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第11話「闇夜の刺客に痛みの花を」

 その後は、再びアネトは執事の仕事に戻った。

 今日の報告をしてから、メイド長のエルメラは心ここにあらずといった様子である。無理もない、自称悪役な我が家の御令嬢が、帝国の皇女様に喧嘩を売ったのだから。

 で、当人のリーゼロッテはといえば、


「リゼねえ、入るよ。……あれ? リゼねえ?」


 爆睡していた。

 私室を訪れたアネトは、ベッドの上のあられもない姿に顔を手で覆う。

 それは、年頃の乙女がさらしてはいけない寝相だった。パートナーが一緒だったら、恐らくベッドの外に蹴り飛ばされているに違いない。

 しっちゃかめっちゃかな手足をそっと優しく布団に入れる。

 なんやかやでリーゼロッテも、今日は疲れたのだろう。


「それにしても、よく寝てる。学術院のファンたちが見たらビックリするだろうな」


 リーゼロッテは公爵家の御令嬢……そして、自称悪徳令嬢で引き分けヒロイン。誰とも付き合わないが、誰にも失恋させないことをモットーとしているのだ。

 その奇妙なこだわりが失われるのは、彼女がアトラクシア・デュエルで負ける日。

 そしてそれは、当分訪れそうもないとアネトは確信していた。

 彼女の濡れた寝言を聞くまでは。


「……どうして、なんで……わたしじゃ、ないの……? あんなに一緒だったのに。一つ、だったのに」


 その言葉と共に、閉じられた瞼をこじ開けるように光が頬を伝った。

 突然のことに驚きつつも、アネトはそっと手でその涙をぬぐう。

 彼が異変を察したのは、その瞬間だった。


「ん、外に殺気? 数は、3。いや、4、5……どんどん増えてる」


 訓練された鋭敏な感覚が、この屋敷の敷地に敵意を察知した。まるで抜身の刃が光るように、その強烈な害意を隠そうともしない。それに、かなりの手練れの気配だった。

 即座にアネトは、リーゼロッテの私室の窓を開け放つ。

 三階だったが、問題なく飛び出して地に降り立った。

 そのままの勢いで転がり茂みに身を隠して、今出た窓を見上げる。

 リーゼロッテには悪いし危険だが、あえて弱点を見せれば敵の動きはわかりやすかった。


「へっ、間抜けが! そこにいたか、紅蓮の魔女っ!」

「間抜けはあなたですよ、ええと……強盗、でもないし、刺客、でもないし」


 すぐにアネトは、闇を滑る影のように移動した。その先で、窓を見上げる巨漢を発見した。すぐ背後でささやいてやって、驚き振り返ったところに拳を振りかぶる。

 不意打ちの一発は黒ずくめの男を強打し、その意識を根こそぎ奪った。

 まず一人……不確定名:不審者を拘束、しようとした。

 その瞬間、背後でうなるような低い声が呪文を詠唱する。


「凍てつく刃よ、我が牙となりて敵を引き裂け! いけっ、氷の礫よ!」


 中級レベルの氷魔法だ。

 当たればダメージはもちろん、その凍える冷たさで全身の感覚が失われる。

 だが、直撃を受けてなおもアネトは平然と拳を構えた。


「ああ、うん。魔法でしたか。なら、問題ないですね……二人目っ!」


 アネトには魔法が通じない。ありとあらゆる魔法は彼に振れるあけで消えてしまう。

 そのことを身をもって知った敵は、やや年嵩の男だ。やはり、同じ黒づくめの装束で、暗い人影がビクリと身を震わせていた。

 遠慮なくアネトは、距離をつめて肉薄、顔面に膝蹴りを叩き込む。

 だが、大きくよろめきながらも、悪漢は素早く逃げ出した。同時に、周囲に煙が広がってゆく。基礎魔法の初歩的なもので、ようするに煙幕だ。


「逃がしたか……さっきの男も? くっ、詰めが甘いな、いつも僕は」


 先程失神させた男も、仲間の手で運ばれて遠ざかる。その気配を煙の中で見送りつつ、アネトは自分の未熟さを呪った。

 だが、リーゼロッテは無事らしく、屋敷に侵入された形跡もない。

 その理由が、ずるずると哀れな獲物をひきずる肉食獣のように現われた。


「何人やりましたか? アネト。敵は引いたようですね」

「あっ、師匠。そ、その人は」

「これですか? 加減したのでまだ生きています。いろいろ聴きたいこともあるでしょうし」


 眼鏡のメイド長は、汗一つかいていない。さすがはアネトの格闘技の師匠である。しかも、余裕で一人を捕縛、生け捕りにしたようだった。

 彼女は細腕一本で小太りの男をくびりあげて、その頬をバチィン! と貼り倒す。

 三発ほどメイドビンタを喰らったあたりで、男は意識を取り戻したようだった。


「う、あ……ここは? 俺は、どうして」

「ここはサテュレーネ公爵家の御邸宅です。そして貴方は、不法侵入した不審者」

「あ、ああ。こっ、これには訳があるんだ! 実は」


