第12話 お勉強
「あら? 今日はまだいるのね」
トリシアが朝食を食べ終わって巣の庭に出ると、ケルベロスがコインロッカー前の定位置でゴロリと朝寝についている。トリシアが近づくと嬉しそうに転がったまま尻尾をバタバタと振っていた。
この頃コインロッカーと巣の庭の間には生垣が作られ、その間にあるケルベロスの東屋はまさに門番所のようなポジションになっていた。
向かって左にいるパースが、二階の自分たちの部屋の窓をなにか言いたげに見つめている。
(まだ寝てる……?)
最近ハービーは気合を入れて勉強をしていた。ハマると止まらないようで、夜も遅くまで窓から明かりが見えることがある。いつもは早朝にダンジョンへと出かけていたが、どうやら寝過ごしているようだ。
「お腹空かない?」
プレジオがガバッ! と勢いよく顔を上げた。フューリーも横目でトリシアを見る。
(私がダンジョンに連れて行くのは流石にまずいわよね?)
だからトリシアはハービーから預かっていた燻製肉の塊をケルベロスに渡した。胃は1つのようだから塊は1つで良さそうだが、やはりそういうわけにもいかないのか、もしも自分が食事の時間にいない場合は、必ず3つ渡すようお願いされていた。
それぞれの頭が満足そうにむしゃぶりついている。そしてちょうど食べ終わった頃、三頭はなにかの気配を感じたように同時に自分達の部屋の窓を見上げた。
――バタン!
少し大きめの窓が開く音がした。バルコニーに駆け出てきたハービーは髪の毛が重力に逆らってボサボサになっている。
「ごごごごごごめーん!!!」
寝坊したことに焦っているのが一目瞭然だった。
「朝ごはんはあげたよ~」
「ガゥ」
遠慮がちにケロべロスが相槌をうった。
「す、すすっすみません! ありがとうございました!」
ハービーは予想通り平謝り。トリシアはただ気にしないでとだけ伝えた。なんだか前世の受験シーズンを思い出したのだ。ただ、その時期の自分と比べるとハービーの表情はずっと明るく生き生きとしているが。
「勉強、捗ってるみたいねぇ」
トリシアは久しぶりにダンジョンへとやってきた。珍しくハービーとケルベロスと一緒だ。いつもはトリシアがまだ眠っている間に行く散歩だが、今日は起きている時間帯なので同行させてもらったのだ。
「は、はい。こんなに楽しいならもっと早く始めていればよかったです」
「やってみないとわかんないことって多いよね」
トリシアも貸し部屋を始めてわかることがたくさんあった。
「僕……孤児院を出た時、まだ文字がちゃんと読めなくってすごく困ったんです」
ハービーはポツポツと少し下を向いて昔話を始めた。ダンジョンの入り口から入ってしばらく歩いたところ、ここはまだゴツゴツとした岩場が続いており、あちこちに洞穴がある。ケルベロスはさっそく獲物を見つけて飛び掛かっていた。大人3人分はある大蛇だ。彼らにしてみたら食べ応えはあるだろう。
「プレジオ達の食事のこともあるから、いつも魔の森やダンジョンの側で生活してたんですけど、そういうところって冒険者以外にも商人の出入りも多いんですよね」
「そうだね。エディンビアも凄いし……特に最近は」
陸からも海からも商人が絶えずやってきていた。需要が大きいのか、魔物買取所の相場がさがらないのは、冒険者にとってはありがたい。
「ある外国の商人が……その人は一人で旅をしながら珍しいものを収集してたんですけど……ケルベロスの力を見て護衛依頼をされて……その時はまだお金もなくって冒険者登録もしてなかったんですが、道中読み書きも教えるからどうかって言われてその仕事を引き受けたんです」
三つの牙で食いちぎられた大蛇はすでに力なく倒れている。しかしまだ食べてはいない。ハービーが素材を切り取るのを待っているのだ。
「わぁ! 傷が少ない! エディンビアに来てずいぶん狩りが上手くなったなぁ!」
腰からナイフを抜き、一気に皮をはいでいく。トリシアはあわあわしつつ、できるだけ動かないように大蛇の体を押さえた。ケルベロスは褒められて嬉しいとブンブン尻尾を振っている。ハービーは、1枚のサイズが大きければ大きいほど買取価格が上がるんですよ、と少し照れるように知識を披露した。
