第10話「リザルトはディナーと共に」
その日の夕食、リーゼロッテはリナリアを食卓に招いた。
本来ならば、メイドたちは使用人、別にキッチンの隣の部屋で当番制で食事を取っている。この招待はいわば、リーゼロッテなりのお詫びの印なのだ。
執事見習いながらも養子であるアネトは、義姉のそんなところが好きだった。
「いやしっかし、なんですかあの人! あの人がこの国のお姫様なんですか!」
「ええ、そうでしてよ。ごめんなさいね、リナリア。怖い思いをさせてしまって」
「いーえっ! むしろ貴重な学術院での思い出ができましたっ! あ、これおかわりで!」
メイド長のエルメラが、眼鏡の奥で瞳を鋭く尖らせた。
だが、悪びれないリナリアに溜め息をこぼすと、ビーフシチューの三杯目を取りにキッチンへ行ってしまう。リナリアは立場的にはエルメラの部下なのだが、あくまでお嬢様の招待客として万全の礼節を働かせていた。
さすがは師匠だと、アネトも感心する。
「それにしても、リゼねえ。今日こそはやばかったんじゃないかな」
「あら、どうしてかしら?」
「皇女殿下の親衛隊の中でも、今日のあの大男は有名だよ? 確か陸軍大臣の御子息だったような」
「ああ、陸軍大臣? ははーん、それで騎士科にね。騎士の位を持つ者、騎士団の下部組織だものね、陸軍は」
彼には彼なりに、背負った家の事情があったかもしれない。
リーゼロッテを見事に負かして、未来の伴侶として迎えれば違う将来が開けたろう。
だが、それは全て仮定の話で、しかも実現しなかった過去の話だった。
その話を聞きつつ、ドスン! とリナリアはフォークでローストビーフを串刺しにする。それを口に運んで咀嚼しつつ、お行儀悪く食べながら話を続けた。
「でも、おかしくないですかあ? なんで皇女殿下の親衛隊なのに、お嬢様と……皇女殿下が好きで取り巻きやってるんじゃ」
「そこが貴族制度の難しいところでしてよ? リナリア。ま、たんとお食べなさいな」
「はいっ! やっべー、普段作ってる御馳走って、こんなに美味しかったんだあ」
そう、シャルフリーデの周囲にいるのは、全てが皇女殿下という蜜に群がる虫のようなものだ。皆、お家のために覚えめでたい活躍をしたくてはべっているのである。
その資格すら得られない生徒たちは、巻き込まれぬよう距離を取るだけだった。
でも、今日はアネトも見てしまった。
リーゼロッテは気付いていないのか、知ってて触れないのは、それはわからない。
だが、リーゼロッテが神代魔法を使おうとしたとき、シャルフリーデは基礎的な対魔法防御の術でアネトとリナリアを守ろうとしていたのである。
「あーっ、おいしいいいいいいい! わたしたち普段、こんなの作ってたんだあ!」
「ふふ、残りはメイド仲間たちで夜食にでもわけてね。毎日本当にお疲れ様ですわ」
「いやほんと、リーゼロッテお嬢様みたいな人の家で働けてよかったですよ! あ、ほら、アネトもこれ食べなー? こっちも美味しいよー?」
ドカドカとアネトの皿にリナリアが料理を盛り付ける。
無造作に見えて、なかなか綺麗に、そして大量にモリモリ盛ってくれた。
若くとも彼女はオールワークスメイド、この屋敷では格上のメイドになる。もっとも、メイド長のエルメラには怒られてばかりで頭が上がらないのが実情だった。
「シャルフリーデ殿下の御心、これは誰にもわかりませんわ。ただ」
「ただ?」
「あの方が次代の女皇帝か、それとも皇帝の国母になるか、それはわかりません。ただ。もしこのオーレリア帝国に危機あらば……わたくしたちは彼女のために死ぬ覚悟が必用でしてよ」
もちろん、アネトは知っている。
口ではそう言ってても、リーゼロッテには全然その気がないということを。
異なる世界の前世を持つ魔女は、いかなる権力にも権威にも屈しない。自分が思う通りに行動し、自分が信じる気持ちを貫くことを是としているのだ。
それが小さい頃から一緒のアネトには、嫌というほどわかる。
時には、その愚直なまでの覚悟に随分と嫌な思いもさせられてきた。
でも、嫌いになったことは一度もなかった。
「まあ、うんざりしたことは何度かあったかな?」
「あら? アネト、どうしまして?」
「ああいえ、こっちの話です。でも、今日はさすがに肝が冷えましたよ」
「ふふ、皇女殿下のお尻はどうだったかしら? 是非感想が聞きたいわね、アネト?」
「からかわないでください、リゼねえ」
バクバクと食べ続けながらもリナリアもアネトにニヤニヤとした笑みを送ってくる。
年頃の少女のヒップラインを楽しむ余裕なんて、なかった。
一歩間違えれば、その場で殺されていたのだ。
魔法科で成績こそ中の上といった程度だが、シャルフリーデが強烈な魔法の使い手だという話は学術院では有名だった。三年首席のリーゼロッテが神代魔法を駆使しても、互角に戦えるかという話である。
そのシャルフリーデは二年生で、授業にも出たり出なかったりで自由気ままに学園生活を謳歌しているようだった。
「まあ……よくあるやんごとなき身分特有のモラトリアムでしょうね」
