第8話 王都へ
「整ってる~!」
「この辺りは最近再整備されたみたいですね。以前来た時と変わっています」
建物がごちゃごちゃとしたエディンビアの街中とは違い、王都は綺麗に区画整備されていた。スピンはさっそく建物を簡単にスケッチしている。確かにエディンビアではあまり見かけないタイプの真新しい建築物がたくさんあった。シンメトリーだが、細かな装飾が各所に見え、とても華やかだった。
「エディンビアでの仕事は修繕が多いので、王都は新鮮です!」
スピンが興奮気味なのがわかる。目が爛々としているのだ。
これがトリシアには初めての王都。冒険者にとって護衛の依頼でもない限り観光地と似た位置付けの場所である。ダンジョンや魔の森が近くにあるわけでもないので、高位冒険者でもないかぎり、なかなか縁のない街でもあった。B級以上になると個人的に護衛として雇われることも出てくるが、それもほんの一部だ。
王都はこの国の全てが揃っている。だがなんにせよ全てがお高い。万年C級冒険者だった頃はたいして楽しめるような場所ではなかったので、わざわざ手間と暇と時間をかけてやってくることはなかった。
(エディンビアの3倍!?)
ついて早々に迎えに出てきたチェイスの父フランツ・ウェイバーにお願いし、連れてきてもらったおすすめの食堂の昼食の金額に恐れ慄くトリシアだった。最近はエディンビアで少々値の張る食堂へもでかけたこともあったが、それよりもずっと高い。これからこの街で約一か月生活する予定のトリシアはすでに不労所得者にもかかわらずゾッと肝が冷える思いがした。
(悲しいかな根っからの貧乏性だからかな……)
孤児院を出るまではまともに自分のお金というものを持たなかったのでしょうがない、とちょっぴり悲しい性分の自分にいいきかせる。
「今回は合計12件の予約を承っています。魔力の回復期間を考え2週間ほど……依頼者には最長3週間お待ちいただくよう伝えてあります」
「すごい! 依頼主は皆、お金持ちか貴族ですよね? よくそんな融通がきいたもんだわ」
トリシアが関わってきた貴族の大半は、孤児出身の冒険者相手に遠慮などしない。貴族を待たせるなど何事だと言わんばかりの態度だと思っていた。だからもっとギュッとスケジュールが詰まっていると思っていた。
「それは皆様、切実ですので」
トリシアが最後の頼みの綱、という患者が多い。
「ああいうやつらは王都に屋敷を構えてるから、待つなんて別に問題ねぇんだよ」
ルークが不機嫌そうに言い捨てる。彼は王都にあまりいい思い出がない。
王都でのトリシアの予定を、彼女の護衛としてついてきた双子はいつものように大人しく聞き漏らさないようにしていた。
「……魔道具の展示会には、いつ?」
「魔力の回復期間の合間に行くことにするわ」
(まあ、そんなの必要ないんだけど)
トリシアは素知らぬ顔で答える。古傷治療の為の魔力消費量は通常の怪我よりも多くなるのが普通だ。もちろんトリシアにはほぼ関係のないことだが、スキルを隠している以上は普通のちょっと腕のいいヒーラーとしての設定通り過ごす必要があった。
「予定が変わってしまって申し訳ありません……」
「いえいえそんな。何もかも手配していただいているおかげで楽ができてますし」
双子はトリシアがとても展示会を楽しみにしているのを知っていたので気になっていたのだ。当初の計画では先に展示会を楽しみ、その後で古傷治療を始めるはずだった。だが、リザポート家の娘の酷い傷が治ったという話はすでに王都まで届いており、早く早くとチェイスの実家、ウェイバー家はプレッシャーをかけられている。え? 王都に到着してもすぐに治療を始めないの? と。
(それを考えるとやっぱり権力者らしいお願いよね)
チェイスへの護衛依頼が終わるのを待つ時間すら惜しまれた。その為彼をエディンビアに残したままトリシア達は王都へと旅立ったのだ。
