第7話「悪役令嬢の天敵、降臨」
身だしなみを整え、朝食を終えての登校。
アネトはいつも、リーゼロッテと共に馬車で学術院へと通っていた。もちろん、ただ隣で義姉のおしゃべりに付き合っているだけではない。メイド長エルメラの命令で、護衛任務も兼ねているのだった。
そして、馬車が校門前に止まると真っ先に降りる。
あとから優雅にスカートをつまむリーゼロッテへ、いつも通りアネトは手を伸べた。
「ありがとう、アネト」
「どういたしまして、リゼねえ」
「さて、今日も適度に適当に勉学に励みましょうかね、オーッホッホッホ!」
器用に猫を被ったり脱いだりと、自室の時とはまるで違う人間に見えるリーゼロッテ。だが、彼女が現れるなり周囲の通学風景は一変する。
誰もが振り返ると、リーゼロッテに道を譲る。
「おはようございます、リーゼロッテ様!」
「ごきげんよう、リーゼロッテお姉さま」
「今日も麗しくていらっしゃる……ああ、憧れのお姉さま」
「紅蓮の魔女の登場だぜ。告白るなら今か? 今、行くか? くっ、震えが」
悲喜こもごもながらも、憧憬に濡れた眼差しが無数に浴びせられる。
ここではアネトなど、ただのおまけの従者でしかない。しかも、例の秘密学級の特務科ともなれば、知らぬ者もいて当然だった。
だが、不意に黄色い声を弾ませて小柄な少女が飛び出してくる。
「リーゼロッテお姉さまっ! アネトさんも! おはようございますっ!」
書記見習いの一年生、メリアだ。
彼女は子犬のように興奮した様子で、リーゼロッテの周囲をグルグル回りながら抱き着いてゆく。なんとも愛らしい光景で、リーゼロッテも微笑みをこぼしていた。
「あらあらメリア、ごきげんよう。ほら、タイが曲がっていてよ?」
「えっ? あ、やだ、わたしったら」
「ほら、動かないで。……これでよし、と。生徒会役員たるもの、身だしなみには注意でしてよ?」
「はいっ、お姉さま!」
頬を赤らめ少し離れたメリアは、今度はアネトにじゃれついてくる。
本当で無邪気で、それでいて嫌味がなく純真純朴、メリアはアネトにとっても同学年の妹みたいなものに思えていた。それに、なぜだかメリアはアネトにとても親切だ。
「アネトさんも、ごきげんよう。今日もいい朝ですねっ!」
「ああ、メリアもおはよう。……なんだか妙にキャンバス内が騒がしいね」
「あっ、そうなんです! お姉さまも、気を付けてくださいな。西棟の前でデュエルなんです、朝から三年生同士で大規模な魔法を」
そう、アネトは闘争の空気を感じ取っていた。
そしてそれは、リーゼロッテも口にこそ出さないが一緒のようだった。
そして、メリアの次の一言で彼女は緊張感をみなぎらせる。
「なんか、皇女様も大変なんですね。わたし、平民生まれてよかったなあ」
「皇女殿下、ですって?」
「はいっ! 皇女様を賭けて男子同士でアトラクシア・デュエルです!」
瞬間、リーゼロッテは鞄を放り出すや走り出していた。その鞄をとっさに受け取り、アネトは自分の鞄も重ねる。
「ごめん、メリア。ちょっと持っててくれる」
「ほへ? あ、はい。いいですけど……あっ、アネトさんっ!」
「まったく、リゼねえ! あんなヒールでよく走れるよ。それに、皇女殿下のこととなると」
突然の猛ダッシュで、リーゼロッテが風になる。お上品に両手でスカートをつまみつつも、着衣も乱さずジャンプして生徒たちの垣根を飛び越える。
紅蓮の魔女が動けば、歌劇の幕があがる。
誰もが始業のベルがもうすぐ鳴るのに西棟の方へと移動し始めた。
その先へと、アネトも走って追いかける。
このオーレリア帝国の皇帝陛下が、お妃さまとの間に設けた実の子……皇女殿下。彼女はいわゆるトラブルメーカーで、リーゼロッテとはなにかと奇縁の多い美少女だった。
「いたっ、あの二人か! ……なんてことを、こんな場所であの規模の魔法を?」
アネトは、対峙して互いに魔力を励起させる二人の先輩男子を見つけた。
その片方にリーゼロッテが迫るのを見て、アネトは踵を返す。もう一人の先輩に向かう背中は、おおよそ伯爵令嬢とは思えぬアクロバティックな肉体言語を聴いていた。
「炎よ燃えよ、燃え盛れ! 我が怨敵を業火にて――って、うおっ! 魔女!?」
「失礼しまして、よっ!」
「ぐあっ!」
「あらあら、一発で詠唱中断かしら? 術者たるもの、無防備な詠唱中こそ気をつけなさいな」
そう、基本的に精霊魔法や法術、そして古代魔法は呪文の詠唱が必要になる。そして、高レベルの術ほど長い詠唱時間を必要とした。必定、その間はまったくの無防備になる。リーゼロッテのような熟練者ともなれば、基礎魔法で対応するなり、体力と体術でカバーするなり考えるものである。
