2章1話:フミーとリーゼ
目が濡れている。
違う、これは涙だ。
せっかく目が覚めたというのに視界がぼやけていているが、拭うのは躊躇った。
それは、残しておきたい悲しみだから。
代わりに何度も瞬きをする。
夢に、カザミショーヤがいた。
姿は見えなかったけれど、カザミショーヤが間違いなくいたのだ。
あれは、フミーの夢が作り出したものではない。
もしそうならもっと都合のいいことを言う。
あの部屋を出て初めての起床、嬉しいやら切ないやらで心がぐちゃぐちゃだ。
「枕……濡らしちゃった」
———
「ネオンおかえりー! 帰ってきてたんだね!」
心を落ち着けてから就寝した部屋を出て、休憩スペースに戻ってみると、リクに加え、ネオンの姿があった。
「ただいま。事情聴取が長引いて面倒でした。その分、根城があったこの森を隅々調べたり、しばらく見回ってくれるみたいですが」
実のところ、その事情聴取にフミーとリクさ参加しなくてよかったのかと思っていたが、代わりにネオンが色々話してくれたのだろう。お疲れ様だ。後で肩を揉んであげよう。
「フミー、おはよう。コーヒー飲む?」
「おはよう、リク。コーヒー飲めないから紅茶ある?」
「あるよ。用意するね。ところで、昨日はよく眠れた?」
コーヒーに限らず苦いものは苦手であり、代わりに、積極的に飲もうと決めた紅茶を求める。
そこから何気ないことを聞かれたが、答えに少し詰まった。
「……。よく眠れたよ! いい夢も、見れた、し」
カザミショーヤの夢だが、姿は見えなかったのにいい夢を『見た』と言えるのかは口にして疑問である。
「フミー、あなたの父親の件ですが」
「うん、何?」
「数週間はかかります。一ヶ月以内には終わるはずですが……」
それは、父様を生き返らせるのにかかる時間だ。
ネオンはおずおずと、申し訳なさそうにフミーへ告げた。
「……154年と38日、だよ」
「え……?」
「アタシはね、カザミショーヤが現れるまで、それだけ待ったの。だから、それくらいなんてことないよ!」
安心させるように、笑ってみせた。
早く父様に再会できるに越したことはないけれど、ネオンがそんな顔をする必要はどこにもない。
「申し訳なく思うならネオンより僕の方だ」
「どういうこと?」
「僕の能力の使い勝手の問題でね」
ネオンを見て一度目を瞑り、それからフミーへ向けて苦笑するリク。
それを問うと、これまで伏せられてきたリクの能力の話になる。
「この左目は、触った物体の性質がわかる目なんだ。解析ができると言ってもいい」
特徴的な自身の左目を指差さす。
リクはオッドアイだ。
右目は、浅瀬の海のような綺麗な水色をしている。
左目は、深い海のような青色の中にぐるぐるとした黒い渦があり、光が灯っていない。
「物体の性質……解析……」
「直接触って、見れば見るほど、なんでもわかるんだ。どうすれば、壊れるのか。形が変わるのか。長持ちするのか。耐熱性。材質。周りに与える影響……とかね」
つまりは、口に入れずとも毒味ができ、宝石の鑑定もでき、未知の道具でも使い方がわかるということか。
聞いただけでも凄い能力だとわかる。いくらでも重宝されるものだろう。
「人に触れたら?」
「生物に触れても、同じ」
「だから、手袋してるの?」
「うん。能力の反動があってね、1時間連続で使うと鼻血が、3時間連続で使うと身体が痙攣して立てなくなって、5時間連続で使うと命に関わる。自動的に発動するものだから、手袋か眼帯が必須なんだ」
フミーの質問へリクは答えていく。
便利な力の分、身体に負荷がかかるようだ。
その能力が、父様を生き返らせるのにどう使われるのかはわからない。
