第2話「転生者と転移者と」
昼休みの見世物は終わったとばかりに、生徒たちが散り散りにさってゆく。
その興奮と感動に満ちた声をよそに、アネトは生徒会室へと向かった。この時間は、生徒会のメンバーたちは各々の派閥を率いて学術院中に散っている。
生徒会のメンバーは会長を筆頭に、皆が有力な貴族の出にして優等生だった。
ドアを叩くと、優雅な声が「どうぞ」と響く。
入室すれば、自分の執務机に腰掛け足を組む、副会長の義姉が佇んでいた。
「お疲れ様、リゼねえ」
「あら、あの程度でわたしが疲れると思う? 楽勝よ、楽勝」
「……地が出てらっしゃいますよ、リーゼロッテお嬢様」
「っ、ふ、二人きりだからつい……まあ、壁に耳あり障子に目あり、ですしね。オーッホッホッホ!」
長い足を組み直して、腕組みリーゼロッテが高笑いを響かせる。
アネトの義姉は時々、妙な言葉を使う。先程の戦いも「ギアを上げる」とか言っていたが、どういう意味だろう。壁に耳あり障子に目ありなんて慣用句は、聞いたことがなかった。
そして、彼女はアネトの前でだけは、被った猫を脱ぎ捨てる。
そう、悪役令嬢の素顔はごく普通の17歳なのだった。
「でも、リゼねえ。いつもいつも、どうしてあんな面倒なことを?」
いつもは胸に沈めって黙るが、今日ばかりはさすがにアネトも疑問をぶつけてみた。
交際は断る、アトラクシア・デュエルで勝てばそれで終わりではないか。
それなのに、いつもリーゼロッテは相手の周囲を調べさせるのだ。
「……もう、誰にもあんな思いをしてほしくありませんもの」
不意にリーゼロッテが、可憐な美貌をかげらせる。彼女はふと、大きな窓から差し込む西日に目を細めた。すでに春の太陽は頂点を過ぎ、帰路へと傾きつつあった。
「わたくし、もう二度と負けヒロインにはならなくてよ。そしてっ、誰も負けヒロインになんかしませんの!」
「負け、ヒロイン? また妙なことを言うんだね、リゼねえ。それって?」
すっと脚線美を持ち上げて、その反動でリーゼロッテは執務机から飛び降りる。
そして、真っ直ぐアネトの前で身を正す。
もともとアネトより長身な上に、ヒールの高さが身長差を強調していた。あんな靴でも難なく戦える、まるで踊っているように大鎌を振るう美しき死神。そんなリーゼロッテが、翡翠のような瞳でアネトを見詰めていた。
「アネト……わたくしが実は、別世界の生まれ変わりだと言ったら信じられて?」
「ええ」
「っ、即答! そ、そういうところですわよ、アネト! と、とにかくっ! 恋路に負けて散るような乙女は救うべきですわ。恋の病に患う者も、救われるべきなのです!」
ときどき、リーゼロッテは妙なことを言う。
自分は実は、別世界で生きていた記憶を持つ生まれ変わりなのだと。輪廻転生という、教会とは全く別の死生観でこの地に産み落とされた人間なのだという。
まあ、わからなくもない。
本人がそう言うのなら、そうなんだろう。
実際、アネトも突然この世界に放り出された人間だ。だからか、紆余曲折を経て偶然リーゼロッテに出会えた時、彼女はあっという間にアネトの事情を察してくれたのだ。
そして今は、義理の姉と弟として暮らしている。
「ようするに、わたくしが転生者、そしてアネト……貴方は転移者ということですわ」
「転移者? つまり、僕も本来はこの世界にいるべき人間ではないと」
「いーえっ! 違いますわ。必要とされたからこそ、呼び出されたのです!」
「僕にはその記憶はないけどね。まあいいや、なにか飲む? リゼねえ」
「いつものをお願いしますわ……それと、貴方の者とは別に紅茶を一杯」
おや、と思った時には再びノックの音が響く。
そして、室内の返事も待たずに豪奢なドアが開かれた。
子犬のように、小柄な女性とが駆けこんでくる。
胸に結んだタイの色で、アネトと同じ一年生だと知れた。
「お姉さまっ! リーゼロッテお姉さま! お怪我はありませんか? わたし、先程はひやひやしました」
「落ち着きなさいな、メリア。淑女として、今の態度はいかがかしら?」
「はっ! も、申しわけありません……どうしてもまだ、田舎暮らしの癖が抜けなくて」
「でも、それだけわたくしを心配してくれたのね。フフ、お礼に一緒にお茶でもいかがかしら」
早速準備に取り掛かるアネトだが、メリアの存在は以前から知っていた。よく会う顔見知りで、この生徒会の末席に名を連ねる書記見習いである。同じ一年生だが、アネトとは違って魔法科の生徒だった。
「アネトさんもこんにちはっ! お疲れ様です」
「ああ、どうも。えっと、メリアはお砂糖二つにミルクでいいんだったよね」
「お、覚えててくれたんですか?」
「記憶はないけど、記憶力には少し自信があるのさ」
忘れもしないし、忘れられない。義姉のリーゼロッテをお姉さまと呼んで慕う、平民出身の学年トップ、それがメリア・メリアだ。家名がない身分の出なので、名前をそのままファミリーネームにしてしまっているのである。
本来ならば、平民の出ゆえに埋没してしまう少女かもしれない。
だが、リーゼロッテとはまた別の美貌が眩しく、金髪のショートボブが愛らしい。そして、魔法を使えば三年生レベルという秀才だ。
「それと、なぜか時々視線を感じる……僕なんかを見て、なにが面白いのか、と」
「はい? アネトさん、なにか言いました?」
「いや、別に。さあ、熱い紅茶をどうぞ。リゼねえも、いつものを」
湯気に入り混じる香りが、ふわりと優しく広がる。
応接用のソファとテーブルに場所を移して、ささやかなお茶会が始まる。
リーゼロッテはいつも通り、角砂糖が七個入ったカフェオレを手に満足そうだった。貴族といえば紅茶だが、彼女は不思議とこれをコーヒー牛乳と呼んで好むのだ。
「でも、お姉さまは今日もデュエルにお勝ちになって。すでにもう、あちこちで噂になってますっ!」
「オーッホッホッホ! このわたくしと交際しようなんて、十年早いですわ!」
「十年、早い、ですか。そ、そうですよね! あと十年は修行しないと」
「でも十年後のわたくしは卒業してますし、きっと世界中を大冒険ですわ……アネトと一緒にね」
この国、オーレリア帝国は大国ながら、列強に囲まれ難しい地政学のド真ん中にある。ゆえに、昔から戦乱も絶えず、こうしてアトラクシアのような学術院での人材育成に力を入れている。
世界中の災害や怪異、モンスターやダンジョン等のために卒業生は派遣されるのだ。
いわゆる冒険者という生業の人材育成と派遣、これが国の主な産業である。
「素敵です、お姉さまっ! その時は是非、わたしも連れていってほしいです」
「ええ、よくてよ。身分なんて関係ありませんもの、今のうちに魔法の力を磨いておきなさいな」
このアトラクシアの大半の生徒は、魔法科や騎士科、法術科に所属している。そして、どこでも基礎魔法のカリキュラムは繰り返し徹底して教えられていた。
だが、アネトにはその授業を受けたことがない。
昼休みの終わりを告げる鐘の音を聴いて、彼は自分の所属する秘密学級へと戻ることにするのだった。