【本編最終話】 終の住処
冬風が冷たく感じる頃、トリシアの貸し部屋二号棟は無事に完成した。外観はほとんど変わっていないが、屋敷の中は多くの個室が出来上がっており、入居者達を今か今かと待っている。
「20部屋か~! 扉がいっぱいだ」
「巣の方に比べたらかなり多いよなぁ」
まずは巣の住人へお披露目をした。アッシュが扉の数を見て驚いている。その後ろではピコがペタペタと歩き回るのをダンが追いかけていた。
「それに管理人室が2部屋あるので最大22名……いや、23名が生活することになります」
これに追加して家主用の部屋もあるが、実質ゲストルームのような扱いだ。トリシアはあくまで龍の巣で生活をする。
アッシュからの縁でダイナとその息子のイーズが。ダンとハービーから出来た縁でレックスがこの二号棟の管理人として働くのが決まっていた。本来は管理人用の部屋は一室だけだったので、急遽倉庫用の部屋を作り変え部屋数を増やしたのだ。
(管理人が二人いると思うと安心感も倍になってよかったわ)
本来管理人は一人のつもりだったが、心配性なトリシアにしてみると結果的に安心材料が増え、なんでこの考えに至らなかったのだろうと思ったくらいだ。
(龍の巣は私とティア、二人体制みたいなもんなのに~……まあ私はなんにもしてないけど……!)
「あの……本当にありがとうございます」
「あんないい部屋を用意してくれてるなんて」
レックスとダイナが立て続けに礼を言う。
「こちらこそ。いい人に来ていただいて嬉しいです」
明日から冒険者達が入居してくる。ダイナとレックスはさっそくこの二号棟で生活するのに必要な情報をまとめてくれていた。屋敷内のルールだけではない。雑貨屋やカフェにパン屋に食堂まで、近隣の情報が詰まったマップまで用意してくれていた。
『一応、入居者一人一人に口頭で説明する予定です』
『読み書きが得意じゃない冒険者も多いからね』
レックスは穏やかで勉強好きの非力なタイプ。だが、生まれも育ちも冒険者の街エディンビアだけあって彼らに物怖じすることはなかった。
ダイナの方は腕っぷしの強い冒険者というだけあって、有象無象の冒険者に舐められる心配は少しもなさそうだった。
だがトリシアが彼らに抱いた好感はこれだけが理由ではない。
二人ともすでに巣の方でティアにレクチャーを受けていた。犯罪奴隷であるティアに対する態度を見ても、トリシアは《《アタリ》》だと思わずにはいられなかった。
「家賃は……一月大銀貨2枚?」
「……高いの?……安いの?」
「や、ややや安いです!」
「でも……私達の部屋の方が広いけど、そんなに変わらない」
「ぼ、僕達の借り、借りてる部屋が、やや、安すぎるんです!」
双子とハービーは家賃について話し合っていた。双子は宿屋の相場がまだわかっていないが、ハービーの方はあちこち泊まろうとはしてきたので多少知識はある。
「ぶっちゃけこっちの方が費用は安く収まっちゃって。二回目ってのもあるけど」
クラウチ夫妻が壊れた魔道具を取り扱う店を紹介してくれていた。それにトリシアがコツコツと集め、彼女の部屋を占領し始めていた魔道具も沢山ある。
さらにエディンビアでは最近、建物の拡張や改装にともなって古い家具を売りに出す家も多くあったのだ。二号棟の部屋数を増やすため、部屋自体は同じような配置にしたが、各部屋は全く違う家具が置かれたことにより個性ができ、トリシアは満足していた。
「コインロッカーが玄関にあるのね」
「ここのはコインなしのただの鍵付きロッカーだけどね。部屋があまり広くないから冒険用の道具くらいはしまえるようにしたの」
エリザベートが住んでいるゲストルーム用の部屋よりも一回り部屋が小さいのだ。玄関ホールは広いので、各部屋用のロッカーを十分に置くことができた。
「最低1ヶ月から借りられるんだって?」
「そうです。1ヶ月以上は日割りで利用できますよ」
「この街に来る冒険者が数日しか滞在しないなんてこと、なかなかないだろうしね」
リーベルトは小さな温室がとても気に入ったようだ。元の持ち主、ミール夫人が亡くなった時と同じように植物の住処となっていた。
「トリシアにしてはいい塩梅で出来てるじゃねーか」
「もっと家っぽくなるって思った?」
全員がうんうんと頷いている。全員、巣のような住み心地重視の……ずっと部屋の中で過ごし続けられるような空間になっていると思っていた。だがこの二号棟の部屋は宿屋よりもずっとプライベートが守られくつろげるが、龍の巣よりはずっと他者との距離が近い。
「まぁここは冒険者の街だしね。終の住処にできる家じゃなくって、あくまで旅の途中の……ほっと息をつける生活が出来る場所を目指してみました!」
「終の住処か」