「お相手さえよければ、今日何件か早速治療しましょう」
「いいのですか!? お疲れでは?」
「まあ、その辺はヒーラーなのでなんとでも」
パァっと明るくなった表情がチェイスとよく似ている。
面倒くさいことは全てウェイバー家がやってくれている……はずだ。前回のようなゴタゴタはもうないだろう。
ウェイバー家は王都の一等地にほど近いエリアにあった。屋敷と言っても過言ではない大きさだ。エディンビアからやってきた全員がこの家にやっかいになる。それでも部屋数には余裕があった。
「見栄も必要なんですよ」
フランツは少し困ったような笑顔だった。王都での経営というのは何かと経費もかかるのだろうとウェイバー家の苦労を垣間見た瞬間だった。
◇◇◇
到着した晩、さっそく1人目の治療に向かう。大きな馬車がトリシア達を迎えに来てくれた。患者がわざわざトリシアの為に用意したのだ。
(今日の人は隠さないのね)
ウェイバー家によると患者それぞれという話だった。傾向としては女性患者の方が身元を隠すことがやや多い。
(それに対応が丁寧だわ)
冒険者のヒーラーなんて、貴族は馬鹿にするもんだと思っていた。
「リザポート家の侍女だって丁寧だっただろ。あいつらは上っ面だけだ」
リザポート家は世話係達の態度は高圧的だった。だがサンドラの侍女はトリシアに礼儀を尽くそうとしているのは感じられた。
「相変わらず貴族に対して厳しいわね~」
「……お前が嫌な思いする必要ねぇだろ」
またもや不機嫌そうだ。王都に来てから表情が暗い、というより元気がない。
「残念ながらそんなことで傷つくような生き方してないわ」
だからトリシアはほとんどない力こぶを見せ、少しふざけた言い回しをした。だがルークは曖昧に微笑むだけだった。
「……ありがと。気にかけてくれて」
「ん」
また元気のない笑い顔だ。トリシアの心配そうな顔を見て、ルークはそんな自分の状況に気が付いたようだ。すぐに彼女の目を真っ直ぐ、真面目な顔をして見つめる。
「悪りーな。この仕事終わったら話聞いてくれるか?」
「もちろん」
ルークがトリシアに自分の悩みを話すつもりであることが意外だった。だがそれがトリシアにはとても嬉しい。彼が自分の弱みを見せることなんてこれまでなかった。
(内容が気になるけど……考えても仕方ないわね)
トリシアと同じく、ルークの話を聞いて考え込んでいた双子が不思議そうに尋ねた。
「貴族って……そんなに嫌な奴が多いの?」
「……ルークとエリザベートは貴族だろう?」
それを聞いたトリシアは笑いそうになるのを堪える。ルークは少し心配そうな表情になって、
「それは……俺らを貴族と思うところから間違ってるな」
「まあ貴族にも色んな人がいるのよ。平民と一緒!」
トリシアは当たり障りのないフォローをする。これから双子だって貴族の相手をすることもあるだろう。なんといっても彼らもA級。貴族からの声かけも増えるに違いない。
そんな若い冒険者達のやり取りを、フランツは微笑ましく見ていた。
到着した屋敷は、先ほど見たウェイバー家の屋敷よりさらに大きく豪華だ。
トリシア、王都到着1人目の患者はエーベル伯爵家の当主、アントン・エーベルだった。
「こちらに到着したばかりだというのにすまないね。よろしく頼むよ」
トリシアが通された部屋に、初老の男性が使用人に支えられ、杖をつき足を引きずりながらやってきた。少しやつれている。顔色も悪い。付き添ってきた使用人達を手を払って部屋から追い出していた。
「ただの切り傷だと思ってたんだが、どうやら魔草の毒に触れていたらしい……最近は痛みでよく眠れなくてね。参ったよ」
伯爵は狩りに出かけた先で怪我をした。魔物に襲われ、それはすぐに倒したが、傷口がふさがる前に魔草に触れてしまっていたのだ。切り傷自体は治療済みだったが、内部に入った毒はそのまま、じわりじわりと彼の体を蝕んでいった。
