第16話 S級冒険者の非日常①
ルークは商業ギルドから少し離れた店の通りを、ずっとソワソワと歩き回っていた。その様子を街中の人は首を傾げながら横目で見ている。
「店の前をウロウロと……どうしたんだ?」
どうやら目当てはウチのようだと、宝石商はショーウインドウの外にいる銀髪の冒険者をドキドキと心臓の音を大きくして眺めている。彼がこういうものに興味がないのは有名だったからだ。同業者が営業をかけてけんもほろろに断られたことも知っている。
ようやくルークは意を決して店の中に入った。そしてこれまた随分と時間をかけてどうするか考えている。店主に声をかけられるも、
「あー……ちょっとな……」
と、曖昧な答えでかえって店の中を混乱させていた。
(高すぎたら絶対に受け取ってもらえないからな……)
彼はもちろん、トリシアへの贈り物を買いに来ていたのだ。
『ドレスはシンプルなものになったの。ジュエリーは華やかなものでもかまわないわ』
トリシアとエリザベートがドレスを注文した日の晩、巣の階段でばったりと会ったエリザベートに唐突に注文されたのだ。当たり前のことよ? と、高額な前金を受け取ったことなど忘れているかのような態度だった。
(エリザベートのやつ、簡単に言いやがって!)
これまでも施しにとられかねないようなモノは一切受け取ってもらえなかった。唯一彼女が受け入れるものは自分も奢ることが出来る食事だけだったので、ルークはしょっちゅう外食に誘っていた。だが今回は宝石だ。何をどう言えばトリシアが素直に受け取るかルークにはわからない。
例の依頼の前日、宝石の入った綺麗な小箱を手に持ってエリザベートの前に立った。あわよくば彼女からトリシアに渡してもらおうと思ったのだ。意気地がないと自分でもわかっているが、直接断られるよりは心のダメージが軽いのではないかという、情けない理由もある。
「まだ渡していなかったの!? そんなの、依頼に必要だから買ったと言えばいいじゃない」
「そんな簡単にいけばこっちは苦労してねぇんだよ!」
庭で短剣の手入れをしながら、呆れるように言うエリザベートにルークは噛みつくように答えた。
「気負いすぎてるから警戒されてるのよ。有無を言わさず必要だからと渡しなさい」
そこまで面倒みきれないわと、ルークを階段へと追いやった。ここまできてようやくルークは覚悟を決めたようにトリシアの部屋へと向かっていく。
(ふぅ……これさえ渡してしまえば明日が待ってるんだ……!)
トリシアの部屋をノックする前に髪を整え、大きく深呼吸をする。トリシアは明日ルークと一緒に護衛に付くことは知っている。カップルのふりをして第二王子とエリザベートの側にいるのだ。そのことを特に嫌がらずにいてくれただけで、ルークは天に上るような気持ちだった。
「はーい」
パタパタと足音が聞こえ、ガチャリと扉が開いた。昼寝をしていたのか、髪の毛が少し乱れている。
「おう。明日に必要なモン持ってきてやったぞ」
そう言いながらぶっきらぼうに小箱を渡した。
「え!? まさか!?」
「だって明日いるだろ?」
グイグイと箱をトリシアに手渡そうとするが、案の定受け取らない。ただあちゃ~と片目を細めながら、入って入ってとルークを部屋に招いた。
トリシアの部屋には客間があり、ルークはそこのソファに腰掛ける。自分の部屋からすぐに戻ってきたトリシアは、同じく小箱を手にしていた。
「いると思って買っちゃった……」
「……!」
ルークがもたもたしていたために、トリシアは数日前に急いでドレスに会いそうなジュエリーを買いに行ったのだ。もちろん中古品で、元々は大きな傷や石以外の装飾が壊れていた為かなり格安だった。
「ちょうどよかった。ここの店主は本物だって言ってたけど私じゃわかんないから鑑定してよ!」
