第18話 追放した者達の近状
トリシアがソロとなってもう少しで1年になる。つまりパーティを追い出されて1年だ。最近トリシアの心も、エディンビアの街も、暖かで穏やかな日が続いていた。
「あっという間だったな~」
今の状況だからこそ言えるが、パーティ追放も悪いものではなかった。ルークに誘われ思い切ってエディンビアに来たお陰で今こうして暮らせている。事前契約に助けられ手にしたパーティ預金と、タイミングよくヒーラー不足だったこの街に来たお陰で建物の購入費用にあまり困ることもなく、住人にまで恵まれている。なにより自分の家があるという安心感はこの世界で初めてだった。新たに得たものは多い。
(捨てる神あれば拾う神ありってやつねぇ)
ノンビリとバルコニーの手すりに肘をついて、お茶を飲みながら海を眺めていた。
「おーいトリシア! 新しい住人の問い合わせはまだないそうだ~」
アッシュが巣の裏庭からバルコニーにいるトリシアに声をかける。
「すみませーん! お使いみたいなこと!」
「いーさ! どうせ職場だ」
少し前に一室空いた。チェイスが王都へ帰っていったのだ。
別れの日、目から涙、鼻から鼻水を垂れ流し、帰りたくないと地面に座り込み子供のように駄々をこねていた。彼の父親がそれを見越してか、わざわざ王都からエディンビアまで迎えにきていたのだ。息子の性格を知り尽くしている様子でその姿を見て嘆いていた。
「いやだいやだ! まだこの街にいる~!!!」
「こら! お嬢さんになんてことを! やめなさい! みっともない!」
ティアの足にしがみ付いた息子を力ずくで引き離そうとする。トリシアもティアも、チェイスの父親が奴隷紋のあるティアに対しても丁寧な対応をすることに驚いた。
「……帰らなければいいのでは?」
「うん……嫌ならこのままここにいればいい」
双子はなぜここまでチェイスが嫌がっているのに王都に戻るのかわからない。それに双子も騒がしい彼がいなくなるのが寂しいのだ。なにかと消極的な彼らを積極的に引っ張ってたくさんの事を体験させてくれた。
チェイスの父親は少し困ったような笑顔になっている。息子が他人から慕われる姿を見るのは嬉しいが、双子の希望通りにはしてやれなかった。
チェイスは泣く泣くティアの隣に立ったかと思ったら、今度は名残惜しんでくれる双子を抱きしめた。
「そうはいかないんだよぉ~跡取り問題が深刻でよぉぉぉ……遠戚まで出張り始めて……お家騒動一歩手前なんだよ~!」
「お家騒動……?」
「……ケンカ?」
「お恥ずかしい話です……」
治療院でここまでしっかり資産を築けるのは実は少数だ。食うには困らない職業だが競合も多い。後継者問題に乗じて治療院をのっとろうとする輩はいくらでもいた。
チェイスの実家であるウェイバー家は、チェイス以外に魔法を使え、尚且つ回復魔法に適性のある直系の子孫がいない。その彼が跡取りとして乗り気でないと知って、あっちこっちからウェイバー家の財産を狙った者達が集まり始めていたのだ。
ヒーラーが資産を築こうと思えば、以前のアッシュのように冒険者や治療院で実績を作り、個人的に金持ちに雇われるのが一番簡単で確実だった。チェイスの一家はかなりのやり手だと言える。
「チェイスが……いなくなるの……寂しい」
「うん」
ポツンと呟く双子を見て、チェイスは涙腺が崩壊した。男泣きだ。そうして再びティアの方を振り返る。
「ティア~! ティアだって俺がいないと寂しいよな~!?」
「寂しいと言えば残ってくださいますか?」
ティアは少し意地悪な顔で笑いかけると、チェイスは心臓を撃ち抜かれたようなポーズをとって後ろによろけ、そのまま倒れる。
「落ち着いたころに王都に遊びに行きますね。魔道具の展示会に行ってみたいし」
「トリシアは本当に魔道具が好きだな~」
「是非我が家へお立ち寄りくださいね」
チェイスが去った後の巣は心なしか……いや、確実に静かになった。寂しいが、初めての退去が死亡や行方不明でなくて良かったと、トリシアは倉庫用の部屋を眺めた。
「大丈夫か?」
その様子を見たルークが声をかける。
「うん。次に入ってくれる人も楽しい人だといいな」
「そうだな」
あっさり同意してくれたルークの方をびっくりして振り向く。
「いい変化!」
「そうかよ」
素直に照れている彼をみて、トリシアは嬉しくなる。
冒険者になるまでルークは対人関係は全てトリシア、トリシア、トリシアのトリシア基準だった。だが今は違う。トリシア以外の人のことも考えている。トリシア以外の人間関係も大切にしている。だから最近は、ルークが自分を特別に大切に思う気持ちを受け入れられつつあった。
(ただ唯一無二の人じゃなくって、たくさんの人の中から……私だから選ばれたって、そう思いたかったのかな)
自分の恋愛観を分析して、なんて傲慢なのだと自分で呆れた。そして今更どんな風に彼と接したらいいかわからず、これまでと変わらない態度を取るしかなかった。
(これって両思いってこと!?)
そんなことを考える自分がひどく自意識過剰な気がして、頭を抱えて叫び出したくなるのと同時に、口元が緩んで仕方ない。そうして次にはこの予想が勘違いだった場合の自分を想像し、脳内の自分自身を戦棍で思いっきり殴った。最近のトリシアの頭の中はしょっちゅうこの一連の流れを繰り返している。
(この後、どう動けばいいの……?)
