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第5話「悪役令嬢、猫を被っていた」

 リーゼロッテの帰宅、そして夕食。

 伯爵の御殿ともなれば食堂も広くて絢爛としたものだが、肝心のサテュレーネ伯爵は皇帝の命で辺境の国境視察に出ている。また、その妻はリーゼロッテが幼い頃に亡くなったという。

 アネトは肖像画でリーゼロッテの母を見たことがあるが、美と知性は遺伝する者なのかもしれない。ただし、リーゼロッテ本人はなぜか、自分を『異世界からの転生者』とアネトにだけ打ち明けてくれていた。

 そして、夕食後は入浴ののち、ようやく紅蓮の魔女にもプライベートな時間が訪れていた。


「あー、そこ! そこいいわあ……もっとゴリゴリ強くやってくれー」


 アネトの前に今、ベッドでうつ伏せにくつろぐリーゼロッテの姿がある。彼女の細い腰をもみながら、またがる形でアネトは苦笑がこぼれた。

 二人きりのこの時間だけ、リーゼロッテは普段被っている猫を脱ぎ捨てる。

 その本来の姿は、酷く自堕落で奔放、インドアタイプのだらしなさを秘めている。

 服装からして、ジャージとかいう彼女自身が昔いたという異世界の部屋着をオートクチュールで作らせたものである。

 長いツインテールを解いた紅髪も、無造作にシーツの上に広がっていた。


「今日もほんと疲れたわあ。あー、しんど……アネト、そっちはどう? 平気?」

「ええ。平穏そのものだよ。僕たち特務科は基本、日陰者の少数精鋭だからね」

「今日だけで三回はデュエルしたわ、三回よ! 三回!」

「それでも生徒会副会長として働き、勉強も怠らない……立派ですよね」

「っしょー? 褒めて褒めて、もっと褒めてよー」

「はいはい、偉い偉い」


 こっちが素の状態、素顔のリーゼロッテなのである。

 それを知っているのは、この世でアネトだけだ。

 リーゼロッテが家族として迎えてくれたのは、もしかしたら自分も近い境遇の人間かもしれないからだ。だが、その記憶がアネトには全くといいほどなかった。

 サテュレーネ家の小さな執事にして、リーゼロッテのよき理解者。

 マッサージや髪の手入れなど、こまごまとしたことも実は全てアネトがやっている。


「春の新学期も始まって、体育競技会があるじゃん? あと、新入生歓迎のお茶会」

「忙しいよね、生徒会は」

「それなー、ほんとマジで過労死しそう……お、おっ、おっ! そこ、そこをグイッと!」

「リゼねえ、なんかちょっとジジ臭いよ?」

「オーッホッホッホ! 安心なさいな、アトラクシアではキャラ崩壊なんて絶体見せませんことよ? ……なんてね」


 そう、アネトの義姉は完璧なエリート学生だ。魔法科三年生の首席、誰もが憧れる美貌の悪役令嬢……紅蓮の魔女と呼ばれて恐れられる、無敗の女王なのだった。

 彼女をあしげしく語る者たちは、そのあだ名で悪評を広げている。

 誰にも媚びず恐れず、群がる全てを粉砕、そして敗者にそれとなく良縁を運ぶ……だが、負けた上に想ってくれる異性にも恵まれない者たちにとって、リーゼっロッテは悪役どころか悪逆なお嬢様なのだった。


「さて、これでよしと。じゃあ、僕はそろそろ部屋に戻るよ」

「え、もう? まだまだいいじゃない、夜は長いんだよ?」

「宿題もあるし、予習と復習もしなきゃ。リゼねえは?」

「あー、なんか色々あったかも……生徒会室で仕事の片手間に片付けてきちゃったけど」

「そういうとこなんだよなあ、ふぅ」


 体質こそ特異なものだが、アネトは平凡な学生だ。

 血筋も素質も恵まれたリーゼロッテとは、根本的に人間としてのデキが違う。

 アネトがベッドを降りると、ギシリと音を立ててリーゼロッテも立ち上がった。長身の義姉を見上げて、おやすみの挨拶を口にするアネト。

 だが、そんな彼の手を取り、さらにリーゼロッテはもう片方の手も重ねてくる。


「もうちょっといいじゃない? ねえ、アネト」

「次はじゃあ、肩でも揉もうか?」

「んー、それは大丈夫。そうだわ、トランプ……カードはどう? チェスとかもあるし!」

「じゃあ、少しだけ。リゼねえも疲れてるんだから、早く休んでほしいしね」


 アネトの言葉に、リーゼロッテは童女みたいな笑みを満開に咲かせる。普段の学術院では絶対見せない、アネトしか見たことのない眩しさだった。

 この表情に実は、アネトは弱い。

 ついつい甘やかしてしまう。

 麗しの義姉の、無邪気な可憐さを独占してると思うと鼓動が高鳴った。


「じゃあ、チェスにしよ! 一本勝負、敗者は勝者のお願いを一つ聞くこと!」

「チェスでいいの? 僕、四十八勝七敗だけど」

「そして現在、十連勝中ね? フッフッフ、今日こそブチのめしちゃるー!」


 早速、リーゼロッテがチェス盤を持ってベッドに座る。

 アネトもその横に、並ぶ駒を挟んで座った。

 リーゼロッテの話では、このチェスという遊戯は彼女がもといた世界にもあったらしい。他にはショーギとかオセロとか、聞いたことのないゲームも存在するとか。

 チェスはアトラクシアでも戦略眼を鍛える教材として使用されていた。


「リゼねえ、お先にどうぞ」

「お、先手を譲ってきたか―! わはは、後悔させてやるぞい!」


 毎度のことだが、リーゼロッテの選択にはよどみが全くない。考えて手を動かしているのかと疑わしくなるほどだ。だが、彼女は何十手も先を読んで、その全ての可能性に先回りしようと頭を働かせている。

