第6話 門番
サンドラの治療はすぐに終わった。が、一瞬で治したと思われないようにあえて時間がかかったフリをする。触れている間中、彼女の緊張が伝わってきた。治るのか心配なのか、治った後が心配なのか。
「終わりました」
鏡を見たサンドラは少しホッとするような表情を見せた後、すぐに口をキュッと結び、再びトリシアに礼を言った。そして、
「迷惑かけてしまったこと、謝りに行くわ!」
気合を入れているようだった。
「あ……貴女に会えてよかった!」
照れ隠しのように、あえてぶっきらぼうに言う姿がトリシアにはとても可愛らしく見え、胸が温かくなる。
(上手くいくといいけど)
サンドラの初恋が、せめて綺麗に終わるよう祈るしかなかった。
◇◇◇
「リザポートっていえば大きな港がある領よね?」
そこは海外との交易も盛んな街だ。エディンビアはこの街でとれる魔物の素材の海外輸出まで考えているのだろう。少しでもリザポート家と繋がりを持ちたいようだ。
「だな。最近さらに儲かってるらしいから、恩を売っておいて損はないって思ってんだろ」
「私の治療がエディンビア領に貢献できるならなによりだわ」
「エドガーがお前のこと、妹の親友だとか、領城のお抱えヒーラーみたいなもんだとかいいように言ってたぞ」
それを言いたいがために、あれだけ毎日たいした用事もないのに城に呼んだのかとトリシアは苦笑する。
「でもいいの? エディンビア家とリザポート家、第二王子を取り合ってるようなもんじゃない?」
「エディンビアの方はもう諦めてるんだろ。だからリザポートと仲良くやろうとしてるんじゃねーか?」
「んんん……そうか……なるほど」
エディンビア家はエリザベートと第二王子リカルドとの婚姻をいい加減諦め、ないものとして切り替えたのだ。流石に冒険者となった娘と国の第二王子との婚姻は難しいと考えたのだろう。
依頼の帰り道、夕焼けの中でルークと市の屋台で軽食をとっている。サンドラの護衛にはこの時間は別の冒険者が付いていた。サンドラの顔が綺麗に治ったのをみて、安堵してわんわんと泣く侍女や世話役達を二人で慰めていたらあっという間に夕方で、ちょうどルークは護衛の交代時間になったので一緒に帰ることにしたのだ。
ちなみにチェイスはやるべき仕事をやった後、ルークの背中をバチンと叩いて足早にティアの下へと帰っていった。
トリシアは季節が変わって日が長くなり、まだまだ賑わっている市の雰囲気を感じながら食べる焼き串に幸せを感じていた。片手にはエールを握っている。ノー残業デーのOLのようだ。今日はいい仕事をした。
「こんなに豊かな街なのに、領地経営って大変ねぇ」
「まぁでも、アイツは悪くない領主代行だな」
エディンビア領も豊な街だが、その最たる資源はダンジョンの魔物だ。トリシアがこの街に来た時のように、特殊なボスの出現によって魔物の素材が採れなくなったり、スタンピードの可能性があったりと豊かだが不安材料は尽きない。エリザベートの兄エドガーは、領主代理として色々と収入を上げる可能性を広げようとしているのだろう。
◇◇◇
トリシアは巣の庭でケルベロスの背中を撫でながら、スピンがコインロッカー用の馬小屋を隅から隅まで採寸してくれているのを見ていた。簡易金庫がどれくらい入るか確認するためだ。
「今聞いてる大きさだと20台は入りそうですよ」
上下に金庫を二つ重ねて馬小屋の壁沿いに設置予定にしていた。現物はまだ見たことはないが、トリシアのイメージでは駅に置かれているようなコインロッカーエリアがここに出来るはずだ。
「床はやっぱりそのままの方がいいですか?」
「そうですね~かなりの重さがあるって話を聞きますし。床を張るとあっという間に悪く……あ、でもあんまり関係ないか」
スピンは話をしながら自分で納得していた。彼はトリシアのスキルの詳細を知っている。たとえ床がボロボロになろうとも、すぐに直すことが出来るということを思い出した。だが、別の人物も近くにいるので詳しく話題にはしない。
「お金払ってもらうのに地面むき出しでもいいのかな~。荷物の整理も必要よね。ベンチとテーブル置こうかな」
「冒険者は気にしないと思います。個人で金庫を使えるなんて、か、考えもしなかったです」
ハービーが一生懸命会話に参加する。今回はこのケルベロスの小屋も近くに建てる予定なのでスピンとの打ち合わせに同席してもらっていた。
「プレジオ達はどう? どんな小屋がいい?」
今度は3つの頭それぞれの首元を撫でながらケルベロスに尋ねると、彼らは返事をするかのように嬉しそうにグルグルと鳴いていた。
「あめっ雨除けの屋根があれば助かります。地面は別にこのままでも……」
「寝っ転がりやすいようにふかふかの敷物敷く? でも夏は暑いか」
ケルベロスはいつも夜はハービーと一緒に部屋の中で寝ているが、日中はよく庭に出ていた。あっちでゴロリ、こっちでゴロリとノンビリ過ごしている姿を毎日見かける。彼らにとっては野外で寝ることの方が多かったせいか、外は外で落ち着くようだった。
