差し出されたフミーの手を見つめ、唇を噛むリーゼ。
「ネオンやリクは?」
「二人にはまだ頼んでない。父様の件が終わったら言うつもり」
「ふーん。じゃあ、一番乗りか。——悪くねぇじゃん」
リーゼの手の感触がフミーの手に伝わる。
握手を交わしたのだ。
「リーゼ……っ!!」
「おわっ!」
勢いのままフミーが抱きつき、リーゼは体制を崩しそうになる。
「あぶねーな」
「あははっ!」
(ドビュッシーの月の光を聴きながら書きました。そんなイメージの回)