第17話 S級冒険者の非日常②
トリシアはこの世界に生まれ変わって、この日初めて劇場の中へと入った。屋外劇場へは行ったことがあったが、こんな有力者御用達の世界とは無縁の生活を送ってきたからだ。
馬蹄形の会場は天井が高くとても広々としており、用意されたボックス席からは舞台がよく見える。椅子は赤いベルベットのような手触りの布が張られており、ふかふかとしていた。
「やぁ。今日はよろしく頼むよ」
「はい。常にお側におりますので、何かございましたら何なりとお申し付けください」
トリシアはかなり緊張していたが、第二王子リカルドはそんな彼女に気さくに声をかけた。エリザベートの言う通り、とても寛大な人物のように見えた。
「こちらの方がよく見えるだろう。私に気にせず前に来たらいい」
「滅相もございません!」
「はは! 頼むよ。今日は友人同士という設定だ。気楽にいこう」
(気楽にいけるかー!)
歌劇の内容は、愛し合う貴族の男女が家庭の事情で引き裂かれ、それぞれ別の人と結婚するが、とある夜会で再会し焼け木杭に火がついてしまう。それぞれのパートナーを巻き込んだ四角関係のような構図になったかと思えば、最後は主人公カップルが心中した。
(メロドラマね。尺増やしてお昼に見たいわ)
時折あちこちから鼻を啜る音が聞こえるが、トリシアは感心するような表情で舞台を見ていた。横目で見ると第二王子は目が潤んでいる。だがルークは鋭い目つきに変わっていた。トリシアはこのボックス席の中が、一気に緊張感に包まれたのを感じ取った。
「……俺の側から離れるな」
小声のルークに全員が頷いて答える。トリシアも念のため第二王子の側にピタリと張り付いた。いつでも触れられるようにするためだ。
エリザベートは涼しい顔をしているが、いつの間にか短剣を手に握りしめている。
(どこに隠してたんだろ)
ルークもエリザベートも、なにやらただならぬ空気を感じているようだ。だがその原因や出所までは特定出来ていない。
(ルークの感知スキルに捕まらないってことは相手もスキル持ちかな)
以前、気配を遮断できる冒険者に会ったことがある。隠密向けのスキルだが本人はうまく使いこなし、強い相手にギリギリまで近づいて大きな打撃を与えたり、凶暴な魔物を捕獲したりとなかなかの活躍を見せていた。
「下手に動いて他の観客が巻き込まれてもいけない。ここにいてもいいかい?」
第二王子は穏やかな声のままルークに確認し、彼が頷いたのを見て少しだけ微笑んだ。
物語もクライマックスだ。彼らを引き裂いた両家の父親が二人の死を嘆き悲しんでいる。音楽は激しい後悔を表すかのように大音量で演奏され、観客は舞台に夢中になっていた。にもかかわらず、一人コチラを向いている男がいる。
甲高い、ピン! と、何かが弾ける音がした。
「……!」
一瞬で光がここまで飛んでくる。トリシアは咄嗟にガバっと第二王子に覆いかぶさった。
「うわぁ!」
第二王子はトリシアの行動に驚いて声を上げたが、その声も音楽でかき消えてしまう。
ポヨンと、なんとも柔らかな音がトリシアの耳に微かに届いた。
(外れた!?)