「始めは切り傷だけだったんだが、治したと思ったら痛み始めてね」
酷く疲れ切った顔だ。トリシアが最後の希望なのだろう。出来るだけ丁寧に接しようとしてくれるのがわかる。
「傷自体は1年程前と伺っておりますが、間違いないでしょうか?」
「ああ、去年の春だ。……古傷というほど前ではなくて悪いね」
「かまいません。長い間、お辛かったでしょう」
「……ああ」
彼は少し涙ぐんでいるようだった。立場上、弱っている姿を見せられない。だが思わぬ労りの言葉につい緊張が緩んだ。
「痛みに支配されて、どんどん嫌なジジイになっていくんだ。我ながら情けないよ」
「仕方のないことでございます」
いつ終わるかもわからない痛みがあれば、誰だって気持ちも悪い方へと向かってしまう。
「では、お掛けになって目を瞑っていただけますか?」
あらかじめ用意してもらっていた足がのばせるソファに、伯爵はゆっくりと横になった。
部屋には伯爵とトリシア2人だけだった。伯爵がそう望んだのだ。治療が上手くいかなかったときの落胆する姿を誰にも見られたくなかった。期待と同じくらい不安も大きい。
「失礼いたします」
ゆっくりと1年前に怪我をしたという場所に手を置く。薄っすら傷跡が見えるが、言われなければわからない。
(この傷もリセットちゃってもいいのよね?)
ジュワっと瞬間に傷跡が綺麗さっぱりなくなった。そのまま彼を苦しめる魔草の毒も消し去っていく。
(遅効性の毒なんて質が悪いわ)
毒はすでに全身を覆っていた。今は足だけ痛んでいたようだが、その内全身が痛むことになっていただろうことがわかる。
トリシアがふと顔を上げると、スッと伯爵の頬に涙が伝っていた。
「うそ!? い、痛みがありましたか!?」
トリシアは焦った。なにか粗相をしたのかと動揺を隠せない。
「いや……痛みが……痛みが引いたよ……ああ……ありがとう……」
長らく辛い思いをしていたが、ついに解放されたのだ。
「すごいな君は。あっという間に効果があったよ……他の誰も治せなかったのに」
「とんでもございません。運よく治療と相性がよかったのでしょう」
(うわぁ~あまりそこんとこ触れないで~!)
いつだってすぐに治療が出来るが、変に勘繰られないように患者にはある程度時間をかけていた。だが伯爵はこの1年どんなことをしても消えなかった痛みが、トリシアが治療した途端に消えていった。彼は驚きと喜びを隠せないでいたのだ。
「少ないがとっておいてくれたまえ」
「そんな! すでにお代はいただいておりますので!」
トリシアへはウェイバー家を通じて支払われる話になっている。なのに伯爵はまた別に金貨の入った袋を使用人に持ってこさせたのだ。
「これは気持ちだ。こんなことしかできずに申し訳ないが……あって困るモノではないだろう。……すまないなウェイバー。これは見逃してくれるか?」
「もちろんでございます」
ウェイバーもニコニコだ。王都での初仕事は大成功の上、気がかりだった患者の症状が綺麗さっぱりなくなったのだから。
「では、ありがたく頂戴いたします」
(ラッキー!!!)
仲介の許可も下りたこともあり、これで気持ちよく受け取れる。トリシアは深く頭を下げた。
伯爵は先ほどよりずっと穏やかな顔つきになっていた。使用人達もそんな主人を見て皆、喜びや安堵の表情になっている。
「もし何か困ったことがあったら連絡しなさい。その時は全力で君の力になろう」
「ありがとうございます」
伯爵はゆっくりと夜空を見上げていた。
「ああ今日は、久しぶりにゆっくりと眠ることができそうだ」
来た時より多くの使用人達がトリシアを温かく見送ってくれた。眉唾物だと思っていたB級ヒーラーの実力を屋敷中が認めたのだ。
(上手くいきすぎて怖い……!)
帰りの馬車の中で、手元の金貨がキラリと光った。