「とっても楽しい護衛旅でした。その人は文字だけじゃなくて、魔物の解体方法も教えてくれて……貴重な部位の見分け方も……それで収入を得ることができるようになりました。あの出会いがなかったら僕はすでに野垂れ死んでたかもしれません」
「いい思い出なんだね」
大蛇を捌きながらそんな温かい思い出にハービーは浸っていた。
辛い目にもあってきたが、でも同時にだからこそ手を差し伸べてくれる人の優しさはよくわかった。だからハービーはそんな生い立ちの中ひねくれることなく、素直に、実直に生きてこれたのだ。
「僕、もしいつかまたその人に会った時、立派になったなって褒めてもらいたくって……それで最近やっとどういう人間になりたいかわかったんです」
うんうんとトリシアは頷きながら、全体重をかけて大蛇を押さえ続ける。なかなかの力仕事だ。ハービーもか細い体をしているが、ナイフ捌きは驚くほど素早く、熟練の技を感じさせた。
「トリシアさん……ぼぼぼ僕、せせ先生になろうと思っているんです」
「先生?」
「ダ、ダンさんに聞きました。冒険者街にある孤児院は、子供達を育てるのに必死でなかなか勉強を教えるまでいかないって……読み、よ、読み書きができないまま孤児院を出ると、その後が大変なことはよく知っているんで。次は僕が誰かに教える番だって……そ、そそそその……」
急に恥ずかしくなったのか、それとも自信がなくなったのか、最後の最後で気弱なハービーが出てきてしまっていた。
「わ~~~! いいねそれ!!!」
トリシアはハービーの不安が消し飛ぶよう、わざと大きな声で反応した。ケルベロスもビックリと目を見開いている。
「応援してる。ハービーならきっと優しい先生になるね」
「あ、ありがとうございますっ! ……あ……」
感動的なシーンにはならなかった。なぜならトリシアが大声を上げたせいで、また別の大蛇がヒョコっと顔を表したからだ。ケルベロスと皮を剥がされた仲間を見て逃げ出そうとしたが、あっという間に仲間と同じ結末を辿るのだった。
「ケルベロスの食事の準備、必要だったら頼ってね」
「はい……すみません。助かります」
帰り道、先ほどの大蛇の皮はすでに燻製肉へと変わっていた。二体目の大蛇はまるまる素材買取所が解体から請け負ってくれている。
プレジオ達は自分たちの背に括りつけられた燻製肉のかぐわしい香りを感じ取り、食事をとったばかりだというのに、鼻をヒクヒクとさせていた。
ハービーの顔は晴れやかだ。初めて彼は自分の夢を他人に話した。あとはそれを実現させるため、やるべきことをやるだけだ、と。
「今からすぐにでも先生にはなれそうだけどね」
人手不足の話はトリシアもダンとピコに初めて会った時に聞いたことを思い出す。今のハービーでも十分読み書きであれば教えられるだろう。
「ぼ、僕の自信の問題なんです……ちゃんと勉強したってお、おお思えないと、子供相手でも萎縮しちゃって……」
「なるほど」
(だから最近ずーっと勉強してるんだ)
ハービーにとってはこれまで全く勉強をしてこなかったからこそ、勉強時間と勉強量が増えることが自信に繋がるのだ。
「ダンジョンの中にいる時、ハービーっていつも落ち着いてるじゃない? そういう風になれたらいいね」
「そういえばそうですね……ほどよい緊張感がいいのかな……」
ウーンと、考え込む仕草をする。トリシアも同様だ。
(過剰な緊張感を抑えるといえば、手のひらに『人』の字を三回……あとは人の顔をカボチャと思えってやつ……?)
これまた前世の記憶を総動員だ。
「生徒を魔物だと思うとか?」
「えええ!? ええ~~~!?」
思ったより驚かれてしまった。だがその後、ハービーは思いっきり吹き出して笑い始めた。こんなハービーを見たのは初めてだったが、ケルベロスも同じだったようで、トリシアでもわかるほど嬉しそうにしていた。尻尾の動きだけでない、その表情が三頭とも笑っているように見えたのだ。
「そうですね……! そう思うことにします!」
笑い涙をふきながら、ハービーは楽しそうに答えた。