第17話 業務範囲外②
「な~トリシア。最近ダンジョンに行ったか?」
「ここ一週間行ってないですねぇ……やっと二号棟の改修が進み始めて……なにかありました?」
おかえりなさい、とアッシュが帰ってきてそうそう、玄関の側で話を聞く。最近のアッシュがいつもなにか物思いにふけっていたことを知っているので、トリシアも気になっていたのだ。
「んん~……いや~うん……聞いてみただけ~」
「えぇ! なにそれ! そこまで言って!? アッシュさんわざとでしょ!」
気になって眠れないですよ! と、非難する。
「……バレたか」
ニヤリと笑ったアッシュを見て、トリシアは確信した。
彼女はアッシュが悪い大人だと知っている。どこから彼の作戦だったかわからないが、とりあえず自分を巻き込みたかったことはすぐにわかった。
「そんな目で見るなよ〜俺だって出来るこたぁやってダメだったからこうしてるんだ」
悪かったよと、トリシアが自分をどう思っているかわかっているのか、手を合わせて謝る。
「まったくも〜……それで、どうしたんですか?」
わざとらしく腹を立てたふりをして、肝心の内容を尋ねる。
「いや~それがなぁ……」
困った困った、とアッシュはトリシアにここ最近の出来事を話した。最中、外出していた住人達が巣へと戻ってくる。双子とルークだ。もちろん、部屋には戻らず立ち止まってトリシアと一緒に話を聞いた。
「妊婦さんって……安静にしてなくていいんですか? あれ? 動いた方がいいんですっけ? いやでもそもそもダンジョンって危ないし!?」
思いもよらない相談に、トリシアは狼狽えた。他の住人達もトリシアの問いかけに誰も答えない。目を合わせないようあっちこっちに視線を泳がせていた。誰も答えを知らないからだ。
女冒険者は妊娠すると休業するのが普通だ。なんせ命懸けの仕事。いつもの調子を出せないならなおのこと冒険者を続けるのは厳しい。
「冒険者ギルドでどうにかしろよ。個人救済もギルドマスターならなんとでも理由をつけられるだろ」
ルークが巻き込まれ始めているトリシアをガルガルと守る態勢に入ったのを見て、アッシュは笑いそうになるのを堪えた。トリシアが関わると途端に人間味が増すこの青年の反応を見るのがアッシュの楽しみになっている。そうしてトリシアにまた、しょうもないことを……と呆れた顔をされるのだ。
「俺もそう思ったんだけどよ~冒険者ギルドに登録してるかわからねぇんだ」
彼女は魔物の素材を魔物買取所で売り、日銭を稼いでいた。買取所では通常冒険者はその個人識別用の冒険者タグを提示する。階級を上げるため、自分の実績残すのに必要だからだ。なのに彼女はそれをおこなっていなかった。
「冒険者になる前の……普通の人かもってこと……?」
リリ達双子も一時期そうやって生活をしていた。トリシアとイーグルもそうだ。そこで資金を作って冒険者ギルドに登録をする者も多い。
「それが確認できてねぇんだ。俺が近づいただけで逃げちまってよ」
アッシュはすでに拒絶された後だった。というよりすでに二度、気配を察知されただけでさっと身を隠されてしまっていた。他の冒険者や領兵にも詳しい事情は一切話さないと知り、どうやら訳ありだということを理解した。
「お前なんかしたんじゃねーの」
ジトっとした目でルークはアッシュに視線を送る。
「え~身に覚えがねぇなぁ~」
アッシュ本人もその可能性を考えて記憶を辿ったのだが、思い当たる節はない。
「けどアッシュが気に掛けるってよっぽどじゃねぇか」
「そうか~? これでも天下のギルドマスターだぞ~?」
ヘラヘラと誤魔化すように笑う。
(トリシアに影響されちまったかなぁ)
同時に、なんとかなるだろうとトリシアとは違い軽く受け止める。出来ることを出来る限りやる。そういう割り切りがアッシュは上手い。
