第13話 殴り込み
王都に来て1週間、その間ルークから連絡はない。実家のウィンボルト家の屋敷に行ったきりだ。ウェイバー家の朝食の席で、エディンビアからやってきた出稼ぎ組はいい加減心配だと声を上げた。
「連絡もよこさないなんて、ルークさんらしくないですね」
スピンは彼がトリシアに余計な心配をかけるようなことはしないとわかっている。
「やっぱそうですよね……」
いくらルークが強いとはいっても、流石になんの音沙汰もないのは不安にもなる。正直、その日の内に帰ってこなかっただけでトリシアは心配だった。だが、待てど暮らせど帰ってこない。ウィンボルト家について知識のあるトリシアは、
(やっぱり簡単にはいかなかったか……)
と、心の中でルークに声援を送るしかなかった。だが、いい加減遅すぎる。
「……両親のところだろう?」
「……仲直りして……いっぱいおしゃべりしてるとか?」
「ならいいんだけどねぇ」
トリシアはあの家族の妙な関係を知っている。特に母親の方が息子に執着をしていることを。
(あれだけ両親がルークのことばかりだったのに、ルークは両親に無関心だったからなぁ……)
ルークは両親から多大なる期待をかけられていたが、その両親には何も期待していないように見えた。ただ言われた通り生きているだけだった。
『その生き方はある意味楽だと思う。自分で何も考えなくていいし。何も決めなくていいんだもんね』
出会った頃、幼いルークにそう言ったことをトリシアは実は少し後悔していた。両親の言いなりで、意思のない人形のようなルークが心配でついキツイ言い方をしてしまった。他人の人生に口出しするなんておこがましい。
そのせいかもしルークが冒険者にならなかったら、両親の期待通り領地をさらに発展させて、誰か素晴らしい身分の女性と結婚して、両親が思い描く幸せな毎日を送っていたかもしれない。と、トリシアは思う日もあるのだ。
だがトリシアに両親に会いに行くと言った時のルークは、まるで普通の子供のように、両親になにかしら期待を持っているように感じた。ほんのわずかだが、分かり合える可能性があるのではと希望を持っているように見えた。それは外の世界に出て、多くの人間関係を見てきたせいかもしれない。
(自分のせいでルークの人生が変わってしまったなんて考える方がおこがましいか……)
何度も繰り返し考えることだった。特にここ1週間、ルークが両親の下へ行ってからは頻繁に考えてしまう。何がルークの幸せか。
「どうやら1週間ほど前、お屋敷でボヤ騒ぎがあったようです」
ウェイバー家がどこからか情報を仕入れてきた。彼らも大切な客人の行方は心配だったのだ。
「えええ!? まさか親子喧嘩でもした!?」
ルークは両親に対しては大人しかった。それは彼らになにも期待していなかったからでもあるが、少なくとも領地にいた頃は模範的な嫡子だった。トリシアに関して以外は。だからそのまさかだとはこの時思っていなかった。
「それからウィンボルト侯爵はすでに領地にお戻りのようで、今は夫人のみ王都に残られているそうです」
「げっ」
ルークが両親に会いに行くと言っていたのをトリシアはちゃんと覚えていた。
(聞いてた話と違う)
しかし侯爵夫人ならその程度の嘘はなんの躊躇いもなくつくだろうと納得できる。
ウィンボルト侯爵は話が通じる人だ。夫人と同様に息子に期待し、厳しく接していたのは確かだが、貴族として、領主としての倫理を説いたのも彼だった。領民を守るために、と口癖のように言っていた姿がトリシアの記憶に強く残っている。それが息子をじわりじわりと追い詰めている事を知ってからはずいぶんとマシになったことも。
(侯爵がいると思ったからルークも会いに行ったのよね~……あの母親じゃあそもそも話にならないでしょ……)
想像しただけでぐったりと疲れそうだ。
「……行ってみる?」
「それが早そう……」
「……そうねぇ……」
先ほどから歯切れの悪いトリシアを見て双子はソワソワしている。彼らには珍しく自分達から動こうと提案した。だがトリシアは乗り気には見えない。
(あのクソババア苦手なのよね~……できれば会いたくないんだけど)
死なない程度にいじめられていた記憶は今も残っている。大好きな人の母親ではあるが、それはそれ、これはこれだ。
「ハァ~……そうは言ってもやることは決まってるんだけど……」
独り言と共にため息をつく。そうしてパチンと自分の頬を両手で挟んで気合をいれた。
「ヨシッ! カチコミよ!!!」
「かちこみ……?」
(こうなったらもう嫌われついでね!)
