第15話 元お嬢様のお楽しみ②
とある晴れた日、トリシアとエリザベートは商業ギルド近くにある仕立て屋に来ていた。トリシアがよく行く古着が売っている定期市とは違って、新品で綺麗な生地を広げ、店主が張り切ってそれぞれの特徴や最近の流行りを説明してくれる。
「そうねぇ。やっぱり深い青がいいわ」
「ではこの辺りで……いただいたご予算だと、こちらか……こちらもおすすめです。それにこちらも」
店主はサッとテーブルの上にオススメの生地を並べてみせた。領城との取引きもある店なので、店主はエリザベートの内情も含めよく知っている。
「これは悪くないわね。ずいぶんいい物を仕入れているじゃない」
「ええ。エドガー様が荷馬車の護衛に就く冒険者に手付金を出してくださるようになったので、階級の高い冒険者を雇いやすくなりました。お陰様で流通が安定しているのですよ」
ありがとうございます。とにこやかに店主が礼を言う。冒険者であるエリザベートはもちろん、その手付金のことは知っている。活気づき始めているエディンビアへの人の流れは、余計なものまで引き寄せていた。魔物や盗賊だ。対処の為に騎士団を巡回させたいところだが、最近あったスタンピードのことを考えると少しでも守りは堅くしておきたい。そうなれば動かしやすいのは冒険者だ。なにしろかなりの人数がこの街にやってきている。
「……あれ、お母様ではなくお兄様の案なのね」
なんとなく面白くないといった表情のエリザベートをみて、店主は笑いをこらえた。
「はい。ご優秀なご子息ご息女がいらしてエディンビアは安泰でございます」
「母には会ったかしら?」
「はい。お元気にしておられましたよ」
そう。と小さく呟いたエリザベートは、今度は嬉しそうな、ホッとしたような表情だった。エリザベートの母、現エディンビア領主は生まれた頃から体が弱い。その為次男のエドガーが領主代理として頑張っていた。
2人の会話を存在を消すようにして聞いていたトリシアに、エリザベートは急に話をふった。本来の目的を思い出したのだ。
「トリシアはどちらが好みかしら?」
トリシアはここに来てからずっと戸惑っていた。買い物に付き合ってと言われてホイホイついてきたが、まさか自分の服を……しかもドレスを買うためとは思いもしなかった。
「私、服は古着で十分なんだけど……!?」
店主が席を外している間に急いで小声で主張する。
「あら。ドレスは自分の体に合ったものでなければ。それにお金なら心配ありません」
貴女にはいい財布が付いているので、という言葉は飲み込んだ。
「待って待って! そもそもなんでこんなことに!?」
「その話は後にしましょう」
戻ってきた店主とエリザベートはまた打ち合わせを始める。
(後にする話じゃなくない!?)
「そうね。ここにフリルを……それからあとここに……」
乗り気でないトリシアに聞いても仕方がないと、エリザベートはどんどんデザインを決めていく。
「フ、フリフリはやめてぇ!?」
「あら? 好みがあるの?」
「ある! あります! シンプルでお願いします!」
それを聞いて少しだけ何かを考えた後、
「まあ本人が着たいものが一番かもしれないわね」
そう言って頷く店主と顔を見合わせながら再度相談を始めた。
(いったいなんなの!?)
その答えはそれから2週間後わかることになる。エリザベート宛に豪華なドレスが届けられたのだ。
「ゲストルームにまで衣装戸棚があって助かったわ」
クスクス笑いながら真っ赤なドレスを眺める。その隣には先日送られてきた小箱の中身、一粒の大きなネックレスとイヤリングが。それを1つ手に取り、衣装棚の扉に取り付けられている楕円形の鏡の前で取り付けてみた。横髪を耳にかけ、満足そうに口元を上げる。髪の毛はいつの間にか肩近くまで伸びていた。
彼女が暮らしている部屋は広めのベッドルームに風呂とトイレが付いていた。キッチンはついていないが、小さな水道と魔道具の湯沸かしポットが置かれており、これまた小さな戸棚の中には一人分の食器が収納されている。窓辺には一人掛けソファと足置きがあり、丸いテーブルに椅子は一脚、収納は玄関とクローゼットだけだ。かつての彼女の部屋の四分の一もないが、エリザベートにはそれで充分だった。
「えぇ!? 明日は第二王子の護衛!?」
「しっ! ……お忍びでいらっしゃってるのよ」
「……また?」
少し前に大騒ぎの中王都に帰ったばかりではないかとトリシアは眉をひそめた。
あのドレスをオーダーしに行った日から、明日の予定は空けておくように念を押されていた。トリシアはなんとなく理由を予想しており、最近泣けると話題になっている演劇を観に連れて行ってくれるのだろうと思っていた。劇場にはドレスコードがあったのだ。
そしてそれは半分当たった。王子の観劇の同行者として選ばれたのだ。お忍びだから護衛とわかるような恰好では困る。トリシアも護衛の冒険者とわからないよう、それなりの身支度を整えるよう求められた。
(王都で観ればいいじゃない!?)
