第6話 大騒動
2号棟の計画は順調に進んでいる。前々からスピンとは話を進めていたため、方向性は決まっていた。
部屋は1人1部屋、大きな荷置場は玄関に、ベッドに1人用の椅子とテーブル、戸棚にクローゼット、それから風呂とトイレ。トリシアの前世でいうところのキッチンのない単身者用アパートのような間取りだ。1階の厨房と食堂はそのままなので、そこを基準に間取りを調整する。
「建物の価格を抑えられたのは大きかったですね」
「ほんと。感謝しなきゃ! その分人件費を増やして早めにオープンできそうですか?」
トリシアが『龍の巣』より価格を抑えた貸し部屋を計画しているという噂を聞きつけて、冒険者達から状況を確認する問い合わせがしょっちゅう入るようになっていた。もちろんそうなるとトリシアもドキドキウキウキだ。期待される喜びと、期待にこたえられるかちょっぴりの不安がいい塩梅に混じりあっていた。
一方、スピンの方は少々困り顔になっている。
「それがですね~……最近は工事依頼が多くって」
「建築、増築、改装ラッシュって言ってましたもんね……」
エディンビアの街は今、盛り上がっていた。人口の流入に伴い、宿屋も家も増えてきている。スピンも王都から帰ってから毎日忙しそうに走りまわっていた。
「以前来てもらった、秘密保持契約済みの作業員のスケジュールが決まり次第ですね……彼らにある程度動いてもらえればあとはなんとかなると思います」
トリシアは龍の巣の改修の際、スキル能力を使って建物を何度もリセットすることで資材を取り出していた。今回も同じ手を使うつもりなのだ。秘密保持の魔法契約をしている作業員であれば、不思議な現象を口外することはない。
そんな話をトリシアの部屋にある客間で話していた。具体的になっていく計画にトリシアはワクワクしっぱなしだ。
だが、そんな気持ちを一瞬で消し去る出来事がトリシアを襲った。
「ご、ご主人様……おお、お、お、客様がいらっしゃいました」
ここまで動揺するティアを見るのは初めてだった。いつものポーカーフェイスではない。
「ん? 誰だろ?」
ティアは大きく息を吸った後、冷や汗をかいたまま答える。
「第二王子が……リカルド殿下がおこしです……!」
「はあああ!?」
思わず叫んでしまった。スピンもポカンと口を開けたままになっている。
「お、お待たせするとよくないんじゃ……?」
まだ信じられないといった顔のスピンと目が合い、トリシアは部屋を飛び出した。
「え? 本当に!? 自称王子様じゃなくて!?」
階段を駆け下りながらティアに尋ねる。
「王族特有の瞳をお持ちでした……少なくとも血縁関係はあるかと……」
ティアはまだ少し狼狽えていた。
「エリザに会いに?」
「い、いいえ。ご主人様にお会いしたいと」
「なんで!?」
なんでなんてティアにもわからない。トリシアは一度護衛の仕事を引き受けたことがあると言っても、所詮王族と一介の冒険者、それもトリシアのように身分の低い階層出身者が関わりあうことなど、本来ならありえないのだ。
とりあえず着の身着のまま階段を駆け下りる。第二王子リカルドは信じられないことに建物の外で外観を眺めながら待っていた。しかも1人だ。護衛も見当たらない。なにより身なりがいつもの派手な王族の様相ではない。
(冒険者みたい……)
それで以前、エリザベートが言っていた言葉を思い出したのだ。
『私と添い遂げたいのなら、貴方も冒険者になって』
そうリカルドに伝えたと。
(まさか……まさか……)
「誰か夢だと言って……」
「ずいぶんだなぁ~。これは夢じゃないさ! 紛れもない現実!」
思わず漏れ出たトリシアの言葉を聞いて、リカルドは大笑いしながら返事をした。
よりにもよって今日はエリザベートもルークもいなかった。ハービーがアッシュを頼りにギルドへ走ってくれている。
「申し訳ございません。エリザベート……様は今ダンジョンへ行っておりまして」
「ああかまわないよ。今日用があるのは君だからね」
(ああ~その用事の内容は聞きたくない……)
トリシアはもうこれから何が起こるのかわかっていた。
「ここに私を住まわせてはもらえないだろうか」
「あ……あ……あの、そ、その……」
トリシアは吃りながら断りの言葉を考えていた。どうしてもこの手の面倒ごとは避けたい。散々抱え込んできたトリシアだが、王族は別だ。王族だけは抱え込めない。
「で、殿下がお住まいになるにはここは少々手狭かと……」
「今日から私は冒険者だ。そんなことは少しも気にならないさ!」
いくら爽やかに答えられても今のトリシアにはなんのプラスにはならない。
「嘘……冒険者って……嘘!?」
「嘘じゃないさ! あ、悪いがあとでギルドに付いてきてくれないか?」
「それはいいですけど……嘘……マジで……」
「アハハ! トリシア、崩壊していってるぞ!」
(アハハじゃなーい!)