「では夕方までにお戻りくださいね」
フランツ・ウェイバーは意外と冷静だ。すでにウェイバー家やトリシアには多くの有名な貴族が後ろ盾についている。名家であるウィンボルト侯爵家相手でも太刀打ち出来るメンツが揃っているのだ。多少の無礼を働いたとしても、執り成してうまく治めてくれるであろう別の名家が。
トリシアも今回の出稼ぎで、貴族からいつものような高圧的で不遜な態度をとられることがなく驚いていたが、それはあえてそういう患者だけウェイバー家が受け入れたからだった。
「変な客を相手にするとそれだけで我々にはリスクです。あとから難癖をつけて高額な治療費を返せと言われても厄介ですし」
そういう貴族に限って、契約魔法を嫌がるんですよ? と、わざとらしく顔をしかめてトリシア達の笑いを誘う。
(確かに……エディンビアに行くまでは治療費踏み倒そうとしてきた冒険者って結構いたしな)
それも治療後に。治療費を前払いにしても、トリシアがアッサリ治療を終えるのを見ると、もっと安くていいだろうと難癖をつけ始めるのだ。そういった経験から彼女はスキルを使った治療の際も、時間がかかったように見せかける癖がしっかりついていた。
患者を厳選し、恩を売った上で高額な治療費も手に入れる。やはりウェイバー家は治療を商売として見ている。と、トリシアは確信した。
(患者を選ぶって、前世の倫理観じゃ許されないような気がするけど……)
と思いきや、月に数回、貧しい人々へ無料で治療をおこなったり、ヒールを使えるが貧しすぎて搾取から抜け出せない人達に学びや働く場を与えたりと、所謂福祉活動もおこなっていた。
「取れるところから取って、使えるところに使ってるんです。で、最後に我が家に還元されるならなおヨシ! という方針なんですよ」
あまりにあっけらかんとしていて、トリシアは心のつっかえがポロンっととれる感覚を味わった。彼女は自分勝手に生きるのが苦手だ。倫理観も常識も違うこの異世界に生まれ変わってもなお、前世のそれらに縛られてきた。それでも随分マシにはなったが、度々価値観の違いには悩まされてきた。
だからこそこの開き直るような考えは、トリシアの気持ちを楽にしてくれたのだ。自分もそうあっていいと許されたようなキッカケを与えられたのだ。
(まあ私達は医者ってわけでもないしね)
引きずった前世の記憶をうまく今世に馴染ませる作業にトリシアは少しだけ慣れてきたのかもしれないと、ホッとする気持ちだった。
(過去を有効活用しつつ、今世は楽しまなきゃ! それでさらに誰かの役に立てるならなおヨシ! ね!)
同じく前世の記憶を持つウィリアム達と一緒に食べたあの夕食の日の記憶を思い出していた。
◇◇◇
「これからカチコミに行くにあたり、ルールを説明します」
ウィンボルト侯爵家の屋敷の近く、トリシアは双子の前に立ってあらためて確認した。ちなみにスピンも来たがったが、なにかあった場合守り切れる自信がトリシアにはなかったので近くで待ってもらっている。
双子はコクリと真剣な表情で頷いた。
「まず一番大事なのはルークが無事かどうかの確認。ただ話し合いが長引いているだけならそれでいいの」
うんうんと双子は頷く。
「で、あり得ない気がするけど……問題はルークがどうこうされてる場合ね」
「……どうこう?」
2人は同じ顔で眉を顰める。あのルークが他人にどうこうされるとは思わなかった。実力のある双子から見てもルークは強い。自分達よりはるか上だと感じていた。
「考えたくはないけど、ルークの母親ならどうにか息子を自分の手元に置いておこうとすると思うのよねぇ」
これは経験から導かれた勘だった。ルークが帰ってこない理由を考えた時にすぐに浮かんだシチュエーションだ。あの母親ならやる、という確信がトリシアにはある。唯一彼女を止めることが出来るウィンボルト侯爵がいないとなればなおのこと。トリシアはルークよりも彼女のことがわかっていた。
「それは……大好きだから?」
「ずっと……一緒にいたいから……?」
純粋な問いかけに、トリシアは答えを迷った。双子はトリシアと違い、両親や家族を失った記憶がある。もう会えない家族に対する『大好き』や『一緒にいたい』という感覚がいまだにあるのだとわかって、少し切ない思いがした。
「まあ……それはそうなんだけど」
そして少し考えて、
「嫌がる相手を縛り付けたらそれはやり過ぎなのよ」
そう答えた。ダメなものはダメだ。
まあまさか文字通りルークが縛り付けられているとは思いもしなかったが。
「……ルークが嫌がってなかったら?」
「その時は、泣きながら一緒に帰りましょ」
トリシアの悲しそうな笑顔を見て、今度は双子は胸がキュッとなり、そっと彼女の手を握った。
「で! ルークがどうこうされて、しかも嫌がってたらよ!?」
声を大きくしてトリシアは気合を入れなおす。しんみりしている場合ではないのだ。相手はあのクソババア。トリシアの仇敵でもある。並の気合では乗り越えられない。
「武力を以って取り返します!」
あのルークが領地に戻りたがってるとはどうしても思えない。トリシアだけが理由ではない。彼自身、冒険者になって本当に楽しそうなのだ。生き生きとしていた。ちゃんとルーク自身の人生を自分で決めて、歩いているように見えた。
「というわけで、その辺、リリとノノ! 頼んだわよ!!!」
冒険者なのに戦力に関しては残念な評価がつくトリシアは双子に頼るしかない。だがそれが双子にはとても嬉しい。展示会でトリシアを止められなかったリベンジだ。
「……わかった!」
2人ともこぶしをギュッと握りしめ、力いっぱい答えた。