第20話 先生
「お前変わったな」
「ん? どこが!?」
最近、朝晩はひんやりとした空気を纏っている。ちょうどトリシアが出かける直前、依頼帰りのルークが戻ってきた。彼は最近エディンビア領からの依頼で、ダンジョン内の時間別の魔物の動向調査をしていた。
なかなか時間が合わなかったので、軽く近状報告をしたところ上記の言葉が出てきたのだ。
(見た目!? 最近ダンジョン潜れてないし! 依頼もヒールオンリーばかりだし……ふ、太った!?)
予想外のセリフにトリシアはコッソリ自分の脇腹を触る。なんとなく、以前より腹の肉が掴めるようになった気がして現実を受け入れられない。
「ほら……前は何もかも慎重だったっていうか……何か一つ大きな行動をとる度にあーだこーだ悩んでたじゃねぇか」
「あ、そっちの話……」
(それはまあ自覚ある。冒険者としては過度なほど石橋を叩いて渡るタイプだったし)
トリシアは慎重派。依頼を受けるのも、ダンジョンに潜るのも、魔の森に入るのもいつだって準備万端だった。貸し部屋業を始める時だって計画的に貯蓄をし、場所の選定や間取りに内装まで時間をかけてじっくり完成させた。
「レックスの件、サクっと決断できたのはここでの生活があったからだよ。まさにみんなのお陰、ルークのお陰だね」
へへへ。と照れ笑いをしながら冒険者用のマントを羽織る。今日は今から孤児院へレックスに会いに行くのだ。
(なんとかなる。って思えるようになったら随分生きるのが楽になったのよね~経験値いっぱい溜まったからかな?)
失敗しても、痛い目を見てもトリシアにはもう帰る家がある。家族のような存在もいる。長らくこの世界ではなんの後ろ盾も肩書もなく生きてきたが、今はもうそうではない。
「というわけで、縁故採用の面談。行ってきまーす!」
「……おう! 気をつけてな」
ルークも以前よりあれこれ無駄な心配をしなくなっていた。
ハービーとは現地集合。孤児院はダンジョンに繋がる西門から少し歩いたところにある。彼はいつも早朝、ケルベロスの食事のためにダンジョンに潜り、お昼前にはいつも出てきていた。ダンは前日からどうしても、という指名依頼があったので今日は来られない。トリシアにお願いした分際で……と気にしていたが、もう採用は決まっているし、ダンがいてなにか変わるわけでもないからと、依頼先へ送り出した。
「ト、トリシアさーん!」
ハービーが孤児院の門の前で手を振っている。ケルベロスも尻尾をパタパタ振っていた。
「ハービー! ちょっと早かったかな?」
「だ、大丈夫です。行きましょう」
(うーん。ここもかなり年季入ってるわねぇ)
トリシアはこの街に来て孤児院へは数回出向いている。というのは、ヒーラーとして派遣されたのだ。この街で治療院を開いているヒーラーは、交代で月に1回程度、誰かしら孤児院に行くようにしていた。だがしばらく冒険者で溢れかえり、治療院の仕事だけでてんてこ舞いの日々が続いたので、魔力に余裕があるという設定のトリシアに話がいったのだ。
この国の孤児院は各領地で運営方法が様々。トリシアがいたウィンボルト領の孤児院は領によるものだった。ここエディンビア領には二ヵ所孤児院があるが、一ヵ所は神殿が運営する孤児院。そしてピコがいたこの孤児院は元々は個人が立ち上げたもので、あっちこっちからの寄付で成り立っていた。
「この孤児院を作った人が亡くなってしまって……でもそのままそこで働いていた先生方がなんとか引き継いでくれて成り立っているんです」
「そうだったんだ」
トリシアは現状が寄付で成り立っていることは知っていたが、すでに責任者が亡くなっていることは知らなかった。彼女は孤児院に来た時はいつも淡々と仕事をこなして帰った。でないと、いったい今頃何人の子持ちになっていたかわかったもんではない。
「あー! トリシアさんだー!!!」
「ハービーさんも来てる! レックスあっちにいたよ!」
「あれぇ!? 今日ヒールの日だっけ!?」
「プレジオ~~~!!!」
「今日は一緒に遊べる!?」
「先生ー!!!! ヒーラーの人が来たよぉぉぉ!!」
トリシアとハービーが門をくぐるとすぐにわらわらと子供達が集まってきた。同時に何人も話しかけてくるので、なにがなにやらわからない。
「はいはいありがと! 今日はレックスに用事があってね。先生にあとでお部屋に寄りますって伝えてくれる? 必要ならヒーラーのお仕事して帰りますって」