エリザベートが望む通り、リカルドは冒険者になるつもりのようだ。
(何考えてんの!? ただの貴族じゃない! 王族よ!? 王族なのよ!!?)
しかも王位継承権第二位。暗殺者までやってくるほどの有望株だ。今頃各所大騒ぎになっていることは予想がつく。
「聞きたいことも言いたいこともいっぱいあるって顔だねぇ」
ニヤニヤと面白そうにしているが、少しも笑い事ではない。
「私をここに住まわせてくれたらこと細かに教えようじゃないか!」
もちろん色々と聞きたいが、それよりも今すぐお引き取り願いたい気持ちが勝る。王族が護衛もつけずにいるなんて、落ち着かないわけがない。
「パース! プレジオ!! フュリー!!!」
ケルベロスはすぐにトリシアの呼びかけに応じ、玄関までやってきた。なんだなんだと不思議そうだ。
「わー!!! すごい! 本当にケルベロスが住んでるんだね! しかも馴染んでる!」
嬉しそうに騒ぐ第二王子をケルベロスは怪訝な目で見ていた。彼らにしては少々珍しい反応だ。
「お願い。変な奴が来たらすぐに追い払って」
「ガゥ」
そう小さく返事をした後、第二王子リカルドの方を再度見る。
「この人以外! この人以外の変な奴よ!!!」
「どうも変な奴でーす!」
「ももももも申し訳ございません!!!」
もうトリシアは頭がどうにかなりそうだった。家主としての威厳はなく、ただワタワタとするだけだ。
(不様……というか不敬罪……)
第二王子リカルドはこんなキャラだっただろうかと過去の記憶を呼び覚ます気力もなくなりつつあった。
とりあえず外にいるよりはとリカルドを建物の中へと案内し、椅子にかけてもらう。ピッタリ第二王子に張り付いて何があってもすぐに治せるよう注意を怠らない。
「お茶はいかがいたしましょう……」
ティアがこっそりトリシアに尋ねる。犯罪奴隷である自分が王族の体に入るものを出してもいいのか、そもそも毒見役もいない状態で何かを提供してもいいのか、ありとあらゆる疑問と悩みがその言葉に含まれていた。
(ど、どーすりゃいいの!?)
と、混乱続きのトリシアに助け船を出すかのようにニコニコのリカルドの口が開いた。
「気を使わせて悪いね! お茶をいただけると嬉しいよ」
ティアはすぐに頭を下げ厨房ではなくトリシアの部屋へと向かった。もちろん、一番上等な茶葉を取りに行くためだ。トリシアが王都で購入し、ティアと2人でどんなものか試そうと話していたモノだった。
(流石ティア~! 機転がきくわ……ありがとう~!!!)
「随分美しい犯罪奴隷だね。まあエリザベートには負けるけど!」
フフっと笑うリカルドに愛想笑いを返すしかないトリシアだった。
そうしてティアが茶葉を持って階段を下りてきたと同時に、一階の玄関扉が勢いよく開いた。
「殿下!」
アッシュが息を切らしながら巣に戻ってきたのだ。その後ろから他のギルド職員も走ってきているのが見える。さらにその後方にふらふらのハービーが。
(助かったぁ……)
「やぁアッシュ! 久しいな!」
「殿下、すぐに領城まで。お供いたします」
「いやいや。私はもう王族を抜けるんだ。エディンビア家の世話になるわけにはいかないよ」
「それでも今はまだ貴方様はこの国の第二王子。どうぞこちらへ」
アッシュは最近益々威厳が増していた。肩書が板についている。王子とは経験値に差があるせいか、流石の王子も観念したようだ。
「また来るよ」
黄色と緑が混ざり合ったような王族特有の美しい瞳が怪しく光った後、ニコリとトリシアに笑いかけ、アッシュとゼェゼェと息を切らしたハービー、ケルベロスや他のギルド職員に急遽集められた冒険者達に囲まれて、大きく手を振りながら去っていった。
「あ、嵐のようだった……」
流石あのエリザベートに恋をしてるだけある。
「また騒がしくなりそうですねぇ」
少し離れたところから見守っていたスピンがしみじみと言った言葉が、身に染みたトリシアだった。