そう思いつつも、アネトはもう一人の前に出る。
「なにっ、紅蓮の魔女!? 副会長がなぜ……しかし、これはチャンス! うおお、天を駆ける稲妻よ! 我が槍となりて敵を討たん! この勝負、もらった!」
「いいえ、悪いですけど……先輩、やめてもらっていいですか」
周囲を真っ白に染める轟雷が炸裂する。
それを全身に受けつつ、平然とアネトは拳を繰り出した。もちろん、本気で殴ったりはしない。引き絞って、力を貯めて、放つ。が、えぐるように拳が渦をまくことはなかった。
全力の手加減の、その余波だけで男子生徒はしりもちをついて倒れる。
「なっ、馬鹿な……この春やっと習得した上級魔法だぞ! それが、なんで」
「魔法ならどんなレベルであれ、僕には効きませんよ」
「ま、まさか、貴様」
その時だった。
一際強い気配を感じて、一歩下がったアネトが身構える。
それは、背に背を合わせてリーゼロッテが大鎌を取り出すのと同時だった。
そんな二人の前に両手を広げた可憐な美少女が現れる。
「ああ、二人とも! あてくしのために争わないで! なんて罪なあてくし……美し過ぎるあてくしが悪いのね」
出た、またかとアネトは閉口した。
そして「リゼねえ、顔」と小声で注意を促す。
それでリーゼロッテは、可憐な少女がしてはいけないような表情を引っ込めた。あやうく被った猫がひっぺがされそうになっていたのだった。
だが、普段の毅然とした表情を凛々しく引き締め、声の主にリーゼロッテは呼びかける。
「殿下、シャルフリーデ皇女殿下!」
「あら、紅蓮の魔女……ええと、名前はたしか……まあいいわ。ごきげんよう」
「チッ、このクソアマ。っと、ご機嫌麗しゅう、殿下。どうかおさがりを。危険でしてよ」
「あら、勝者のためのトロフィーが消えてしまうのはいかがなものでしょう。今、あてくしのために二人の勇者が戦い競っているのですもの」
そして、シャルフリーデとの交際を賭けて戦っていた二人が双方ともに身を起こす。
どうやらまだやる気があるようで、二人とも剣を構えつつ魔力を集中させ始めた。
やれやれとアネトは呆れてしまう。
その時にはもう、リーゼロッテは男子の片方に詰め寄っていた。
「横から失礼しましてよ。アトラクシア・デュエル! はい、エンゲージ! ほら!」
「え? あ、ああ 、エンゲー、ぐふぁっ!」
強引にデュエルを迫った挙句、リーゼロッテは大鎌の石突を男子のみぞおちに叩き込んだ。全くの不意打ちだが、一応デュエルは成立している。油断があったと見られてもおかしくないだろう。
それを見て呆然とするもう一人のデュエリストにアネトも拳をバキボキならしながら近付く。
「そっちはどうします? まだ殿下の悪ふざけで踊りたいなら……僕がお相手しますが」
「くっ、貴様! さては噂の秘密学級の一年生だな!」
「ええ。僕にはあらゆる魔法が通じません。なんででしょうね、やっぱりこの世界の人間じゃないからでしょうか」
「うるせえ、知ったことか! 魔法がなくたって、我が家に伝わるこの宝剣が!」
遠慮なく男は斬りかかってきた。
その単調な教科書通りの一撃を、アネトは半歩身をそらして最小限の動きで避ける。
同時に、背後に回り込むや首筋に手刀を叩きつけた。
一子相伝、メイド長直伝の体術ならばこの時点で相手は死んでいる。
手加減したので、意識を奪うにとどめたが、本来なら首が飛んでいるところだ。
そして、朝からお騒がせのデュエルが終った時には、リーゼロッテはシャルフリーデに向き直る。
「殿下、悪ふざけもほどほどに……悪ノリも度が過ぎれば御身ばかりか皇帝陛下の御威光も汚しましょう」
「あら、言うわね魔女。……ごめんなさい、また名を聞いてもよいかしら?」
「サテュレーネ家のリーゼロッテですわ、今度こそお見知りおきを」
「そうそう、リーゼラッテ! 思いだしましたわ。あてくしにそこまで言える女、今度こそ覚えておきましょう」
「だからリーゼロッテだっつーの……はっ、いけない。ええ、ええ、お見知りおきを」
「お父様に頼めばお家のお取り潰しだってできるの、わかってるのよね? ローゼラッテ」
「……それでお気がすむなら、いかようにでも。しかし殿下、このような御戯れはもう」
「だーって、あてくしの美貌が悪いんですもの。ふふ、男たちの愛しいこと愛しいこと……愚かで浅はか、そして寂しがり屋」
紅蓮の魔女と呼ばれ、畏怖と憧憬を集めるリーゼロッテの天敵……シャルフリーデ皇女殿下。彼女のあざとい美しさは有名で、自覚があって多くの男子を振り回していると聞いている。
アネトは一触即発の空気の中で、リーゼロッテを守ろうと身構えたが……シャルフリーデは始業のベルと共に高笑いを残して去っていくのだった。