第8話 お迎え①
エリザベートとルークはその後1週間、巣へ帰ってこなかった。護衛に入るにしても、第二王子と接触できる人間を制限した方がいいとエディンビア家が判断したのだ。通常なら数名で交代しながら護衛にあたる。だがあの第二王子の様子は知られない方がいい。
(第二王子もそこそこ腕が立つみたいだったけど。やっぱり王族は特別ね~)
トリシアは例の惚れ薬のことは知らされていなかったので、ただ護衛をしているだけであろう2人の帰りを待っていた。
(だけどそろそろ王都からお迎えが来る頃かな?)
実はトリシアは焦っていた。ものすごく。
「アッシュさん! 誰か巣に住みたいって冒険者いないですか!?」
「巣じゃなくて、新しく作ってる方の問い合わせは多いぞ」
「早目に部屋埋めときたいのに! 家賃下げようかな!?」
万が一にも第二王子リカルドがここに住むことにならないように、トリシアは早く満員御礼の看板を出してしまいたかった。
「アハハハハ! お前がそんなに嫌がるのも珍しいな!」
「王族なんて本来雲の上の存在ですよ!? こんな身近にいていい人じゃないですって」
「王都から迎えがもう到着するさ。そんなにビビる必要はねぇだろ」
流石のアッシュも、第二王子リカルドがこのまま彼の希望通りここに住むことになるとは思っていない。
(ただあの王子がこのまま大人しくしてるかどうか……)
エリザベートもルークもそう思って張り付いているのだ。
すでにアッシュがリカルドの体内にある惚れ薬の成分はヒールで解毒済みだった。なのにまだ何かある、と感じるのは冒険者としての勘だ。
「トリシア、悪いが殿下がこの街にいる間できるだけここにいてくれ。すぐに連絡がとれるように」
「……了解です」
アッシュに頼られるのは少し嬉しいトリシアは大人しく従った。週に2度はダンジョンへ行くようにしていたが、スピンと新しい貸し部屋の打ち合わせを進めたり、もうすぐ届く予定のコインロッカーの受け入れ準備をしたり、のんびりとティアやピコと一緒に庭いじりをして過ごすことにした。最近庭には花が各所に植えられ、彩りが加わっている。
そうして、トリシアはまたしても自分の家で王族と対面する羽目になった。
「……トリシア、誰か来た」
「王子だって言ってる……」
最初に対応したのは、たまたま出かけようとしていた双子で、泥だらけで庭仕事をしていたトリシアを呼びに来てくれた。ケルベロスは悪意のない人間には反応しない。その時も小屋の側でハービーとピコと楽しそうに遊んでいた。
(え!? リカルド様!?)
領城から抜け出した? でもあの2人から逃げ切るなんて……。急いで泥を払い、そんなことを考えながら急いで入口に向かうと、3人のフードを被った男性が立っていた。
(王子様?)
だがリカルドには見えない。
「悪いが中に」
「あ、はい。どうぞ……!」
(王族の関係者かな?)
後方の男性に急かされ、急いで3人を招き入れる。
(ケルベロスがいると思うとずいぶん気が楽ね)
彼らの反応がないということは、こちらに害意はないのだ。そんなことを呑気に考えていた。ティアは急いでお茶の準備をしている。
フードの3人のうち1人は、警戒するように入口の側に立った。そうして真ん中にいた男がおもむろにフードを外し、
「弟が世話になったな」
そう言った瞬間、トリシアは崩れ落ちそうになる。
「だだだだだだ第一王子……様!」
急いで軽く膝を曲げ頭を下げる。
(なんで!? なんでまた王族がここに!!? ていうか次期国王がなんでここに!!?)
トリシアは王都へ行った際、たまたま遠目で第一王子レオハルトを見た。ただ有名人を見たな、という感想で終わっていたのだが、ちゃんと人相は覚えていた。武闘派と言われるだけあってか、体格がよく、第二王子リカルドを少々厳つくした顔つきだが、よく似ている。
「顔を上げてくれ。今日は商人のドラ息子がエディンビア観光にやってきたという設定でやってきたのだ」
はっはっは! と笑っていたが、トリシアがさらに混乱するだけだった。
(設定ってなにっ!!?)