 慌てて狼狽える男を、パッと手を放してエルメラは見下す。そして、そのまま腕組みつつ大の字に落下した捕虜の下腹部をヒールで踏んだ。


「っ、ふお! あ、あがが……」

「謳いなさいな、哀れな刺客さん。すぐに吐けばよし、そうでないなら」


 ギリギリという音が聞こえてきそうで、思わずアネトは内またになってしまう。

 メイド長のエルメラは氷の女、そして鋼鉄の淑女だ。その冷たい視線に眇められて、男はかわいそうに涙目になっている。

 そしてなぜか、ちょっと嬉しそうだった。


「ぼ、坊ちゃんに言われて、紅蓮の魔女を……リーゼロッテ嬢を。少しだ! ちょっと脅して驚かせば、おとなしくなるって」

「ほかには?」

「本当なんだ、それだけなんだ! 坊ちゃんの親は俺たちの上官、陸軍大臣だ。だから」

「ほ・か・に・は?」


 エルメラがぐりぐりとヒールをツイストさせる。

 恍惚にも似た悲鳴をあげて、男は最後の真実を吐き出した。


「少し、ほんの少し、傷ものにしてやれって! で、でも、してない! できなかった! もう許してくれ……つ、潰れちまうよぉ!」


 フン、と鼻を鳴らしてエルメラが脚をどけると、男はよろよろと立ち上がる。そのまま股間を両手で押さえながら、静かに闇夜に溶けて消えた。

 だが、事体は深刻である。

 アネトはざっくり端的かつ丁寧に話をまとめて、エルメラに事情を話した。

 一応昼間にモ報告した事件だったが、リーゼロッテの大活躍にはまだ続きがあったのだ。軍人の息子として恥でしかない、悪感を雇っての夜襲攻撃である。

 だが、アネトとその師がいるこの屋敷は難攻不落の要塞にも等しい。

 落としたいなら一個大隊くらいの戦力で攻めてきてほしいものだ。

 そんなことを思っていると、頭上から声がした。


「なんの騒ぎです? あら、アネト。エルメラも。なにかありまして?」


 三階の窓に花が咲いた。

 星明りと月光の中に、真っ赤な髪を夜風に遊ばせるリーゼロッテが現れたのだ。

 すかさずエルメラがかしこまって片膝をつくので、アネトもそれに倣う。


「申し訳ありません、お嬢様。少々ネズミが出まして」

「ふーん、そう。ネズミねえ、ネズミ……それで? エルメラ、首尾は上々?」

「陸軍大臣の息子の手によるものと割れました。どうなさいますか? お嬢様」

「ん、いいわ。お疲れ様、怪我はないわね? アネトも」


 凄い、寝起きの直後であるにもかかわらず、リーゼロッテは完璧に猫を被りこなしている。アネトだけに見せる謎の転生者、どこにでもいる町娘のような素顔は全く感じられない。

 学術院の外でも、彼女はその気になればいつでも紅蓮の魔女でいられるのだった。


「僕たちは大丈夫です。で、どうしましょうか、お嬢様」

「御命令とあらば……私が追いますが」


 エルメラの言葉は静かだが、不気味なすごみがある。

 彼女なら本当に、今から追跡して追いつき、その背後の人間もろとも成敗してしまう可能性がある。それはそれで大事だが、アネトの師ならそんなの文字通り朝飯前だ。

 惨劇の夜を演出して尚、明朝には全員の朝食を給仕しているだろう。

 だが、あくびを一つしてリーゼロッテはそれを止める。


「いいわ、今日はもう休んで頂戴。学術院でのことは、わたくしが学術院でケリをつけますわ。ふふ、教育してさしあげましょう。貴族の闘争のなんたるかを」


 それは、蒼い月光が照らす冴え冴えとした魔女の顔だった。

 見目麗しい美少女が、まさに悪役令嬢……否、もはや悪逆令嬢といった寒々しい笑みに目を細めている。

 身震いするほど美しいと思ったし、アネトは目が離せなかった。

 だが、一礼してエルメラが場を辞するので、それに続こうとしたその時だった。


「ああ、ええと……アネト? ちょっと」


 呼び止められてアネトは、肩ごしに三階の窓を振り返る。

 そこには、仮面を脱ぎ捨てたいつもの自堕落でざっくばらんとした笑顔が輝いていた。


「なにか御用でしょうか、お嬢様。……あ、いや、リゼねえ」

「おうー、御用だぞう! 変に起きちゃったから寝付けなさそう、部屋にホットミルクをお願い。あと、寝入るまで少し付き合いなさい。いいこと?」

「はぁ、ホットミルクですね? ……ブランデーを少々たらしたもので?」

「駄目よ、ブランデーをたーっぷりと」

「未成年ですよね、リゼねえ」

「そうよ? 大人だったらホットミルク抜きのブランデーがほしいところだわ」


 唯我独尊、悪役令嬢は自分の欲に忠実で正直だ。

 やれやれと思いつつ、窓を閉めて待つようにアネトは伝える。

 その後はキッチンでミルクを温め、面倒だからブランデーのボトルを手にリーゼロッテの部屋を再び訪れることになるのだった。

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