 アネトの勝率がいいのは、常にその思考の外側へとゲームを進めていくからだ。

 普段なら悪手とされる意外な戦法が、リーゼロッテのような正統派の天才には意外に通用する。


「っと、そうきたか。んー、相変わらずやりにくいー」

「因みに、このままだとあと三十四手で僕の勝ちだけど」

「えっ、嘘!? 詰んでる? えー、どこだどこだー!」

「……秘密」


 盤面の戦いが激しくなると、徐々にリーゼロッテの長考が増え始める。

 ゆったりと流れる夜の時間は、アネトも気付けば妙に気持ちが安らぐのを感じていた。こういう時間は楽しくて嬉しいが、宿題を忘れたら担任のエノアに怒られる。

 特務科では他の学級と違って、全ての科目をエノアが一人で教えていた。


「よーしよしよし、チェックメイト! どうよ? どうよどうよー、アネト!」

「はあ、なるほど。ふむふむ」

「わたしが勝ったら、そうね……週末のお買い物に付き合ってもらおうかしら?」

「それは大変だ、逆転の一手を考えなきゃ」

「なによ、嫌なの?」

「リゼねえのファッションショーに付き合うと、それだけで一日が終っちゃうからね」


 加えて言うなら、荷物持ちも楽じゃないし、一応は養われている人間としての礼節もある。あくまでもこのこの家の後継者はリーゼロッテで、アネトは養子にすぎないのだ。

 休日は読書や勉強、あとは執事としての仕事に専念したくもある。

 だが、なんでも着こなす義姉の独壇場は、周囲の客さえ足を止めるほど華やかだった。


「よし、逃げよう」

「逃がさないぞー、えいっ!」

「そうくるよね、うん。それで、ここがこうなって」

「甘い甘いっ! ……あ、あれ?」


 難なくアネトは逆転した。

 リーゼロッテとの休日が嫌な訳ではないが、勝負となれば手を抜かない。いつでも真摯に本気で相手をする、それはリーゼロッテの日々の暮らしから学んだことだった。


「はい、チェックメイト。んー、今日は結構手こずらされたなあ」

「げっ! ちょ、ちょっとタンマ! ……マジで詰んでる?」

「じゃあ、リゼねえ。今日もお疲れ様、おやすみなさい」


 ぐぬぬと唸る義姉もまた、なかなかにかわいいところがある。

 そうして立ち上がったアネトの前に、転がるようにしてリーゼロッテが立ちふさがった。彼女の方が身長が高いが、グイと前掲して上目遣いに睨んでくる。

 拗ねたようなふくれっ面もまた、かわいいものである。


「さあ、お願い事は?」

「部屋に戻らせてください」

「それは駄目! あんた、普通にこのまま帰るじゃない」

「そうかあ……まいったな、なにも考えてなかった」

「もう一戦チェスをやるとか、やっぱりトランプもやりたいとか」

「参ったな、カードの戦績だと僕の分が悪い。リゼねえは強運というか、悪運というか」


 全くなにも考えていなかった。勝とうとすることに夢中で、アネトはそのあとのことを失念していたのだった。とはいえ、こういうことをおざなりにするのは義姉のプライドが許さない。少し面倒臭い話なのだが、リーゼロッテは一度として約束を違えたことはないし、誰に対しても誠実だった。


「じゃあ、リゼねえ」

「おう! なんでもばっちこーい!」

「……本当の名前を教えて。リーゼロッテ・サテュレーネの人格が持つ、以前の名を」

「な、中の人の? そうきたかあ……そっかそっか、うんうん」


 身を起こして腕組みをすると、なぜかリーゼロッテは懐かしそうに眼を細めた。

 異世界からの生まれ変わりというなら、以前の名前を持っているはずである。


「リゼ、緋川リゼよ。高校三年生、17歳。加えて言うなら……全校生徒が知る超有名な負けヒロインよ!」

「またそれ。負けヒロインっていうのは」

「それは秘密。……わたし、負けヒロインって大嫌い。あんな想いはもう、誰にもしてほしくないもん!」


 もん、ってそんなかわいく言われても、アネトにはチンプンカンプンだ。

 だが、負けてよしとするのは難しいし、納得のゆく敗北というのは前例が少ない。恋愛無敗とアトラクシアで呼ばれ、紅蓮の魔女とさげすまされ、高嶺の花ゆえに挑戦者が絶えない。そんなリーゼロッテ……リゼのことが、アネトは前から気になっていた。


「おどろいたな……リゼねえ、本当にリゼって名前だったんだ」

「加えて言えばサッカー部マネージャー、あいつの幼馴染で家が隣同士。小さい頃は小学三年生まで一緒にお風呂に入ってた! ……初キスも、その先も……捧げたのに」


 不思議とリーゼロッテが身を震わせていた。その見えない寒さに凍えるように、己の肩を抱く。アネトは、そんな義理の姉を抱き寄せ背中をポンポンと撫でてやることしかできなかった。

 緋川リゼ、それがリーゼロッテを宿主として蘇った負けヒロインの名前なのだった。

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