なんだか聞かない方がいい気がしたので、それは質問しなかった。
「そうだフミー。血液採取をお願いしたいんだけどこの後時間もらえる?」
「フミーの血がどうかしたの?」
「君の父親を生き返らせるのに必要なんだ」
「父様を生き返らせるのに……?! わかった!」
———
「というわけで、やってきたよリーゼ!」
「どういうわけだよ」
高台に聳え立つ小さな喫茶店。そこの店主であり、組織の残党である女性、リーゼの元へフミーはやってきていた。
「リクに血液採取してもらったあと暇になってね、そしたら今、森の中には警備隊の人がいて安全だしリーゼに会いに行ってみればーってネオンが」
「え。警備隊の奴らいんの……?」
舌を出し、苦いものを食べたかのようなリーゼ。
「ほら、リーゼのおかげで組織の残党の根城がわかって、ドットルーパって人……いや吸血鬼とその部下二人が警備隊に渡されてね」
「へー。元同僚なのにそりゃあ申し訳ないことをしたわ」
全然そう思ってなさそうだ。聞き出した身としてその方がありがたい。
「とはいえ、こうしちゃいられねぇ。ウチは一時ずらかる!」
ドタバタと荷物の準備をして、最後にフミーを抱えた。
「え」
「オメーもこい!」
こうして、喫茶店を飛び出し、森を駆け抜けていったのである。
出してもらったオレンジジュースが飲みかけだったのに。
———
目が回りそうなほど人が多い。
ここにはどれだけの人がいるのか、数えられない。
絶え間なく声が聞こえ、人が流れ続ける。
さらに、これまでいた森とは違い建物が密集していた。
新鮮な光景であることこの上ない。
「はわわ……」
迷子にならないよう、リーゼの腕に抱きつきながら、その中を歩いていく。
場所は——王都。
王城が構え建つ、この国で一番の都市である。
昨夜、ネオンが町へ行っていて自分もいつか行ってみたいと思っていたが、一足飛びで王都だ。
「ここら辺で休むか」
気づけば、公園のような場所にやってきていた。
噴水の近くにあるベンチへ並んで座る。
「どうして王都に?」
「身を隠すなら人混みの中だろ」
「警備隊の人に見つかると困るの? 組織にいたから?」
「正義感の高い奴ばっかだからなあいつら。そのリーダーには非人道的なことしてた組織にいたことはバレてるし、面倒だからこうして会わないようにしてるのさ」
警備隊の隊長とは顔見知りのようだ。
にしても、非人道的と自覚しながら、何故組織にいたのだろうか。
フミーはリーゼをいい人だと認識している。だからこそ、進んでそんなことをするとは思えない。
「金だよ」
「!」
「顔に書いてある」
組織にいた理由だ。
心の中を見透かされてたみたいで居心地が悪いが、すっとぼけやしない。
「お金に困ってたの?」
「いいや? 病気の弟がいてーとか、そんな感動的な理由じゃねぇよ。ただの金銭欲。それ以上でも以下でもない」
掌を広げながら、俗欲を口にする。
隠そうとするわけでもなく、嘘をついてる風でもない。
「でも、今は違うことやってるんだ?」
「そりゃあ、どっかの誰かに殺されかけるわ組織壊滅するわだからな。再結成を持ちかけられもしたが、すぐ潰されそうだし利益がなさそうで旨みを感じなかったよ」
「……」
「聞きたいことは聞けたか」
生ぬるい風が吹いて、自分の白い髪は目にかかり、一方リーゼは黒いポニーテールが揺れている。
フミーはこれまでできなかった分、人と深く関わりたいと思っていた。
そのためには、相手のことを知ることが大事でだとも。
カザミショーヤと出会って3日目、彼へ彼自身のことを聞いた。辿々しくて、あまり話してもらえなかった。
フミーは自分の生き立ちを話すのに抵抗がない。けれど、他の人もそうとは限らない。