今日は双子がアッシュを呼びにギルドと領城まで走っているので、前回よりも早く《《応援》》は来るはずだ。
「今日はお忍びでいらしている。気にしなくていい」
側近と思われる男が穏やかな声色でトリシアに話しかけた。それでようやくトリシアは状況を確認する気になった。
「ほ、本日はどのようなご用向きで……?」
「いやぁ。冒険者専用の貸し部屋があると弟に聞いて興味があってな私も……まあそんな目でみるな冗談だ」
すぐにトリシアの驚愕するような眼差しに気が付いたようだ。
「……我々はここでかまわないが、おそらく場所を変えた方が君にはいいかもしれないな」
その言葉を聞いて、トリシアは血の気が引いた。
第一王子の静かな、だが確信めいた物言いを聞いてすぐさま理解したのだ。
(ああ、私のスキルのことだ)
王族に目をつけられるなんて。トリシアの頭の中は絶望感でいっぱいになる。そのままただ彼らをトリシアの部屋へと案内した。
◇◇◇
トリシアの部屋にある客間で、青ざめた彼女を見たレオハルトが慌てた。
「ああすまない! 怖がるようなことはなにもない。安心してくれ。ただ君に少し協力してほしいことがあるんだ」
「へ……?」
緊張していて何も考えられずにいたが、レオハルトは噂に聞いていたような厳しい人柄ではなさそうに見えた。申し訳なさそうな顔をしているのだ。
(そういえばさっきも冗談を言って和ませようとしてたわ……)
トリシアを気遣ってくれているのだから、少なくとも極端に恐れる必要はないのだと少し前向きに考える。
(そうでも考えなきゃ!)
自分自身を守るためにも前向きにならなければ。思考停止している場合ではない。
トリシアが少し落ち着いたとわかったからか、第一王子はできるだけ穏やかな声色になった。
「君のその力を貸してもらいたい。弟の為に」
トリシアはまだ緊張していたせいか、かすれた声でもちろんです、と答える。
「……私のスキルのことはやはりご存知なのですね」
「まずこれだけは言っておく。君の周囲の誰かが裏切ったなど少しも考えないでくれ。お陰で優秀な家臣達はかなり苦労したのだから」
噂からは考えられない、トリシアを気遣う優しい微笑みだった。
「それに君自身をどうこうするつもりはないことも、最初に言っておこう」
(あ……この人、すごく優しい人だ)
王族の立場や権威より、今目の前にいるただの冒険者の気持ちを優先できる人間だ。それがどれだけのことか、貴族との付き合いも増えたトリシアにはよくわかる。
「私がお役に立てることがあればなんなりと」
だからトリシアは第二王子が一体全体どうなっているか、詳細は聞かずに承諾した。
「ありがとう。助かるよ」
ホッとした表情の第一王子と目が合う。
その時、入口でなにやら揉める声が聞こえてきた。リリとアッシュが巣に戻ってきたのだ。リリはトリシアがピンチなのだと思ってすぐに駆け付けたいが、レオハルトの側近の1人に足止めを食らっていた。アッシュに止められているとはいえ、彼女が側近をかわせないなんて、流石第一王子の側仕え。なかなかの実力者だ。
結局、ティアがトリシアは大丈夫だとリリをなだめ、物音は止まった。
第一王子の側にいるもう1人の付き人がコクリと頷いた。彼は気配を読むのが上手いのか、揉める声が聞こえる前に反応し、すぐさま扉の前へ立ったのだ。今は剣から手を放している彼を見て、今度はトリシアがホッとした表情になる。
「君には話しておこう」
第一王子はゆっくりと説明を始めた。
「君と同じスキルを持つ人間が、この国の歴史上1人だけいた……この国の最初の王だ」
「殿下!」
お付きの男が思わず声を上げる。だが、いいんだ。とそれ以上彼が言葉を続けることを許さなかった。
「ええ!? そんな記述、どこにも……」
「感心だな。王国史を読んだのか」
トリシアは孤児院で暮らしている時に読んだその分厚い本のことを思い出していた。この国の初代国王は長く続く戦乱の世を圧倒的な力を持って統一した。前世の戦国時代を思い起こすような内容だったためとてもよく覚えている。
「そうだ。このことを知っているのは王族でもほんの一部。他言無用で頼むよ」
コクコクとトリシアは首を縦に振った。
「多くの兵達の傷を一瞬で治しただけではない。壊れた武器や城もあっという間に直したんだ。遠征中の食料が腐ろうとも関係ない。敵に城壁や麦畑が燃やされたって翌日には元通り……そりゃあ負けないさ」
「確かに……」
自分の力を戦争に使うなんて考えたことがなかったトリシアは、自分も同じことができるのだと思うと怖くなった。
「それだけ君のスキルは脅威になりえるものだということもわかってほしい。だがこの国にいる限り、私は君の今の生活を保障する」
強制してうまくいかない例は君も知っているだろう? と少し前のウィンボルト家のゴタゴタもすでに知っているような発言もあった。
「……戦争になったら?」
「そうならないための私だよ」
思わず漏れ出たトリシアの不安に、レオハルトはまたも優しく答えてくれた。