閑話 蚤の市
これはトリシアがエリック・タンジェからトリシアの貸し部屋2号棟となる屋敷を買ってからすぐのお話。
「それなぁに?」
チェイスから送られてきた小包の中身をティアが怪訝な顔をして見つめていた。小さな小瓶の中に薄いピンク色の液体が入っている。
「なにかのシロップ?」
甘そうだね、とトリシアはまだ眉間にしわを寄せたままの管理人に声をかける。
「いえ……」
ティアは説明書きを読んでトリシアに言ってもいいものかと悩み言いよどんでいた。これは最近王都で流行っているという『惚れ薬』。とは言っても、愛しい人をさらに愛しく思うだけで、どこの誰とも知らない相手を好きになったりするものではない。効能も高いわけではなく、ただ恋人達の間での流行りものだった。
チェイスとしては、美しい恋人が他のイケメンに心惹かれないかと心配だったのだ。手紙には冗談っぽさを前面に出しているが、その実、遠距離恋愛は不安で不安でたまらないというチェイスの気持ちが見え隠れしていた。
(こんな不埒なもの……!)
自分の気持ちを疑うなどけしからん! とばかりにちょっぴり怒りのわいたティアだったが、そんな心のうちを主人に聞かせてもいいのか迷ったのだ。ただの恋バナではあるが、彼女は自分の立場に少々忠実すぎるところがある。
(ありゃ……触れない方がいいやつかな……?)
トリシアはトリシアで彼女に気を使っていた。不意に目に入ったので尋ねてしまったが、プライベートを詮索しすぎてよくなかったかもしれないと自省する。
「じゃあちょっと出てくるね!」
「蚤の市ですね? 荷物持ちは必要ありませんか?」
「うん! 今日はちょっと大きい家具を見たいから、どっちにしろ買ったら馬車だし。こんど布類の時は頼むかも!」
「承知しました。お気をつけて」
ということでトリシアは今日、単身で蚤の市にやってきた。いつもの中央広場の定期市ではなく、職人街のある北門の近くで月に1回開催されているものだ。
エディンビアの街の人からすると、蚤の市というよりは実質なんでもありのフリーマーケットと呼んだ方が表現のイメージは近い。だが前世の記憶を持つトリシアにしてみると、まさにアンティークなデザインが目白押しのこの蚤の市は忘れかけの乙女心を刺激するものが多く、とても気に入っている空間だった。
(定期市はわりとシンプルなデザインのものが多いのよね~実用的でいいんだけど)
なにより古いゆえに傷が多い商品ばかりで、値段が安いのだ。まさにトリシア向きの市である。
(価値が高いものなんかはすでに鑑定スキル持ちが掻っ攫ってるから、前世みたいに蚤の市で掘り出し物発見! ってならないのはちょっと残念だけど)
だからこそ余計な雑念なく好みのものを全力で探すことができる。
いつもは市にやってきてもぐっと堪えて好きな物を一つだけ……と小学生のおやつのような買い方をしているトリシアだったが、今日、彼女には立派な大義名分があった。
『2号棟に必要だから!!!』
まさに伝家の宝刀ワード。すでに屋敷の売り主であるエリック・タンジェには元からあった家財などは引き取ってもらっている。今回はそれなりに部屋数を用意する予定になっているので、数を揃えられるというのもトリシアにとっては楽しみの数が増えるのと同義語だった。
「お! トリシア! 今日は1人か?」
毎月顔を出していたトリシアはすでに出展者達と顔なじみになっている。
「まあね! 最近皆忙しくって」
「仕事があるこたぁいいことだな」
うんうん。と各自頷いていた。
「そんで今日は買えるのか?」
ニヤリ、と子供を揶揄う大人のように店番が声をかけた。
「ふっふっふ! 今日は買えまーす! ってことで、色々買うから安くしてね!」
「おぉ! それじゃあついに新しい貸し部屋始めんのか!」
他の出展者達もわらわらと話に入ってくる。彼らもトリシアが新しく冒険者用の貸し部屋のために建物を探している事は知っていたのだ。
「1人用のテーブルと椅子、それから収納棚を探してるんだよね。あ、あと食器類!」
「そしたらこれはどうだ? 磨けば綺麗に使えるぞ」
「あ~これ、足元に大きい傷はいってんだけどどうだ?」
「うちスプーンいっぱいあるよ。柄はそろってないけどね」
などとワイワイとし始める。
「あれ? これ魔道具じゃなくて普通のランタン?」
「ああそうだよ。最近じゃ照明器具といえば魔道具になってきたからねぇ~」
(デザインが可愛い!)
丸い風船のようなデザインのそれはトリシアの心をひきつけた。
「最近、小さな球体だけの照明用魔道具が出てて、ランタンの中に入れるだけで照明器具として使えるものが出てるんですよ……」
「はぁ~よく知ってるねぇ!」
(これ、私の部屋で使おう!)
そうして2号棟とは関係のないものを含め、ストッパーがいないのをいいことに、ここぞとばかりにウキウキで買い物を続けるのだった。
◇◇◇
「はぁ~~~こいつぁいっぱい買ったなぁ~!」
「ずいぶん先走ってんな!? まだ間取りの最終決定はしてねぇだろ!?」
龍の巣へは案の定、荷馬車を借りて帰ることになった。巣にいたルークとダンが荷台からテーブルや椅子を下ろすのを手伝ってくれている。2号棟はこれから改修に入るので、なるべく余計な荷物は置かないようにしているのだ。
ルークは呆れてはいるが、予想の範囲内といった表情をしていた。彼もそろそろトリシアの悪癖には慣れつつある。
「いやそのあのね……だいたいは決まってるから! ……それにこれだけじゃまだ足りないんだよ!? これでもセーブしたの! また来月いいのが出るかもしれないし! もしくは数ヶ月いいのが出ないかもしれないし!」
「わかったわかったわかった!」
ねぇねぇこれ可愛いでしょう? おしゃれでしょう? と話題をそらそうとする。そしてそんなちょっぴり必死なトリシアがルークには可愛く映るのだった。黙って頷くしかない。
「あーアッシュさん! おかえりなさい! 探してたフォーゲルの本がありましたよ! 第十二部でしたよね?」
ちょうどアッシュが冒険者ギルドから帰ってきたので、これ幸いとトリシアはアッシュの方へ駆け寄っていった。
「おぉぉ! 本当か! ありがとよ!」
心底嬉しそうなアッシュの表情を見てトリシアも得意気だ。
「今度第一部から貸してやるよ。これがなかなか面白くってな……ん? ……こりゃ随分状態がいいな! 高かっただろ!?」
(しまった! 綺麗にし過ぎた!?)
この本は巣に戻る前にすでにスキルをかけていたのだ。それで結局、話題は元の場所に戻ることになる。
「そ、そうでもなかったですよ……ほら、あれだけかったのでおまとめ割引がきいたというか……」
トリシアはそろ~と、指を馬車の方へと向ける。
「おわぁ!!! こりゃ買ったなぁー! まだあの屋敷、改修にもはいってないんだろ!?」
「えへ……えへへ……!」
そうしていつも通り、笑って誤魔化すトリシアだった。