第7話 準備
今日は巣の1階で『エディンビアの家庭料理を広める会』という、有志によるお料理会が開かれていた。基本的にはご近所さん達の集まりだ。スピンのおばあさんもいる。ホッとするような味付けの料理が盛りだくさんに中央のテーブルに置かれており、各々が好きな量をとって席に座り、会話を楽しんでいる。
王都へ行く日が迫っていた。トリシアはこれまで身軽な冒険者だったが今は貸部屋業のことがある。住民が快適に生活を続けるために出来るだけのことはしておこうとアレコレ整えなければならなかった。
「えぇ!? チェイスさん王都に戻らないんですか!?」
「そうなんだよぉ~……お嬢様の護衛に雇われちゃった……」
トリシアが先日治療したサンドラ・リザポートは宣言通り、以前彼女の屋敷で雇われていたヒーラーに謝罪に行くことに決めた。初恋の彼がいる場所がエディンビアから向かう方が近かったのだ。
リザポート家はよっぽど彼とサンドラを離していたかったようだが、運は彼女に味方をし、見事に彼を見つけ出した。例の彼は今、エディンビアから数日の距離で仕事をしている。
チェイスは半泣きになっていた。いつものように情けない声でティアに縋りつく。
「ティアはエディンビアに残ってよ~……俺たぶん、一週間くらいでまたここに戻れるからさ~」
「いえ。ご主人様のお世話がありますので」
『エディンビアの家庭料理を広める会』の手伝いをしているティアは予想外にキッパリと断っていた。ティアは最近、近隣住人達からも犯罪奴隷という扱いを受けなくなっている、というより貸し部屋の管理人として声をかけられるようになったのだ。それがトリシアには何よりも嬉しくてたまらない。ティアの誠実さや真面目さを周囲はちゃんと見ていた。
そんな彼女にとってなにより大切なのはやはりトリシアだった。チェイスにはさらに追加で牽制する。
「これ以上余計なことをこの場で仰るなら、私達はこれまでということにしてください」
目が本気だ。チェイスがこれ以上トリシアに泣きつくのを先回りして牽制した。ティアのトリシアへの忠誠心をトリシアより知っているチェイスはその後すぐに黙った。青ざめた顔をして。
「まあまあ、そんなに邪険にしなくってもいいじゃないの~」
「あらそんな! 初めにピシャリと言っておかなきゃ。チェイスの坊ちゃん、すぐに調子に乗るタイプよ」
「ちょっと! 私達が若い人達の色恋に口出ししちゃあだめだめ!」
「だって~」
近くで料理をしている会員の奥様方がキャッキャと浮かれたっている。
「えーっと……私は別に大丈夫だよ。そもそも私冒険者だし、知らない街での生活もそれなりに慣れてるつもり」
チラっと横目でチェイスを見ると目が合った。彼がトリシアに向けるのは期待に満ちた眼差しだ。
そもそもトリシアがティアと王都に行こうと思ったのは、そっちにチェイスがいるからだ。チェイスがこちらにいるなら意味がない。だが、ティアはトリシアの世話になにより重きを置いている。
「それにそもそもティアはここの管理人として雇っているし。……こっちに残ってくれたら助かるな~……なんて」
ティアの反応を気にしながら探り探り会話を続ける。彼女は小さく息をはいて、
「わかりました。しっかりご主人様の留守をお守りします」
と、少し諦めるように答えた。こうなることはチェイスが泣きついた時点でわかっていたのだ。だがハッキリと自分の優先順位をあらためてチェイスに知ってほしかった。
ティアがいてくれればこの建物のことは問題ない。修繕が必要な場合はトリシアが戻ってからだが、それ以外は全て彼女に任せることが出来る。信用も信頼もしているからだ。
◇◇◇
『エディンビアの家庭料理を広める会』が用意してくれた料理を食べながら、トリシアはやるべきことを数えていた。目の前には香草の入ったもつ煮込みと魔物の肉を使ったミートパイが置かれてある。
「えーっとあとは領主代理に挨拶して、それから商業ギルドに1階の調理場の貸し出しを止めてもらってそれから……」
「まあ。お兄様にわざわざそんなことする必要はないわ」
トリシアの目の前に座っているエリザベートは呆れるような声を出し、大袈裟に体をのけぞらせた。わざとだ。彼女は兄のエドガーに対してだけは少々子供っぽい態度をとるのをトリシアは知っている。エリザベートに用意されたミートパイの皿はすでに綺麗になっていた。
「そんなわけにはいかないよ~最近稼がせてもらってるし」
「相変わらず律儀ね」
「義理堅いと言ってちょうだい」
相変わらず魔道具や家具に目がないが、最近トリシアはまた少しずつ貯金を進めている。
(目指せ龍の巣2号棟よ!)
今ある貸し部屋を作ってトリシアは心から満足していた。それにとても幸せだ。住人も同じ気持ちでいる。だが、気が付いてしまった。
(冒険者が望んでいる部屋とはちょっと違ったってことよね~)
思ったより入居者は集まらない。これが現実だ。この家ほど立派なモノは冒険者は必要としていなかった。ちょうどいいのはエリザベートが使っているゲストルーム程度なのだろうとすでに予想がついている。
(広すぎず狭すぎず……でも風呂とトイレははずせない!)
テーマは変わらない。冒険者にホッと息をつける空間を。
ならばやはり稼がなければならない。貸倉庫用の金庫もいくらするやら。
すでに新たな計画を聞いているルークは全肯定だ。
「ここの貸部屋、順調に行ってるしな。いいんじゃねーか2号棟! ……次は魔道具はほどほどにしとけよ」
「早まりそうになったら止めてよね!?」
「わかってるよ」
嬉しそうに声を上げて笑っていた。
だけど全てが上手くいくわけではなかった。状況は常に変わっていく。
「はぁ~……魔道具の展示会楽しみなのに……」
「不動産価格、上がってますからねぇ」
「そう! なんで!? 少し前にスタンピードあったのに!」
何より楽しみにしていた王都で開催される魔道具の展示会で、このままではあれこれ買い漁ることが出来ない。王都へ同行するスピンも少し苦笑いだ。
スピンもトリシアの次の計画に大喜びしている。色々と物件探しも進めてくれているが、どこも価格が以前よりも上がっていた。
「単純に人気が出てきたってことだろ」
「むしろスタンピードを阻止したことがキッカケかもしれません」
「薬の研究施設も作るって話だしな」
その話はすでに広まり、冒険者以外の移住者も多くなりつつある。居住地が足りなくなってきているのだ。誰も彼も金儲けの匂いには敏感で動きが早い。
「早い者勝ちか……急いだ方がよさそう」
建物はどれだけボロボロでもかまわない。
「商業ギルドの方にもまた相談してみましょう。なんならエリアも広げてみてもいいかもしれません」
管理を考えると、ここからあまり離れていない方がいいとは思いつつ、気持ちはもう2号棟だ。今更この計画を止める気にはならない。街の中ならなんとかなるだろうと、スピンの案に乗ることにした。
「なんにしてもお金ね! チェイスさん、いいお客さん頼みますよ」
「その辺は任せといてくれよ~王都で首を長くしてトリシアを待ってる金持ちがどれだけいるか!」
チェイスが一緒に王都へは戻れないので、王都では以前会ったことのあるチェイスの父親が窓口になることが決まっている。
(2号棟への準備資金、貯めさせてもらうわよ!)