第19話 新人管理人
ダイナとその息子イーズは現在トリシアの貸し部屋のゲストルームに泊まっている。アッシュが用意していたギルドの部屋は結局使わなかった。ギルドの職員が悪意なくダイナとその息子を探す義実家に情報を漏らす可能性を怖れたのだ。
部屋代はアッシュが肩代わりしていた。出世払い。利子なし返済期限なしで貸し付けている。
(部屋代、本当はタダでもよかったんだけど)
だが同じ条件のエリザベートは毎月大銀貨1枚支払っている。そうなると貰わないわけにはいかない。代わりと言ってはなんだが、トリシアはやや頻繁にダイナに差し入れを入れるようしていた。なにか助けになりたかったのだ。そしてそれは他の住民も同じだった。……一部はイーズの顔見たさに差し入れをしている気配があったので、それとなくトリシアとダンから相手の体調を気遣うよう言われていた。
ダイナは初めての育児はなかなか大変なようで、いつも眠たそうな顔だ。
「寝たり起きたり寝たり起きたりで……」
ショボショボした目でトリシアから受け取った屋台ご飯を感謝しながら味わっていた。
「自分の面倒見るどころじゃなくってね……本当にありがとう」
彼女は今後、トリシアの貸し部屋二号棟の管理人として働くことが決まっている。
冒険者階級は妊娠中でもCを維持するくらいの実力はあったが、特に冒険者の仕事に思い入れはなく仕事口を探していたので、トリシアの提案に前のめりで承諾した。トリシアとしても彼女の人柄がわかってからの仕事のオファーなので、安心して任せることができる。
「冒険者は生きるためにやっていた仕事だ。どの道この子生んだら違う仕事を探さなきゃって思ってたんだよ」
アッサリとした回答だった。ロマンを求めて冒険者になる者だけではないのだ。それはトリシアも同じ。あくまで最初は生きていくため、自立するための金を稼ぐために選んだ仕事だった。
ティアははじめ、自分が二号棟の管理人としても働くと息巻いていたが、実際問題それぞれの建物にそれぞれ管理する人間がいた方がいい。
「じゃあティアは管理統括ってことでお願いするわ」
「……承知しました」
ティアもダイナから仕事を奪うような真似はしたいわけではない。だが彼女なりに新しい貸し部屋の手入れを楽しみにしていたのだ。
「最初の方はできるだけフォローをお願いね! ダイナさん、まだしばらくは本調子で働けないだろうし」
「もちろんです!」
ティアはやる気に満ち、目が輝いていた。
ダイナは二号棟が出来次第働くと言ってはいたが、現状のふらふらの彼女を見て、さあヨロシク! とは頼めない。
彼女は大柄で、尚且つ冒険者をやっていたので体力はある方だ。本人も自信があると言っていた。だが、だからといって子育てが簡単になるというわけではないのだとトリシアは初めて知った。
(二号棟は部屋数が多いからな~しばらくはバタバタしそう)
入居の募集を開始したわけではないのにすでに問い合わせも入っていた。待ちわびている冒険者は多い。
(こりゃまた庭の完成は後回しにして入居開始ね~)
そろそろ段取りもたてないといけない。入居者の募集、家具魔道具の入れ込み、周辺住民への挨拶、商人ギルドへの申請……。自分の部屋で紙に書き出しながら確認する。
ふと窓の外からピコの笑い声が聞こえた。ティアとエリザベートも一緒にいるようだ。
「ん?」
部屋のノック音が聞えた。トリシアの部屋はそこそこ広いので、あまりに優しくノックすると聞こえないことがある。今日のノック音はハッキリしていた。最近はその音だけで相手が誰か見当がつく。
「悪いなトリシア。今いいか?」
「どうぞどうぞダンさん。あら!? ハービーも一緒?」
ダンの姿に隠れ、ハービーが立っていた。珍しい組み合わせだ。
「実は折り入ってお願いがあってな……」