冒険者じゃないのなら、冒険者登録をしてしまえばいい。ギルド内にある部屋にベッドでも入れ、ギルドマスターの権限で一時救済措置でもなんでもすればいい。そしてその後のことは必要になったら考えればいい、と。
だがその冒険者は、アッシュが向かってくる気配を察した瞬間、すぐに雑踏の中へと逃げていった。
「……おたずねもの?」
ノノがポソリと言葉を洩らす。
「ありえるな」
ルークは現実的だ。その冒険者の行動はどうみても怪しいと顔をしかめている。
アッシュもその可能性を考えていた。だから万が一を考え、なんの縛りもないトリシアに声をかけたのだ。
「悪いんだが今度声かけてやってくれねぇか? ヒーラーの女冒険者なら少しは事情を話すかもしれねぇし」
状況がわかればあとは自分がどうにかするからとツナギをトリシアに頼んでいた。
「けどアッシュさん……立場があるのに。本当に相手に何かあったら大丈夫ですか?」
「なんとでもなるだろ。極悪人だったらどの道ほうっちゃおけねぇし、たいしたことないならもっと立場のある人間に掛け合うさ」
「軽すぎだろ……」
フットワークの軽いギルドマスターに思わずルークがつっこんだ。ルークは前任のギルドマスターのこともよく知っているので、よりギャップを感じやすい。
「じゃあ今からでも行きますよ。最近夜は寒いし」
「俺も行く。相手には気付かれないように」
ルークがすぐさまトリシアの護衛を買って出る。
「いや、万が一また逃げられて夜にうろつかれると心配だからな。領兵が気にしてくれて、いつもの場所で寝てるなら身の安全に関しては心配はいらねぇんだ」
「なるほど……じゃあ明日」
「ああ。昼には寝床に戻ってるからよ。そのタイミングで頼む」
翌朝、アッシュはいつもより早くギルドへと出勤し、いつもより早くダンジョンへと向かった。そしていつもの領兵と情報のやり取りをする。
「例の冒険者、今日も朝からダンジョンに入ってます……けどちょっといつもと顔色が違ったような……」
「そうか。昨日は寒かったからな……」
アッシュの表情が曇る。
(今日のトリシアの声掛けがうまくいくといいが)
「……母に聞いたんですが、出産って生まれそうになってからずいぶん時間がかかるとか……」
「ああ、陣痛ってやつな……ってまさか!?」
そういう予感に限ってなぜか当たると言うのをアッシュはよく知っている。
「ああー!! アッシュさん! いいところにいた! ちょっと来てくれ! 妊婦が産気づいてる!」
ダンジョンから飛び出てきた冒険者がアッシュたちのもとに大騒ぎしながら助けを求めてきた。これにはいつもヘラヘラとしているアッシュも目を見開き息をのむ。
「お、俺は産婆さんじゃねぇぞ!!?」
とは言いつつ、誰か呼んでくれ! と領兵に向かって叫びながらダンジョンの中へと入っていった。
ダンジョンに入ってしばらくはゴツゴツとした岩場が続いている。その途中、例の冒険者が仰向けになって倒れていた。たまたまその場にいたらしい女冒険者達が取り囲んで励ましている。
「ああよかった! アッシュさん! こっちこっち!」
促されるまま息を切らしたアッシュは駆け寄るが、なにをどうしていいかわからない。すでに産気づいているその女冒険者はしきりに周囲に謝っていた。
「ヒ、ヒーラーと産婆は別物だぞ!? たまに勘違いするやついるけど……助産術なんか使えねぇよ!」
焦った表情のままダンジョンの外に連れ出そうと提案するが、そうしていいかどうか誰も判断がつかない。
「そんなことはいいから早く……! なにかあったらヒーラーがいた方がいいのは確かなんだから!」
「ヒーラーは体の中の状態も確認できるんでしょ!?」
周りの冒険者達にやいのやいのと急き立てられ、言われるがまま彼女の状況を確認すると、
「もう頭が出てる……!」
さらにアッシュの表情が青くなる。スタンピードの時ですらこんな顔はしていなかった。ルークがみたら日頃の溜飲が下がっただろう。
「どっどどうすりゃいいんだ!?」
