第11話 秘密調査員
とある商家の庶子という設定の第二王子リカルドあらためリーベルトは、思い人と同じ建物の中で暮らしていても、ほんの少しも距離を縮めることができてはいなかった。
「まあやらかしましたからね……」
「本当、ハッキリ言うようになったよね~」
「それをお望みでしょう?」
「はは! バレちゃってるか」
トリシアとリーベルトは上手くやっていた。彼女は開き直ったかのように、彼を王子としてではなく、一人の住人として接していたからだ。
「薬使って迫るなんて、ハッキリ言うとちょっと怖いですよ~」
「いやはや……その節は大変お世話になりました」
彼としても今となれば、あの時はどうにかしていたと言えなくもないが、実際それだけ心が追い詰められていたのだ。まともな判断ができなくなるほど。
「ウーン……心の闇をさらけ出してしまったのがまずかっただろうか」
重い男になってしまった……と、今更反省して渋い顔をしている。
「エリザはそういうの気にしないと思いますよ。自分の闇も他人の闇も怖がる人ではありません。むしろ向かっていくタイプというか……喜んで戦うでしょうね」
実際彼女は正面からリカルドにぶつかっていっていた。
「トリシアは闇に向き合う人間の隣に立ってくれるタイプだね。一人じゃないのは心強いよ」
今度はふふっとリーベルトは穏やかな笑顔をトリシアに向ける。
「……隣で突っ立てるだけですけどね」
そんなことを言われるとは思ってもみなかったトリシアは、照れ隠しをするように目をそらした。
コインロッカー事業も順調にまわり始めた頃、リカルドはようやく巣やエディンビアの街に馴染み始めてきた。彼はよく巣の庭でケルベロスを撫でながらコインロッカーを利用する冒険者や近隣住民との会話を楽しんでいる。
事情を知らない冒険者達は、またトリシアの巣に育ちの良さそうな冒険者が住みはじめたのか、と軽くとらえたので、まさか王族だなんて想像することすらしていない。
「なあアンタもやっぱ強いのか?」
龍の巣の住人の傾向を知っている冒険者に尋ねられ、リーベルトは少しだけ考えた後、
「ウ~ン……それなりに?」
リーベルトは冒険者としてギルドに登録したものの、まだ冒険者として活動したことがないため、どう答えるのが正解かわからなかった。だが彼は自らを守るくらいの訓練は積んでいる。魔術師としてはこの国でもトップレベルの実力の持ち主だ。
「アハハ! ここに住んでるだけで期待されてるからな! よかったら今度一緒にダンジョン潜ろうぜ!」
そう言って荒々しくリーベルトの肩に手を回す冒険者に、身元を知っているトリシア達は度々声を上げて止めに入りそうになる。
「いいのかい!? 是非ご一緒させてほしい!」
だが明るく顔を輝かせるリーベルトを見ると、惚れ薬を飲んで陰った瞳も知っている彼女達はその手を引っ込めるしかないのだ。
最初は遠巻きにしていた住人達の方も彼の存在に慣れてきて、リーベルトへの対応に関していえば、同じく開き直るという表現が近いのはアッシュだった。
「アッシュ~! 一緒にダンジョンに行かないか!? 最深層まで行ってみたいんだ!」
「ギルドマスターを雇うなんてこたぁ王族でもない限り無理ですね!」
じゃ! と、いつものようにギルドへと出かけていった。
「商家の庶子じゃ無理かぁ……」
と呟いているのを何人もの住人が聞いたのだった。
ダンは、そもそも王族という存在が現実的ではなく、急に現れたリーベルトにはルークやエリザベートと接するのと同じように、出自がいい冒険者としていたって普通に接し、双子は先輩風を吹かせ、魔道具の使い方を教えたり、美味しい屋台の情報を共有していた。
ティアは最初こそあのティアが!? と周囲が驚くほど緊張をみせていたが、いまではいつも通り冷静沈着な管理人として振舞っている。
ハービーはたまたま最近王国史を勉強していたこともあって、この龍の巣の中でこの時点では唯一、リーベルトを前にするとワタワタと大慌てになってしまっていた。
「この反応の方が珍しくなるなんてね」
それを見てリーベルトはくすくすと面白そうに笑い、テトテトと歩くようなったピコをなんとも愛おしそうに抱き上げ、
「これほど愛らしい存在が国中のあちこちにいることに気が付かなかったなんて……!」
そう言って毎回感動していたのだった。
「殿……あー……リーベルト……さん! お知り合いの方がお呼びです」
一番『リーベルト』に慣れないのはルークだった。侯爵家の嫡子として育てられてきたせいか、王族を軽くあしらうことの抵抗感から抜け出せないようだ。そしてその点がリーベルトの付け入れられる隙となって、しばしばトリシアとともに彼の面倒を見る羽目になっていた。
「ああ。時間だね」
扉の向こうに、冒険者風な男が2人立っている。彼らは『リカルド』の護衛だ。第二王子としての役目がある際は彼らと共に動く。とある打ち合わせの為にこれから領城へと向かうのだ。
