第10話 コインロッカー
「蓋を閉めて最後にココを回す……と」
「そうです。あとはこの魔道具が勝手に洗ってくれます。次の人が使うので、出し忘れには気をつけてくださいね」
トリシアは今、第二王子リカルドに洗濯機の使い方をレクチャーしている。
「ではリカルド殿下、次は定期市に参りましょう。品物の買い方と注意点を……」
「こらトリシア! 私はリカルドではないぞ。私は大商人の庶子、リーベルトだ!」
実に嬉しそうに訂正する。
リカルドは名前を変えてエディンビアに滞在することになった。世を忍ぶ仮の姿、ということで髪を短く切り、髪色を暗いブラウンに染め、目元に付け黒子をつけた。だが巣の近隣住人は少し前に第二王子がやって来た時の騒動を覚えており、『リーベルト』が『リカルド』であると察していた。だが誰もなにも言わない。恐れ多いと感じたり、事情を想像して黙っていてくれているようだった。もちろん、ピリピリした雰囲気を纏った関係者が、あっちこっちで口外禁止の契約魔法を結んで結んで結びまわってもいた。
トリシアの巣に王族である彼を受け入れると決めた時、彼女は開き直った。ティアを買った時と同じくらいやってしまったと動揺もしたが、自分の中ではこれがベストな方法だったとわかっている。
あの時、第二王子に手を差し伸べることなく、彼が自分の幸せを諦め王都に戻っていたら、きっと自分が死ぬまで心の隅であの日のことを後悔すると、二度目の人生を送っているトリシアには確信があった。
(こうなりゃもうヤケクソよ! 毒を食らわば皿まで!)
余計な心配や不安を考えることはやめた。そうでもしないと無限に不安が湧いてきたのだ。幸い第二王子もそれを望んだ。
「……リーベルトさん、その元気、また薬でもやってるんじゃないでしょうね」
「トリシアも言うようになったな~! もちろんやってないよ! エリザベートと結婚できなくなってしまうからな!」
エリザベートは先の騒動の怒りがまだ消えないままだった。静かに怒り続けている。それでもリカルドの望み通り、この貸し部屋で暮らすようになり、あらためて求婚した時に彼女に言われたのだ。
『ご近所さんから始めましょう』
『ルークとトリシア以下じゃないか……!』
『余計なお世話です!』
その場にいたルークが不機嫌になるが、エリザベートも第二王子も少しも気にしない。
『貴方がおかしな薬に頼らずに生きていけるようになったら……』
『その時は結婚してくれるかい!?』
『その時はお友達になりましょう』
その時の会話をかいつまんで教えてもらったトリシアが感じたのは、第二王子は十分脈ありだということだった。
(あのエリザベートがそこまで感情をぶつけられる相手なんてそうそういないだろうし)
怒りもあるが、同時に面白がっているのがトリシアにはわかった。だが元来真面目な第二王子は今、次の目標に向かってやる気を出している。
「トリシアは実にいい家をつくったな! 最高の住み心地だ」
「またまたそんな~! リーベルトさんが住んでた豪華なお家に太刀打ちできるわけがないじゃないですか~」
そうは言いつつ、ニヤニヤが止まらないトリシアをみて、リーベルトも嬉しそうにする。彼はトリシアが、彼女自身を褒めるより、この建物や住人を褒めた時の方がとても嬉しそうに返事をすることに気が付いた。
そのリーベルトはエリザベートほど、ここの暮らしに早く馴染んだわけではない。
「トリシア、朝食はどうしたらいいのかな?」
「ご自分で用意を。と言いたいところですが、今日だけご一緒にどうぞ。今日だけですよ!?」
「トリシア、着替えを手伝ってもらえるかい?」
「お断りします。ルークかアッシュさん呼んでください。というか1人でできるようになってください!」
「トリシア、市へ行く馬車はまだかな?」
「徒歩! たいして歩きません!」
トリシア以外が第二王子を避けているせいか、結局トリシアが面倒を見ていたのだ。双子にもこうやって色々教えたものだが、彼が抱く疑問や行動は、トリシアにとって全く予想できないことばかりだった。素直に、下々の者がやるようなことも少しも嫌がらずにやることが救いだった。
(これが金持ちの常識……!)