ルークが繰り返したその言葉を聞いて、巣の住人のほとんどがトリシアの貸し部屋の自分達の部屋を思い浮かべていた。今更他のどこかで暮らす自分達が想像できなかったのだ。
(ルークの終の棲家はどこになるのかな)
彼はS級だ。どこからも引っ張りだこな存在。今だってあちこちから声がかかっていることを知っている。
(それがあの家であって欲しいなんておこがましい考えよね……でも……)
そう思ってもらえるよう、力を尽くそう、そういう自分になろうとトリシアは覚悟を決めていた。
そんなトリシアの気持ちを知ってか知らずか、ルークはなんだか物思いに耽っている。
「外には畑も家畜小屋もあったけどどうするんだい?」
「私とレックスが借りることになってんだ。まあ入居者が落ち着いてから本格始動だな」
リーベルトの問いかけにダイナがイーズをあやしながら答えた。ちなみに彼女とレックスはリーベルトが何者か知らない。リーベルトをただの育ちのいいお坊ちゃんだと思っている彼らは、その後彼の正体を知ると、ダイナは悲鳴を上げ、レックスは魂が抜けたかのように呆然と立ち尽くした。
ルークも窓から庭を眺めていた。これも前の住人が残していったものだ。玄関前に広がる整えられた庭と違って、裏庭の方は前の持ち主の趣味なのかやや庶民的で落ち着く。
「それにしても、まずは全室埋まって良かった~」
「そりゃそうだろ。お前らのコンディションを見れば日々の生活がいかに大切かわかるってもんよ」
アッシュは満足そうだ。彼はこっそりトリシアの二号棟募集の張り紙を目立つ場所に掲示していた。ギルドマスターとして冒険者が万全の状態で冒険に臨む環境を少しでも増やしたい。
「冒険者ギルドからは巣よりも離れちゃったから心配だったんです」
「俺達は冒険者だぞ。たかだかこんな距離移動することなんて気にしねぇよ」
「それもそうか」
前世で最寄駅からの時間を気にしていた事が懐かしい。あの頃は可能な限り歩きたくはなかった。
(まあ徒歩5分圏内の賃貸なんて家賃が高すぎて……)
いつの間にか世界を超えて、借りる方から貸す方になっていた自分の変化が面白く、トリシアはこっそり笑った。
その日の夜、トリシアの部屋の扉が遠慮がちにノックされた。
「あら? どしたの?」
「ん」
扉を開けるとそこにはルークが顔を赤らめて立っている。よく見ると耳まで真っ赤だ。そしてそのまま厚手の大きな革袋をややぶっきらぼうに差し出した。
「なにこれ!? 金貨の山じゃん!」
いったい何のお金かわからずトリシアは混乱した。
「払っとく」
「何!? 何を!?」
「……家賃」
ルークには珍しくぼそぼそと話す。
「こんなに高くないけど!?」
ここはお城じゃありませんけど!? と思わずトリシアはツッコんでしまった。
(なに!? 建物ごと買い取り……?)
あまりの金額に狼狽えているトリシアを見て、金を差し出したルークまでオタオタしていた。そして意を決したように声を張り上げる。
「ひゃ、100年分だよ!!!」
「はあ!?」
そうは言われてもやはり何が何だかわからない。トリシアにとってあまりにも唐突過ぎた。
「終の住処に決めた」
「終の住処……ああ!」
昼に話していた内容を思い出してトリシアは、渡された金貨の存在理由がわかって安心する。それどころか胸の中からぶわっと喜びの感情が体中に広がっていくのを感じた。
(こんな……こんな嬉しいことってある……?)
自分の人生でこれほど満ち足りた気持ちになったことがあるだろうかと、ルークの目をじっと見つめた。
「おまえの……おまえの側が俺の終の住処だから……!」
ルークは耳どころか指の先まで真っ赤になっていた。目まで潤んでいる。いつものカッコのいい彼ではない。どれだけ気合いを入れ、気持ちを込めた家賃なのか、トリシアにはよくわかった。
「あは! あはははは!」
嬉しくて、幸せで、トリシアも涙が込み上げてきた。
「はい。確かに受け取りました! 返金はできませんのでご了承ください」
「お、おう!」
ここがトリシアとルークの終の住処だ。必ず帰ってくる場所だ。
後にこの出来事はエリザベートから、
「なんて色気のないプロポーズ!」
と、言われることになった。エリザベートはこの二人の関係はただの色恋だけではないとわかってはいるので、ほんの少しだけ幸せ全開のルークに意地悪をしたかっただけだ。
「今日は夜ちょっと遅くなると思う」
「はーい! 気を付けていってらっしゃい!」
今日も龍の巣から冒険者達は仕事へと出かけていった。帰る場所があるという当たり前の幸せの中で、毎日を生きていく。
お読みいただきありがとうございました!
次章の構想もあるのですが、いったんここで一区切りとなります。
ここまで続けられましたのも皆様のおかげです。
今後、後日談と番外編を週1程度で更新予定です。
もう少しだけお付き合いいただければ幸いです!