ルークはひどく動揺していたが、S級の根性でそれを悟らせない。
「ん。大丈夫……これは確かに本物だ」
「よかった!」
息をつくトリシアが次の言葉、ルークからのプレゼントを断る言葉を口にする前に、彼は喋り出した。
「それ、ティアにでもやれよ」
「え!?」
「お前にはこれがあるだろ」
自分が持ってきた箱を前に出す。
「ティアだってこんな機会がなきゃこんなもん手に入れることなんてねぇだろ」
ルークは我ながら機転が利いたと、勝利を確信していた。トリシアならこの機会を逃さない。ティアに宝石をプレゼントする口実なんてそうそうないからだ。
(エリザベートが知らなかったってことは、これを買った時はティアに見繕ってもらってるはずだ)
ルークの読み通り、今回購入したものはティアに相談して買ったものだった。その時やはりティアにも何か買おうと言ったが、いつものように厳しく断られたのだった。
『私には必要のないものです』
『でもほら、見てるだけで綺麗じゃない? かなり傷はついてるけど……まあなんとかなるし……』
『奴隷の私には不相応なものです』
『えぇ~関係ないよ~……』
『必要ありません!』
『はい……』
これまで縁はなかったが、トリシアは宝石が嫌いではない。単純に綺麗なものは好きなのだ。常に旅をする冒険者には宝石なんてただ盗まれるリスクがある資産だったが、今は家に置いておける。
◇◇◇
ルークが開けた箱の中を覗き込んで、トリシアはうっとりと感動の声を上げた。前世も含めた彼女の人生の中で、残念ながらあまり縁のないものだったからだ。
「わぁ……綺麗……」
(けどこれ……絶対に高いやつ……)
レースのような装飾の中にキラキラと小さな宝石がちりばめられていた。中央部分に他より大きな白銀の石がはめ込まれている。
「別に高くはないぞ」
先読みするようにルークが答えた。
「石は持ち込みなんだ。ずいぶん前に宝石鉱山で暴れてた魔物をたまたま倒してお礼に貰ったやつ。俺は別に使わないからよ」
これはずっと考えていた言い訳だ。宝石の元手はかかっていないのは本当だった。それを豪華なネックレスに仕立てるのにはもちろんそれなりにかかってはいるが……。
「でも……」
「いいから持っとけよ。巣の開業祝いも渡してなかったし。いらなきゃ売ればいい」
「う、売れるわけないよ!」
「じゃー大事にとっとけ」
少しぎこちない笑顔で立ち上がると、また明日なと言って、さっさと部屋を後にした。
(渡し逃げ!?)
トリシアはあらためてそのネックレスをそっと持ち上げ、大きな丸い窓から差し込む光にあてて眺めてみる。
(本当に綺麗……お祝いなら貰ってもいいか)
明日のことは憂鬱だったが、これを付ける口実になると思うと少しだけ楽しみになったのだった。
◇◇◇
護衛当日、エリザベートは今日ばかりは領城に戻っていた。多少抵抗したが、王子がいらしているのに自分で支度だなんて! と、彼女の乳母まで出てきて泣き落としにかかったので、身支度だけという条件で渋々受け入れた。
「王子の護衛を考えたら城からが確実ね」
そう自分で納得もしたようだった。
「ご主人様、とってもお綺麗です」
「えへ……えへへ……そう?」
トリシアはいつもと見慣れない姿の自分に照れずにはいられなかった。ティアは実に手際よくトリシアを綺麗に仕上げた。着付け、メイク、髪の毛も綺麗に結い上げられている。
(でもこれ、落ち着かない!)
もっと落ち着かないのはルークの方だった。生まれて初めての感覚だ。
「緊張してんなぁ」
巣の玄関の前でアッシュがケタケタと愉快そうに笑っている。小さいが綺麗な馬車がトリシアとルークを迎えに来ていた。
(これが緊張か……!)