リーゼもカザミショーヤと同じ感じがする。
あっさり話してくれたのに、どうしてだろう。
正直、もっとリーゼのことが知りたくなっている。もっと彼女の話を聞きたいと。
それでも、踏み込んでいいのか躊躇してまう。
「リーゼ」
「あん?」
「逆に、アタシに聞きたいことある!?」
口を半開きにし、目をパチパチさせながら固まるリーゼ。
自分が聞いた以上、相手にも聞かせなきゃフェアではない。
ましてや、リクやネオンとは違い、リーゼはフミーの事情をまるで知らないのだから。
「ね、ねぇよ……」
ようやく、放たれた答えは、地味にショックなものである。
だが、めげない。
「じゃあ、アタシのことを話すから、気になることがあったら聞いて!」
「そもそも、ウチあんたに興味ない……」
悲しいことを言われる。
それでも、一方的に話すことにする。
「まず、実はアタシ、159歳です」
「へー」
「信じてない!?」
リーゼはフミーを子供として扱っている。
それが実は年上ということが判明し、ベンチから滑り落ちるほど驚くことを期待していたのに。そもそも嘘だと思われるのは心外だ。
思えば、カザミショーヤも最初は信じていなそうだった。
これがしわくちゃの老人の姿なら、説得力もあったかもしれないが、フミーの姿は少女で止まっている。
自分の年齢を証明する方法も説得力もないのだ。
「でも、ネオンもドットルーパも長生きなのに若い見た目だよ」
「人工的に作られた奴と吸血鬼じゃねぇか。お前生粋の人間のガキだろ」
「うぅ……たしかに人間……。だけど長寿の家系で〜」
リーゼは子供だと信じて疑わず、これはもうお手上げだ。
ネオンとリクに後日証人になってもらおう。
「じゃあ、次の話……」
諦め、他のことを話そうとして、悩む。159歳という情報を信じてくれない以上、幽閉の話をしても無駄な可能性がある。
よって、5歳までの幽閉前の記憶を話すことも検討するが、ここは——
「続いて、目標があります」
「ほう。ガキらしくお嫁さんとかか」
「んー、それも魅力的だけど、違うね」
カザミショーヤのお嫁さんはその目標の先の話だ。
おしい回答である。
「生き返らせたい人がいるの」
「———」
それを口にした時、リーゼは目を丸くして、口を開いて、言葉を紡ぐことなく、閉じた。
何を思い、何を言おうとしたのかはわからないが、一度死んだ人間を生きかえらせるなんて呆れれられててもおかしくない。それほどの夢物語なことはわかる。
それでも、アタシは『夢』じゃく、『目標』と呼ぶけれど。
「死者蘇生……ってことかよ。大きく出たなー」
「まだ手付かずだけど、この長い人生どれだけ費やしてでも叶えたいんだ」
さっきの意味深な反応とは違い、いつも通りの飄々としたリーゼである。
気になるが、まだ聞く時ではない。フミーのことをもっと話して、もっと仲良くなってからだ。
聞けば、答えてくれるのかもしれないが一方的なのは嫌だ。
「———」
ふと、リーゼは考えこむような仕草をしていることに気づく。
そんな意味深な反応を再びしてから、黒髪を揺らしながら目つきの悪い三白眼でフミーを見据え、ニヤリとする。
「吸血鬼は不老不死って知ってるか」
「ドットルーパのこと?」
「ああ、そうだな」
「銀の弾丸で撃ち抜かれても、血を吸わなくても?」
「可哀想なことに、死なずに苦しいだけらしい」
本の物語では、悪い吸血鬼が退治される話がたくさんあった。
だが、現実はそうでないとのこと。
何故急にそんな話をしたのだろうか。
「そんな不老不死の吸血鬼なら、死者蘇生について知ってることもあるかもな」
「——!」
「ドットルーパに会いに行ってみようぜ」