「うちの門番さんに出来るだけ快適に過ごしてほしいから、何かあれば言ってね」
「あ、ありがとうごごございます!」
ケルベロスは巣の庭を気に入っているのがよくわかった。それでトリシアは彼らも室内以外の自分達の空間がある方が落ちつくのではないかと考えたのだ。……誰もケルベロスを育てたことはないので実際のところはわからないが。
ハービーとケルベロスは危険な高位魔物と一緒に暮らすという、トリシア側が当初から持っていた不安を自分達の力で払拭していった。驚くほど人間に対して愛想がよく、特に巣の住人には積極的に撫でてもらいに行っていた。
トリシアの巣が出来てから、周辺の治安はかなり良くなっていっていた。元々治安はそれほど悪くはないエリアだが、それでも残念ながら夜間を出歩く人は少ないし、コソ泥程度はいる。
その日は、武闘派メンバーが全員ダンジョンや依頼を受けて巣にはいなかった。とある不運なコソ泥はそれを事前に調べ上げていた。だからゴリゴリのアタッカー達がいる夜間ではなく、彼は日中、龍の巣に泥棒に入ることにしたのだ。
冒険者は現金をギルドに預けていることは世間一般に知られているので、目当てはトリシアが購入したたくさんの魔道具だった。売ればかなりいい収入になるのは間違いない。
しかしコソ泥は知らなかった。この日、ハービーとケルベロスはいつもの日課であるダンジョンへ朝食を獲りに行っていないことを。その前日が入れ食い状態で、まだそれほどお腹が空いていなかったからだ。
そのケルベロスはいち早く敷地内に侵入したコソ泥の気配に気づいた。そうしてコソ泥がまずはティアの小屋へと入ろうとしたところで、ハービーの部屋の窓から外へと飛び出すと、あっという間に大きな肉球でソイツを踏みつけた。グサリと爪をコソ泥の腹に立てているのでコソ泥は叫び声を我慢できない。
「こ! こここ殺しちゃダメだよ!」
窓の外を見ながらハービーが大声で指示をだす。
ケルベロスは尻尾を振りながらコソ泥を押さえつけたままだ。ちゃんとハービーの言うことを聞いている。こんなコソ泥程度、ただのおもちゃと同じなのだ。
「ヒィィィィ!」
情けない叫び声は爪が食い込んで痛みからではなく、ケルベロスそのものへの恐怖からだった。
「うわっ! 何ソイツ!?」
騒ぎを聞きつけて外に出たトリシアは瞬間的に構える。その後ろにいるティアも何事かと目を丸くしていた。
「ど、どどど泥棒です! あの、プレジオ達の爪にはどどど毒が!」
それを聞いてさらにコソ泥は恐怖で震えあがった。
「うわぁぁぁ助けてっ助けてくれえぇぇぇ!」
急いで倉庫からロープを持ってくるようトリシアはティアとハービーに指示し、その間念のため大地の魔法で哀れなコソ泥の足を地面に埋めて脅しをかける。
「お利口さんにしてたらヒールで毒は治してあげる。お利口さんにしてたらね」
コクコクと首を縦に振り続けるコソ泥は必死の形相だった。彼はちゃんとここの家主が凄腕ヒーラーだということも調べていたのだ。
◇◇◇
「プレジオもパースもフュリーもここ、こ、ここを家だと認識したんだと思います。な、縄張りってやつですね」
「あら~お利口さんじゃない!」
そういった経緯があり、ケルベロスは日中ここの門番を務めることになった。彼にしてみれば、いつも通り過ごすだけなのだが、専用の小屋が出来るのは嬉しそうだ。
心配だった近隣住民の反応は、日に日によくなる周辺の治安に、文句を言ってくる人はいなかった。交流会という名のハービーのお披露目会では、やはりギョッとする住民がいなかったわけではないが、これまでの巣の住人達の行いの良さや、トリシアの周辺住人への配慮はよくわかっていたので、まあ大丈夫だろう、と判断されていたのだ。
「この辺は最近、密かな人気エリアになってるんですよ」
「そうなんですか!?」
「ええ。領城付近張りに治安がいいので。最近じゃ夜道も怖くないっていう人まで出てるんです」
「ケルベロスは夜目もきくしねぇ……」
スピンが面白そうにクスクスと笑った。ちょうどケルベロスは昨夜の散歩中、ガラの悪い酔っ払いが老人に絡んでいたところをヒト唸りで追っ払っていた。彼らは悪意に敏感なのだ。
ハービーはお礼にたくさんの野菜を貰っていた。ケルベロスはそれには興味がないようだった。
「おかげで祖母も安心して過ごせて感謝してます」
「いえいえこちらこそ! ご近所様のご理解あってのココですので」
「ハービーさん方、近隣住民の親族として感謝申し上げます」
「と、とんでもない……」
ニコニコと少し仰々しくスピンがお辞儀をしたので、ハービーは戸惑った。
ゴロゴロと鳴きながらトリシアとハービーに体をこすりつけ、ケルベロスは幸せそうだった。ハービーは生まれて初めて落ち着ける場所を見つけたのだとわかった。
「僕たち褒められてるよ」
ちゃんと必要とされている。3匹の首に抱き着きながら、こみ上げてくる気持ちを噛みしめていた。