これまた珍しい。お願いなんて初めてだ。しかもこんなにあらたまって……。なのでトリシアは、最初からウンというつもりでお願い内容を待っていた。二人に頼られることが嬉しいのもあるし、彼らが揃ってお願いなんてよっぽどのことだ。
「トリシアの貸し部屋で、もう一人管理人を雇っちゃくれないか?」
「いいですよ」
「それがな……まずは会ってみてほしいんだが……ちょっと知り合いの……え?」
ダンはトリシアがまさか即答で承諾するとは思わなかった。ハービーも口をポカンと開いたままになっている。
「いいですよ。ダイナさん、まだしばらくは忙しいだろうし。人手はあった方がいいし。ダンさんはそれもわかってたんでしょ?」
「ああいや……それもあるが……」
「僕達、い、いつトリシアさんにお願いしようと思って迷っていたらダ、ダイナさんのことがあって……」
ハービーもダンも正直に経緯を話した。こんな勝手なお願いをトリシアにしてもいいか二人とも迷っていたと。それで探るように二号棟にも管理人室があると知って、その知り合いを推薦しようとしたところで、ダイナが先に管理人としての仕事を得てしまった。
だがダイナはまだしばらくは大変そうだ。ならばその短期間だけでも雇ってはもらえないだろうかと、彼らは今日緊張の面持ちでトリシアの部屋の扉を叩いたのだった。
「いやでもいいのか? 俺が言うのもなんだが、そんな簡単に決めちまって」
「二人の紹介なら大丈夫でしょ。私だってプレジオ達にコインロッカー番をお願いしてるし、ダンさんが新人冒険者にティアのこと周知してくれてるお陰で冒険者街も絡まれることなく歩けてるし」
持ちつ持たれつ。トリシアだって返せる恩は返したい。それに彼女は嬉しかったのだ。ハービーはともかく、アッシュやダンは人がどうなろうと『自己責任』という言葉がチラつく意見の持ち主だった。
(いや、冒険者のほとんどがそうか)
他人が、そして自分がどんな目にあっても同情不要の自己責任。理不尽な世界でいちいち干渉してもしかたがない、と意見を持つ冒険者は多い。たとえそれが本心でないとしても、そう思わなければやってられないからだ。
アッシュやダンは巣に住み始めてかなり丸くなった。特に、他者に対して。
「ありがとう。助かる。どうにも放っておけなくてな」
ダンと一緒にハービーも頭を下げた。
「それでどんな人なの?」
なにより二人の共通の知り合いというのが気になる。武闘派のダンと大人しいハービーの知り合いというの人物像が、全く想像できない。興味も湧くというものだ。
「そ、それがですね。僕のべ、勉強仲間で、ピコの世話をしてくれていた人なんです」
「……?」
その人物の名前はレックスといった。今はピコが預けられていた孤児院に住んでいる。
彼はこの冬成人するため、孤児院から出ていかなければならない。生まれたてのピコが孤児院にいた時に、ずいぶん気にかけ面倒を見ていたのが彼だった。
ダンはそのレックスのことをずっと気にかけていたのだ。穏やかで優しい気質がハービーに似ており、いつも孤児院にいる他の子供達に勉強を教えていた。最近ハービーが根を詰めて勉強しているのを見て、気が合うのではないかと紹介すると、予想通り意気投合して親友のような仲になった。
(ハービーはずいぶん嬉しそうに話すわね~その友達のこと)
ほっこりとした感情が湧いてくる。ハービーにしてみれば対等な友達という存在は初めてに近いのを知っているからだ。
「よし! じゃあ面談しましょ。顔合わせなしっていうわけにもいかないし。条件とか話し合わなくっちゃ」
トリシアは最近、縁を大事にしている。エディンビアに来てから、そういう積み重ねの縁を大切にして今の生活があるのはわかっていた。
(楽しみ~!)
誰かを信用して前向きでいられる自分のことも嬉しかった。