「ハーイ!!」
キャッキャとふざけあいながら子供達は走っていった。ケルベロスはチラリとハービーとアイコンタクトをとると、子供達と一緒に尻尾を振りながら庭の方へ向かっていった。
「ケルベロスが怖くないって今の子はスゴいねぇ」
「な、慣れってやつですねぇ」
レックスがいたのは孤児院の建物にある食堂の中だった。そこで話に聞いた通り、小さな子供たちに文字を教えている。
「あ! は、はじめまして! レックスです! この度は! この度はた、大変ありがたい機会をいただき! あの、ありがとうございます! 精一杯頑張りますので!!」
ハービーとトリシアが目に入った瞬間、大慌てで真っ直ぐ立ち上がり、ガチガチに緊張した表情でつっかえながら挨拶をする。トリシアはダンからハービーと似ていると聞いていたので、小柄で細身な姿をイメージしていたが、レックスは細身な点は同じだが、ハービーとは違いのっぽだった。髪の毛はクルクルふわふわしている。
「こちらこそよろしくお願いします」
トリシアも頭を下げる。レックスはどうやらかなり生真面目なタイプなのだとわかった。こういう時どういうか、あらかじめ誰かに聞いていたんだろう。
「早く来てごめん! ぼ、僕が引き継ぐよ」
そう言ってハービーはレックスがいた席へ座り、そのまま子供達の教師役を引き継いだ。
「こちらへ! 院長先生から来賓室を使っていいと」
来賓室は古くシンプルだ。だがとても清潔で、大切に使われているのがわかる。
あらためて二人は向かい合って座り、今後の予定について話し合う。レックスが孤児院にいられるのはあと一ヶ月ほど。その頃には二号棟に用意した管理人室には入ることができるようスピンにはお願いしていた。
「えっと、それじゃあこちらの条件を言うね。もし何かあれば気にせず質問してください」
「は、はい!」
レックスはボロボロのノートを取り出してメモの準備をする。
(おぉ~なんだか懐かしい~言われたことちゃんとメモするのね~!)
「まず一番大事な給金。毎月大銀貨三枚を考えてます。部屋代はもらわないので、純粋にこの金額まるまるレックスが使える金額になると思います。これは今から言うお仕事内容や条件を聞いてまた判断してください」
「さ、三枚ももらえるんですか!?」
予想以上の給料額だと、驚きと嬉しさで口が開けっ放しになっている。これは冒険者がギリギリ生活できるとされる金額だ。レックスは宿泊費がかからない分、この金額であれば多少余裕がある生活を送ることができる。
「仕事内容は、家賃の回収、簡単な掃除、補修箇所の確認、あとは冒険者の困りごとがあった場合、相談にのったり……必要以上のことがあれば、それぞれ有料で仕事を引き受けてもかまわないから」
報告だけお願いしますと、ティアがやっていることを思い出しながら話す。ティアはピコの託児業務を引き受けていた。今後似たようなものはないにしろ、イレギュラーな困りごとが出ないとも限らない。
「二号棟は特にキッチンが共同だから、できるだけ清潔さを保てるよう気をつけておいてね」
「任せてください! 掃除は得意なんです」
「助かるわ。私もなるべく顔を出すようにするつもりだけど」
それからもう少し具体的な仕事内容など、トリシアの言葉を一言一句聞き漏らさないようレックスは前のめりで話を聞き、メモを取っていた。
「最後に……魔法契約を結んでもらいたいの」
「もちろんです!」
内容はそう、トリシアの秘密を守るという契約魔法だ。
「ハービーにも話せなくなるけど。それは大丈夫?」
「……はい。仕事をしていればそのようなことがあるのは僕達、わかっています」
レックスはひどく真面目な顔で答えたが、でも、そこまで言うなんていったいどんな内容だ? と少し不安気になっていた。
「ま。たいした話じゃないのよ」
(最も知られたくない人にはもう知られてるしね)
フフフ。と思わせぶりにトリシアが笑ったのを見て、レックスはさらに緊張した面持ちに変わったのだった。
「それから。これはレックスがよければなんだけど……この仕事、短期じゃなくて長期で受ける気ないかな? もう一人の管理人なんだけど、もしかしたら年単位で忙しいかもしれなくって」