「モラトリアム? リゼねえ、それって」
聞き覚えのない言葉をこぼしつつ、そっとリーゼロッテはナイフとフォークを置く。アネトとは違って実に小食、リナリアに比べたら二、三口食べたかどうかという量だった。
それでもフルコースの料理を最後まで綺麗に食べ終え、唇をナプキンで拭く。
デザートとお茶を取りにメイドたちが去る中、彼女は意外なことに声を湿らせた。
「高い身分の人間ほど、自由がないものなのよ。まして彼女は皇女、両親が決めた婿を得ることからも、この帝国の玉座からも逃げられない。今だけしか自由がなくてよ」
「ほへーっ、そう言われてみれば……お嬢様の言うことももっともですね!」
「そう、だから多少のわがままは許してあげてほしいのですわ。まあでも……わたしの身内に手出ししたらブッ殺すけどねえ? って、やだあら、オホホホホ」
リゼねえ、顔! 顔! と思わずアネトは焦る。
たまに地が出る、本来のリーゼロッテは前世の人格と性格を引き継いだラジカルな少女である。割と喧嘩っぱやいし、ちょっと隙を見せればだらしなく自堕落な女の子だった。
だが、不思議とそんな素顔の彼女がアネトは一番好きな気がする。
「まあ、わたくしは今年で卒業ですし……一年生のアネトは大変ね、この春からまるまる二年近く殿下と一緒なんですもの」
「まあ、うまくやりますよ。……絶対に関わりたくはないですけど」
「けど、不思議よねえ? 殿下は妙にアネトのことを気にしてるみたい。ふふ、それはメリアも同じみたいで。困りましたわね……どっちも勝ちヒロインになれないかしら?」
言われてみてアネトは、秘密学級である特務科のことはあえてふせておくことにした。そのリーゼロッテの言い回しが、好意を寄せてくる乙女を表しているなら大変なことだ。なにせ、同級生には北方蛮族の族長の娘、ギレッタがいるのだ。
全く御互い接点もないが、サーティンの視線も時々感じる。
だが、オーレリア帝国には一夫多妻制もないし、逆もしかりだ。
「ま、安心して頂戴、アネト。わたくしの目が黒いうちは、悪い虫がつかないようにしっかり守ってさしあげましてよ?」
「悪い虫、ですか」
「ええ。妖しくも美しい鱗粉をまとった、極彩色の蝶たち。あるいは闇夜に羽撃たく蛾の類」
「……うーん、まあ、まずは僕自身が気をつけます」
物騒な話が妙にリアルな時間が、アネトの一言で終わった。
エルメラとメイドたちが、デザートと一緒にお茶を運んでくる。リーゼロッテには例の、滅茶苦茶砂糖を沢山入れた甘ったるいカフェオレだ。
リナリアはお茶など初めてのような顔をして、レモンやらミルクやらを足してみている。
アネトも紅茶を楽しんでいると、そっと横にエルメラが立った。
彼女はすっと眼鏡のブリッジを指で押しあげつつ、アネトにだけ聴こえる声を呟く。
「アネト、報告を。学術院でなにかありましたか? お嬢様に異変が見られます。これは稀によくある……というか、幼少期から何度かあった異常事態ですが」
ああ、あの話かとアネトも苦笑した。
そして、リナリアと談笑するリーゼロッテに聞こえぬように言葉を選ぶ。
「今日、リナリアが学術院に馬車で迎えに来てくれて」
「ええ、街への遠出の買い物でもありましたし、私がそう命じました」
「リナリアを軽く案内して学術院見学してたら……シャルフリーデ皇女殿下に絡まれたわけです」
一瞬、空気が凍った。
つまり、今日リーゼロッテがやらかしたことはそういうことなのだった。
この魔法文明の封建社会は、絶対的な身分制度が現在進行形で生きている。ここは中世のド真ん中、剣と魔法のファンタジー世界なのだった。
記憶がないから、アネトは「まあ、そういうもんなんだ」と受け入れて生きてきた。
だが、どうやら前世はもっと違う世界で生きてたらしく、リーゼロッテは常に強気で勝気、そして己の信念を曲げない女の子だった。
「……な、なにか皇女殿下に失礼は」
「デュエルしかけました。っていうか、皇女殿下の取り巻き……騎士科の男子をブッ倒しました」
一瞬、くらりとめまいを覚えたようにエルメラはよろけて、そして踏み止まった。
リーゼロッテがやったことは、それくらい家にとって危うい行動だったのである。
エルメラは奥方亡き今、伯爵から「家とリーゼロッテを頼む」と全幅の信頼を受けている身なのだ。だからこそ、ちょっと間違えばお家お取り潰しな話には身も凍る重いだろう。
「そ、それで、どうなりました」
「リナリアをひざまずかせ、僕を足蹴にしたあげく人間椅子にした殿下に、リゼねえは大変にお怒りで……っていうか、軽くキレてしまって」
「はあ……」
「でも、殿下は笑ってましたよ。あの人も、リゼねえくらいしか張り合いのある人間がいないんだと思います」
実際そう思うし、あの学術院で正面切ってシャルフリーデに立ち向かえるのはリーゼロッテだけだった。そしてアネトは、ふと思う……夕食後のプライベートタイム、リーゼロッテの相手をする仮面のない夜は長くなりそうだ、と。