女冒険者達の顔は至極真剣だ。アッシュの背中をバチンと叩き、側にいて万が一に備えている。
「アタシら、魔物解体したばかりで汚れてるからね! アッシュさんが頑張るしかないよ!」
「え……えええ!!!?」
冒険者のギルドマスターは見事に狼狽えていた。
「頭が下ならとりあえず大丈夫だと思う!」
「地面に落とさないように受け止めて」
「あ~乾いた布がいる! 体温めなきゃ!!!」
その間もただただその妊婦は謝り続けている。
周りの冒険者達の間に不思議な一体感が生まれていた。彼女に魔物を近づけてなるものかと、少し離れた場所でも多くの冒険者はいつもよりやる気に溢れている。それを見てアッシュも腹をくくった。
「ごめん……ごめんなさい……こんなことになって……うぅ……」
陣痛の合間合間に彼女は謝り続けた。本人にとっても想定外のタイミングだったようだ。
「ああもう! いいっていいって! その代わり生んだ後また逃げないでくれよ」
そしてそのまま無事、男の子が生まれてきた。元気な泣き声がダンジョン内に響いて、事情を知らない冒険者達のざわつく声も聞こえてくる。
「……はぁぁぁぁ……よかった……」
アッシュはヘロヘロと地面に尻もちをついた。
(これは完全に業務範囲外だ……)
などとくだらないことを考えながら。
彼女の名前はダイナと言った。予想通り訳ありの冒険者だ。そしてある意味おたずねものだった。
「子供の父親が商人の子で……義父母が跡継ぎのためにこの子を奪おうと監禁されていたのを、どうにか逃げてきたんです」
「その父親は?」
「駆け落ち同然で暮らしていたんですが、残念ながら魔の森で……」
「……そうか」
冒険者タグは監禁の際に奪われていた。
彼女の野営用のテントの中で、生まれたばかりの赤子がアッシュの上着に包まれてスヤスヤと寝ている。
「どちらにしろタグを使えばそのうち居場所を知られてしまいますから」
「それで俺を避けたのかぁ」
「はい。アッシュさんがギルドマスターになった話は聞いていたので」
冒険者が隠れるのは冒険者の中がいいだろうと、ダイナはエディンビアへやってきた。アッシュのことは以前違う街で見かけたことがあり知っていたのだ。
「夫の実家は……冒険者ギルドと取引きが多いので……ギルドとは距離を置きたかったんです。情報を手にするのは容易いでしょうから」
かといって妊婦を雇ってくれるような場所はなく……。そうなると確実に稼ぐ手段が冒険者業しか思い浮かばなかったため、冒険者タグの必要のない買い取り所を利用することにしたと、アッシュが味方だとわかったからか、ダイナは正直に話を続けた。
(冒険者ギルドと取引きがあって俺のことを別の街で見たってことは……)
アッシュはそれでだいたいのその商家の見当がついた。だが、それをダイナには悟らせない。
「それで。これからどうすんだ?」
「これからのために野営してたんです!」
逃げなくても大丈夫そうだとわかったからか、ホッとした顔で答える。彼女は我が子と生きていくために無理を続けていた。危ないことは十分理解していたが、手段を選んでもいられなかった。産んだ後の方が稼ぐのが難しいと判断したのだ。
「……今この街、宿泊するのが難しいって知ってたか?」
「え!!?」
どうりで野営している冒険者が多いと思った……どうしようと表情が暗くなっていく。
(うーん……こりゃギルド内に置いておかない方がいいか……?)
いつ何時、その義実家が情報を掴むかわからない。となると……。
「あれ!? え!? ……あれ!!? 赤ちゃんがいる!!!」
ちょうどトリシアとの約束の時間だった。彼女の驚いた声がアッシュの所まで届く。なんとも愛おしい者を見るかのような表情も確認できた。後方にいる、いつもは不愛想な冒険者も表情をほころばせている。
「まあなんとかなるだろ」
やっといつもの調子でアッシュはヘラヘラと笑った。