これはピコを見ていての感想だ。まだまだなかなか手がかかる。人手が多い方がトリシアとしても一安心。なんせ二号棟はこれまでより部屋数が多い。どんな冒険者がくるかわからないというのもある。
万が一レックスを手放した後、やっぱり誰か新しい人をとなった時、またうまく縁故採用できるかわからない。この世界、きっちりバックグラウンドがわかっているだけで相手の情報が増え、安心できるところがある。
(前世だったら縁故採用ってちょっと身構えちゃってたけど……人の採用って大変だしなぁ~)
世界が変われば事情も変わる。
「ありがとうございます! やらせてください!」
明るい表情のレックスから、期待通りの答えが聞けてトリシアも一安心だった。
その後、一通りヒーラーとしての仕事をこなし夕日の中孤児院を後にした。
「日が短くなったねぇ」
「本当ですね」
帰り道、ハービーはトリシアがレックスに好感を抱いたことが本当に嬉しかったようで、珍しく自慢するように親友のことを話していた。
「レックスはきっと管理人の仕事、真剣に真面目にやり遂げます!」
だが急にハービーが立ち止まり、大きく深呼吸をした。もちろんトリシアは身構える。
「それから……まだ少し先の話なんですが……」
「ど、どうしたの?」
そうしてまた少し間を置いて……彼は何度も深呼吸をしていた。
「ぼぼぼぼ、僕、師範学校に行こうと思って、おおお思ってるんです!」
「そ、そっか……! 勉強、頑張ってるもんね」
トリシアは動揺を隠そうとしたがイマイチ隠せていなかった。
(なんでその可能性を考えなかったの私!)
彼は先生になりたいと言っていた。だがトリシアはその『先生』というのは、具体的には孤児院で子供達に文字や計算を教える役目だと思っていた。
(ということは……ハービー、本気だ)
嬉しい気持ちと、そのうち彼が去ってしまうという寂しさが湧いてくる。トリシアは勝手なことに、ハービーはずっとこの街にいると思っていた。ケルベロスの餌場があるし、巣もある。他よりずっと生活しやすい環境が整っている。
「それで……プレジオ達のこと……そ、相談したくって」
ハービーは王都にある師範学校という、教師を育成する学校を目指していると教えてくれた。この国では寺子屋のような制度があり、大きな街にも小さな街にもポツポツと平民向けの学校がある。師範学校を卒業すれば、一種の公務員となり、基本的には希望の場所、学校や孤児院で先生として働ける。開校も可能だ。場合によっては貴族や商人の家庭教師になる者もいる。なにより、社会的に尊敬される肩書きでもあった。
「あの、孤児院、院長先生もごごご、ご高齢ですし……施設に誰か一人でも資格持ちがいた方が対外的にもいいですし……」
ハービーは将来、自分の力で他の誰かを助けられる存在になりたいのだと教えてくれた。寄付を集めるにも他の誰となにを交渉するにも、肩書きがあるのとないのとでは扱いは雲泥の差だ。
「プ、プレジオ達の力だけじゃ、なななくって……」
彼なりに気にしていた結果、辿り着いた答えでもあった。ケルベロスの隣に立っても見劣りしない人間になりたかったのだ。彼らが恥ずかしくないように。そんなのケルベロスは気にしない、なんて他人の言葉は関係ない。自分がそうなりたいからそうなるのだ。
王都にケルベロスは連れていけない。テイマーのスキルを持つ者にも制限をかけられるくらいだ。尚且つ王都にケルベロスの腹を満たしてくれる魔物はいない。
「私はもちろんプレジオ達、ここにいてくれてかまわないよ……」
でも、あの子達はどう思ってるの……? とケルベロスの方へ視線を向ける。
「最近、毎日そ、その話をしているんです……たぶん、伝わってると思います……」
ケルベロスの六つの耳はピンと立っていたが、三つの尻尾はどれも悲しく垂れ下がっていた。視線は誰とも合わせないよう、三頭ともただ前をみている。
ハービーは学校を卒業した後はこの街に戻ってくるつもりだ。今生の別れではない。彼は進学のため一時的に家を出るだけだ。だが、それでも寂しいものは寂しい。
「僕、頑張るから……だから、待っててほしい」
「……ガゥ」
ケルベロスは視線をそらしたままだったが、確かに返事をした。
(愛の告白みたい)
家族へ向けたちょっぴり甘えた、相手を信頼した愛。相手が受け入れてくれるとわかっている。
「ありがと」
ハービーはそう言いながら、三頭の頭を優しく撫でた。