ここは自由恋愛が存在しない世界ではない。貴族ですら稀にある。家同士の利害が一致すればあっさり許可も下りた。第二王子がいい例だ。王家もエディンビア領の景気のよさはわかっているので、エリザベートとの縁組には乗り気だった。もちろんこの場合は結婚が大前提の関係だ。
平民の場合はもう少しトリシアの前世と感覚が近い。やはり親が決めた相手と結婚することが多いが、恋愛結婚の話もそれなりに聞く。恋愛や結婚は、物語やそれこそ舞台でも人気のテーマだ。
冒険者の場合は、さらに恋愛がカジュアルになる。結婚に直結しない関係だ。だからこそパーティ内ではそういった関係になるのを避けるのが当たり前という感覚が冒険者達にはあった。恋とは、時に無駄な争いを生むことを彼らは知っていた。
そうして今、トリシアは困り果てていた。今世では真面目に恋人同士をしている人達との交流がほぼない。見本とする例がないのだ。
(あるとしたらイーグルとアネッタ……?)
その場だけの恋愛は見かけることはあったが、今のトリシアの状況に当てはまる実例は記憶を辿れどもでてこなかった。
(うーん……わからん……)
残念ながらこればっかりは前世の記憶を駆使しても解決できそうもなかった。
とりあえずルークからの誘いはほとんど全て受け入れ、前よりさらに一緒に出かける機会を増やす。あまり急激に関係を変えるというのはきっと自分もルークも戸惑うだけだということだけはわかっていた。
ルークはそんなトリシアの気持ちに全く気付いていない。片想いが長すぎて報われた時のイメージが脳内から消えていた。
ただトリシアの近くにいる時間が増えたことで常に機嫌がいいルークは、彼の過去を知ってる人間から見ると、別人と言っても過言ではない。
そんなルークは、巣の倉庫部屋の前に突っ立って、ぼんやりと考え事をしているトリシアのことがいつものように心配だった。
「あの話だけどよ……」
「それも大丈夫」
チェイスの父親が王都で見聞きしたことを教えてくれたのだ。
『トリシアさんのことを悪く言って回っている借金奴隷がいます』
詳しく聞くと、それはどうやらアネッタのことだった。アネッタは自身の顔や体の傷を治すために借金までしていた。にもかかわらず満足いく結果は得られなかった。他のどんなヒーラーもトリシアほど何もなかったかのように傷を消し去ることは出来なかったのだ。
自分が奴隷まで落ちたのは全てトリシアのせいだと逆恨みを始め、あることないこと言いふらしていた。
王都では過去にトリシアから古傷の治療を受けた冒険者から、その治療効果の凄さがひっそりと広まっていた。しかも戦闘力どころか防御力すらないソロのヒーラーとして、初めてB級まで上がったトリシアは良くも悪くも話題になっていたのだ。
『よくない噂はよくない人間を招くことがあります。どうかお気を付けて』
トリシアにとって不快な話題を出すことはチェイスの父親も迷っていたようだが、この世界でも情報は力になる。事前にわかっていれば対策の立てようもあるのだ。
アネッタ、そしてイーグルは追放して一年経ってようやくトリシアが特別だったことに気が付いた。トリシアはどんな傷も涼しい顔で治していた。それがあり得ないことだと理解した時にはもう遅かった。
「あのクソ女を買い取ったりすんなよ」
「えー。ご主人様になっていびっていびっていびりぬく! って方法もあるのよ?」
この建物内に住む人間なら誰でも、そんなこと彼女は決してやらないことはわかっている。トリシアはルークの目をみて冗談を言うのをやめた。
「……そこまで甘くないから大丈夫よ~」
すでにアネッタのことがどうでもよくなるくらい、トリシアは今幸せだった。
だがやはり、イーグルのことは気になっていた。彼がしたことは決して許せないが、それと同時に心配という感情も湧いていたのだ。
イーグルは行方不明になっていた。ソロの剣士としてD級で踏ん張っていたことまではわかっている。
エディンビアとは別のダンジョンに入っていったきり、出てきていないのだ。
(最後に何の話をしたんだったかな……)
冒険者となったからには、いつかこんな日が来ることを覚悟していなかったわけではない。けどそれはただ表面上の覚悟だったことをトリシアは思い知った。
トリシアがウィンボルト領の孤児院を追い出されるようにして出たあの日、追いかけてきてくれたのはイーグルだった。人気のない道を一人歩いていたトリシアは、イーグルの顔を見てホッとしたあの瞬間を今でも覚えている。
長年の相棒が死んだのかと思うと、悲しみがギュッとこみ上げてくる。それが辛くて、イーグルに裏切られたことばかり思い出すようにした。あの日トリシアをパーティから追い出した彼の顔を思い出していた。彼をただ嫌って憎んでいたかった。
「夏にでも、マルス島のダンジョンに行ってみねぇか……?」
「そうねぇ」
ルークにはお見通しだとわかってトリシアは少し寂し気に笑った。最後は裏切られてしまったが、イーグルと冒険した日々は決して悪いものばかりではなかった。それもまた事実だった。
「島の観光も悪くないかも」
「じゃ。決まりだな」
(もし生きてたら、一発ぶん殴ろう)
そう言えばそんなこともせずに別れたのだと、トリシアは彼と最後に会った日のことを思い出していた。