生まれてこの方ほとんど全てのことをうまくこなしてきた男にとっては初めての感覚だったのだ。もちろん、その対処法も知らない。
「ど、どどどどどうすればいい……!?」
「余裕がない男はダメだな」
チェイスは頷きながら自信満々に答えた。いつもならそんなチェイスにイラっとするルークだが、今日は素直に意見を聞き入れる。
「他には!?」
予想とは違い、食い気味で聞いてくるルークにチェイスはびっくりと驚いてしまう。
(本当に少しも余裕がないのか!)
女をとっかえひっかえしても許されそうな外見と肩書を持っている男が、オロオロと狼狽えている姿を見て、チェイスは愚かにも先輩風を吹かせようとルークの肩に手を回した。
「スケベ心は出すな! 女はそういうのすぐに気が付くんだ。あくまで相手が楽しい心地よいと思わせて次に繋げろ!」
「スケベ心!? なんて不純な!!!」
なんてことを考えるんだと、ルークは耳まで真っ赤にしてチェイスを突き放し批判した。
「箱入り令嬢かよ!?」
俺悪くないよね!? とチェイスはアッシュに同意を求めた。もちろんアッシュは何度も頷いて同意した。この反応にはチェイスだけではなく、アッシュも頭を抱えそうになる。
(トリシアに奥手なのは知ってたが、ここまでとは……)
「まぁお前らもちょっと身内感覚ができちまってるからなぁ。今日の目標はちょっとだけドキっとさせることだな」
「ドキ!? ドキってなんだ!?」
ルークはパニックになりそうな自分を保つのに必死になっていた。
「ああ、もういい。深呼吸しとけ」
アッシュは苦笑しながら、ルークの肩を叩いた。
「ほら来たぞ」
玄関扉から出てきたトリシアを見て、ルークは言葉を失った。
「うわぁ! トリシアすげぇ! どこの令嬢にも負けないっていうか……マジで綺麗じゃん!」
チェイスが素直に褒めるのをルークはぼーっと聞いている。
「ちょ! やめてー! いや、嬉しいんだけど恥ずかしい……! コスプレみたいになってない?」
「こすぷれ?」
「ああごめん。忘れて……褒めてくれてありがと」
ちょうどダンとピコが散歩から帰ってきた。
「おぉ! こりゃあ綺麗だ。よく似合ってる」
「いや~ハハハハハ!」
ダンもなんの照れもなくトリシアを褒めるので、トリシアは照れ隠しに笑いながらピコを抱き上げる。
「ピコ、行ってくるねぇ」
「そっか。今日は観劇に行くんだったな」
住人達はアッシュ以外依頼については知らない。第二王子はお忍びで来ているからだ。ルークとトリシアは二人で話題の観劇に行くだけだと思っている。
今回随分ルークは頑張っていると思っていたチェイスとダンだったが、あまりにもルークが落ち着きがなかったり、トリシアに見惚れて動かなくなっているのを見て心配になり始めていた。
「あだだだ! ピコ~……それは引っ張らないでぇ」
ピコがトリシアの揺れるピアスを引っ張っていた。
「おっとわりぃ! ……あっ」
ブチッと細い金具がちぎれてしまった。ダンは慌てたが、トリシアはそれをピコが食べないようにすぐに小さな手から取り上げる。
「大丈夫大丈夫! これくらいすぐに直るわ!」
「本当か!? 俺、今から宝石商に行って……」
「大丈夫だって! 綺麗なおもちゃに見えたよね~ピコ!」
そう言いながらダンにピコを渡し、優しく彼女の頭を撫でた。今度は顔を遠ざけて掴まれないように気を付ける。
「そろそろ行こうか!」
立ち尽くしているルークに声をかける。トリシアの後ろには、口パクで『しんこきゅう』と言いながら大きく息を吸って吐く真似をするチェイスがいた。ルークは彼女にバレないよう、言われた通りゆっくりと深呼吸をする。そして一言、
「……心臓に悪い」
「ねぇ! ピコが食べちゃうかと思った!」
トリシアはまだ少し照れているが、ニコニコと機嫌がよかった。
(たまにはこういうのも楽しいかも!)
ゆっくりと進み始めた馬車の窓から、巣の住人に手を振っていた。