トリシアが顔を上げると、ボックス席の前方にシャボン玉のような膜が張られている。
「解除しろ! エリザベートは待機!」
青筋を立てたルークが王子相手に怒鳴る。
「ああ。頼むよ」
「わかったわ」
膜は王子が事前に張っていた防御魔法だった。ルークの剣幕にギョッとしていたが、さっと手を左右に振ると膜はすぐに消えさった。エリザベートはまだ警戒を解いていない。陽動の可能性もあるからだ。
ルークがそこから飛び降り、王子を狙った人物を探す。相手の感知遮断のスキルを上回る力を使い、すぐに特定したようだ。敵が反撃に出ようと手を伸ばしきる前にその手を関節ごと折った。
「ぐあああああ!」
あまりの痛みに暗殺者は声を上げるが、ルークは表情一つ変えずに今度は足を折る。周囲の観客も悲鳴を上げ始めた。
「切り落とせなくて残念だ」
最後に顔面を思いっきり殴りつけ、敵は意識を失った。
会場は騒然としている。警備についていた騎士たちもゾロゾロと会場内に入り、刺客を連れていった。
「皆に悪かったなぁ」
自分が原因だとわかっている第二王子はしょんぼりと肩を落としていた。暗殺騒動が収まりやっと一息ついたと思ったらこれだ。
「殿下、防御魔法を使っておいでなら初めにおっしゃってくださいな」
「すまないエリザベート。あまり仰々しくすると、君たちが楽しめないと思って」
第二王子リカルドは抜群の魔力コントロール能力を持つ。立場柄、残念なことに防御魔法が得意で、今回のように周囲に悟られないように魔法を張っておくこともできた。
「けど流石にS級にはバレてたみたいだなぁ。私もまだまだのようだね」
(だからルークは出入口の方に集中してたのか)
ルークはボックス席の扉に意識を集中させていた。気配をハッキリ感知できないので、いつ敵が現れるかも想像しづらかったのだ。
敵が攻撃を通すには防御魔法の張られていない出入り口しかない。しかし相手はそれに気づくことが出来ずバルコニー側から攻撃をしかけてきた。
後に、単身で乗り込んできた暗殺者だとわかった。以前捕まり拷問を受け死んだ刺客の仲間だったのだ。
「ありがとうトリシア。身を呈して守ろうとしてくれたね」
「護衛という依頼を遂行したまでにございます」
雲の上の存在である王族に礼を言われ、トリシアは恐縮した。
(私だって魔力はあるのに、殿下の魔術には全然気づけなかったし……)
結果、特に必要のないことをして褒められている。そう思うと少し複雑なのだった。
「トリシア……」
ルークがいまだに騒然としている1階からこちらまで戻ってきた。他の客は騎士団のチェックを受けながら続々と帰り始めている。
「お疲れ~! 大活躍だったね!」
流石だとトリシアが褒めている言葉を聞いているのかいないのか、そのままスタスタと近づいてきた。
「うわっ!?」
そのまま何も言わずトリシアはギュッと力強く抱きしめられる。
「何!? どうしたの!?」
ルークはトリシアの肩に顔をうずめ何も言わない。彼は今泣きそうな顔をしていた。衝動的な気持ちと建前と本音がぐるぐると頭の中で混ざり合って、何と言っていいかわからなかった。
心配した、あんなことをするな、なんて言えば彼女の冒険者としての立場を理解していないことになる。
(今更こんなことを怖がるなんて……!)
これまでだってトリシアはそれなりに危険を乗り越えて冒険者を続けていた。なのにルークは今、必要以上に恐怖を感じていた。彼とトリシアにとって非日常の空間がそれを助長させたのかもしれない。もしもの可能性を想像せずにいられなくなっていた。
もしかしたらの防御魔法以上の攻撃でトリシアが酷い目に遭っていたかもしれない。即死だけは彼女にもどうしようもないのだ。
一番自分が信じられないのは、あんな状況だというのに第二王子にヤキモチを妬いたという事実だった。トリシアが全身全霊で守ろうと思う存在がいるということがショックだった。自分の浅ましい独りよがりな感情にガッカリした。
(もう嫌だ……なんで俺はこんなに利己的で自分本位なんだ……いつまで経ってもこいつに相応しい人間になれねぇ)
貴族でもS級でもトリシアに相応しい人間になれない。もうどうすればいいかわからなかった。挙句に彼女にしがみ付いている。
(情けない……)
トリシアはこんなルークを見たことがないため動揺したが、ただ事ではないと思い、その背中をさすった。
彼はいつも格好よかった。もちろん本人は意識していた。トリシアに振り向いてほしかったからだ。それは他の多くの女性を虜にしたが、残念ながらトリシアには効果がなかった。
彼女はルークの外見の良さも能力の高さも評価していたが、それが個人的に『惚れる』という感覚に繋がるかはまた別問題だった。
なのに今、しおしおと小さくなっている大きなルークの背中をさすりながら、トリシアは自分の感覚に戸惑っていた。
(ヤバい……心臓の音……ルークに聞こえてませんように……)
ルークが今のトリシアの顔を見ていれば、彼の悩みは少し解消されていたかもしれない。
トリシアには彼の悩みはわからなかったので、胸に響くドキドキとした音が気がかりで仕方がない。
今宵、本人は気づいていないが、ルークはトリシアをドキドキさせることに成功したのだった。