ルークとエリザベートがいかに貴族社会で異端であったかを再認識する出来事にもなった。
リーベルトが巣で暮らし始めてから10日ほど経った頃、ついに念願の魔道具がトリシアの下に届いた。
「来た来た来ましたよ~!」
ルンルンの声で庭からスピンが声をかけてきた。小さな荷馬車が2台止まっている。
「やあスピン! 何が来たんだい?」
「こんにちはリーベルトさん! すっかりここに馴染んでますねぇ」
「そうだろう! もう自分で服も着替えられるんだ!」
「それはすごい!」
(力が抜けちゃいそ……)
スピンとリーベルトの楽しそうに会話を繰り広げている。2人はどうやら気質が合うようだった。
「では早速設置していきましょう」
ついに王都からコインロッカーとして使う為の金庫が届いたのだ。
「これが例の金庫か! ずいぶんとシンプルだな。ん? ここはなんだ?」
「荷物を入れてからそこに硬貨を入れるんです。そうすると扉に鍵がかかって、この金庫が利用可能になります」
製作者と知り合えたのは大変幸運だった。トリシアからの話を聞いて、魔具師アンジェリーナが特注の金庫を作ってくれた。トリシアは最初、貸し部屋の1階でコインロッカーの受付をしようとしていたのだ。だがこの機能により金銭の受け渡しが必要なくなった。さらに内部に時計機能が組み込まれており、予定日数を超過した場合は追加で支払いをするまで鍵はあかなくなっている。
「これまでの金庫と違って暗証番号だけでいいので鍵をなくす不安もないですし」
「まず金額の設定をしないといけないみたいですね。予定通り1日銅貨5枚でいいですか?」
「はいそれで!」
スピンがアンジェリーナからの書き付けを見ながら設定してくれた。
「では設置くらいは私が手伝おう」
そう言うと、人差し指をピッと左右に振った。ふよふよと大きな金庫が動き出す。
(すごいっ! あれかなり重いはずなのに!)
スピンも思わず感嘆の声を漏らしていたので、リーベルトは得意気だ。この特注金庫は盗難防止の為に重さはそれなりにある。ケルベロスという見張りもいるが、常駐するわけではないので念には念を入れている。
「魔術ならそれなりに自信があるんだ」
役に立てているのがわかって嬉しそうに微笑んでいるのが見えた。軽々と重たい金庫は並べられていく。
「大きい方はコッチヘ……で、上に重ねてもらって……小さい方はこっちです!」
トリシアも遠慮なくリーベルトに指示を出す。こうしてあっさりと巣の敷地内にコインロッカーエリアが出来上がった。
「さ! そしたら急いで宣伝しなきゃ……!」
最近のバタバタでせっかく計画していたコインロッカーの宣伝ができていなかった。利用者がいないのは流石に寂しい。
「巣の皆さんが色々動いてくれていましたよ」
「ええ!?」
「そういえばエリザベートは冒険者仲間に声をかけると言っていたな」
面倒ごとに巻き込まれてしまったトリシアの為にそれぞれできることだけでもと動いてくれていたのだ。主に宣伝の方だが、今エディンビアに滞在している冒険者の大半はすでにこの件を知っており、あとは開業を待つのみとなっていた。
(うぅ……なんてありがたいの!)
「アッシュさんが、利用可能日が決まったら教えてくれと言っていましたよ。ギルドの掲示板のスペースはとってくれているようです」
こんなにも他人に助けてもらえるようになった自分が誇らしかった。文字通り、情けは人の為ならずを体現していた。
「それから、冒険者以外も借りれるか聞いてほしいと祖母が」
「へ?」
「家を空ける日に預けておきたいものもあるご近所さんも多いようです」
「確かに、高い金庫を買うより必要な時だけ借りる方がいいわねぇ」
「意外と需要があるんだな」
リーベルトも少し驚いて興味深そうにしていた。
「もちろん大丈夫です! むしろ大歓迎!」
と、スピンに返事をした。空きがあるよりも、埋まっている方が嬉しいに決まっている。
トリシアが当初、それなりに利用があるだろうと計画したコインロッカー事業は思った以上に盛況で空きを奪い合うような事態になっていた。
「宿泊施設が足りねぇんだよ。冒険者ギルドとしてはこのこいんろっかーは有難い」
「貴重品だけは……って皆言っているわね」
アッシュとエリザベートは冒険者にとって良い環境をと頭を悩ませている。2人にとって、トリシアの事業は有難いモノばかりだ。
「じゃあ次の2号棟の入居者は心配しなくてもよさそう!?」
「そりゃそうだろ~! 早く頼むぞ~」
久しく続いたバタバタの終わりが見えてきたころ、トリシアにいい風が吹き始めた。