身分を隠しているとはいえ第二王子であることに変わりはない。彼の護衛は巣にこそ住んではいないが、常に駆け付けられる場所にいる。ちなみに、近所にあるスピンの祖母の家に間借りしていた。
「ルーク! 帰ったら一緒に職人街で防具を見てくれるかい?」
「う……あ……いいです……よ」
「よかった! ではまた後で」
そうしてそんなルークを見て、トリシアはついつい笑ってしまう。いつも完璧な彼が、やれやれと思いながら振り回されている。誰にも興味がなかったルークが……おそらく少し前なら王族相手にすら興味を持たなかった彼が、エリザベートに相手にされていない第二王子に同情し、彼の力になろうとしていた。
そういう姿をトリシアは愛おしく感じている。
◇◇◇
「なにか情報は得られましたか?」
第二王子の若い黒髪の護衛が、友人のように隣で歩きながら、いたって普通の会話をするようにリカルドに話しかける。
「いいや。しかし彼女のスキルはすでに情報が揃っているのだろう?」
彼には珍しく嫌そうに顔をしかめて返事をした。
「大昔の文献のみです。それにスキルは個人差が大きい……『彼女』の情報が欲しいとのことです」
「出来ることと出来ないことがわかっているのだから……あとは規模の問題だろう?」
第二王子は明らかにトリシアの秘密を探るのに消極的だ。護衛2人は内心驚いていた。彼はこれまでやるべきことは嫌がる素振りを見せずやってきた。なのに今回はおそらく彼には期待できないと、瞬時に察した。
トリシアと同じその黒髪の男は、国の王直属秘密機関の密偵として働いていた。そこは国内各地に暮らす特殊な力を持つ人間を調査し監視している。主に特殊なスキル持ちに関することが多いが、それ以外にも人知を超えた能力を持つと判断された者は監視の対象だった。
例えば、見たことも聞いたこともない魔道具を次々と開発したり、この世界の人間には到底考え付かない物語を紡いだり、異常な怪力を持っていたり、過去の記憶を読み取ったり、逆に未来を予知したり、体が透明になったり、姿を自由自在に変えたり、物事をなかったことにしたり。
「隣国では、船を丸々一隻瞬間移動させるスキル持ちが現れたとか」
「ああ。それで君達はピリピリしているんだね」
「はい。警戒して困ることはありませんから」
いい関係を築いている隣国相手すら気を抜けないのだから、国を運営するのは大変だ。と、リカルドは困ったように笑った。
監視対象者達はもちろん自分が国の秘密機関に見張られているとは気が付いていない。そういう人物はそもそも警戒心が強く、うまく自分の能力を隠そうと努めている。
彼らはその能力を悪用しなければ、極端に秘密機関に干渉されることはない。干渉するときは、あくまで自然に、秘密機関の存在を悟られないよう十分な注意が払われていた。遠い昔、特殊な力を持つ彼らを無理やり縛り付けたこともあったが、決してうまくはいかなかったからだ。それどころか痛い目にあい、国の存亡にまで発展したという極秘記録すら残っている。
「ヴァリアスくらい思い切って力を使いまくってくれた方がこっちとしては有難いんですがねぇ」
S級冒険者ヴァリアスのスキルは有名だ。秘密機関にしてみればコソコソとスキルを隠して生きている者より、彼のようにその力を誇示して地位を求めてくれた方が仕事がずいぶん楽なのだ。
今回のトリシアの調査も随分難航した。彼女がヒーラーに擬態していたので、本当のヒール能力に長けた凄腕なのか、狙い通り特殊な能力を持った者なのか判断がつかなかった。結局地道な調査を続けるしかなく、ある時は冒険者に、ある時は商隊の一員に、ギルドの職員として働いたり、傭兵団に入ることもあった。
「なかなか大変でしたよ。なによりここ一年はいつも近くにルーク・ウィンボルトがいましたから」
「はは! それは確かに大変そうだ」
今度は面白そうに笑う。そんな第二王子を見て、もう一人の赤髪の護衛はホッとするような気持ちになっていた。彼は長らく王子の側にいるが、ずっと張りつめたような、作ったような笑顔しか見せなかった王子が、今はころころと表情を変えている。まるで幼い頃のように。
「まあ焦らなくってもいいだろう。君達が私の側にいれば自ずとわかることも増えるだろうし。下手に強く出て、あの巣の住人の怒りでも買ったらそれこそすべてが台無しになるんじゃないか?」
「エリザベート様の怒りを買いたくないのでしょう?」
少しムッとした口ぶりの黒髪を、赤髪がコラッ! と即座に窘める。
「なんだなんだ! 言うようになったじゃないか! 最近王子を軽く扱うのが流行っているのか?」
もちろん第二王子はご機嫌だ。彼にとってはこういう人間関係が一番望んでいたものだからだ。自分が誰であってもかまわない。そんな風に見てもらいたかった。少なくとも、あの龍の巣に住んでいる間は、そういう自分でありたかった。
「兄上が君達を寄越してくれた理由がよくわかったよ」
まだ笑いが止まらないようで、クスクス笑いながら3人は歩いて領城へと向かったのだった。