なんて考えるのは野暮というものだった。
「私なんかが王族の護衛なんかしていいの!? マナーもなにも知らないわよ!?」
「あら。随分自己評価が低いのね。貴女は珍しいソロのB級ヒーラーだし、マナーなんて第二王子は気にされないわよ」
(こっちが気にするんですが!?)
第二王子リカルドはおおらかな性格だ。穏やかで家臣たちからの評判もいい。争いも好まない。かといって弱いわけでもなく、自分をしっかり持っていた。
「でも……アッシュさんの方が適任じゃない? なんたってギルドマスターだし」
どうしても行きたくないトリシアはなんとかアッシュに押し付けられないかと考える。ちなみにこの押し付けようとした件は後々アッシュにバレ、『ヒドイ! 俺には他人に酒を押し付けるな! って怒るのに』と、ウソ泣きをされる羽目になる。
「あまり顔が知られていない方がいいわ。貴女、冒険者には知られているけれど、貴族街にいるような人間にはあまり知られていないでしょう」
「それは……そうだけど」
(いやだ~! 王族なんて関わりたくないよ~!)
先ほどからトリシアの表情だけで本音が駄々洩れなので、エリザベートは珍しく声を上げて笑った。
トリシアも冒険者生活が長い。冒険者のいいところはやりたくない依頼は避けて生きていけることだった。護衛の依頼は数多く受けてきたが、身分の高い人物の護衛は周りもピリピリして緊張するのだ。しかも冒険者への態度もまちまち。ハズレの時のストレスは前世のパワハラ課長に呼び出された時と同レベルだ。報酬がおいしいのは確かだが、孤児出身のトリシアにとって王族、しかも王子は荷が重すぎる。
「そもそもなんでまた来たの……たくさん護衛雇ってたってことは何かしらあるってことなんでしょ?」
もう逃げられないとわかり、ちょっぴりトリシアはグチグチモードだ。第二王子が王都へ戻る為に、腕利きの傭兵団とS級冒険者まで雇ったことは皆知っている。
「ああ。あれはもう決着はついているのよ」
「そうなの? 跡目争いって話じゃなかった?」
「そうね。また時期が来たら話してあげるわ」
すでに冒険者として生活しているのに、エリザベートはどこからそんな情報を得ているのかトリシアにはわからなかった。もちろんこの跡目争いの詳細は極秘となっている。
(うーん。相変わらず雰囲気はミステリアス)
涼しげな微笑みを浮かべるエリザベートは美しい。最近は冒険者らしい凛々しさも増していた。
「ごめんなさいね。私が深く愛されているから」
「目当てはエリザ!?」
「ごちゃごちゃ理由を並べていたけれど、要はそうね」
振られても諦めきれない第二王子は、再びアタックをしにまたエディンビアまでやってきたのだ。
「それって嫌じゃないの?」
「しつこいって?」
トリシアはコクリとうなずいた。エリザベートは相手が王族だから、今回の依頼を引き受けざるを得なかったのではと思ったのだ。きっと相手が王族以外の人間だったら、エリザベートの性格上、嫌ならバッサリ切り捨てる。
(そもそも婚約の段階でバッサリ切り捨てていたはずなのに、それでも追いかけてくるなんて)
立場上、相手にしないわけにはいかない。彼女はこの領の為に生きることを誓っている。そのやり方は自分で決めていたが。
「そうね。だからハッキリ言うつもりよ。私と添い遂げたいのなら、貴方も冒険者になってってね」
「え!? 結婚するのはいいんだ!」
「別にあの方を嫌っているわけではないのよ。だけど私、どうも貴族の生活は合わないみたいなの。わかるでしょう?」
(合わないというほどでもない気がするけど……)
ドレス選びも楽しそうだった。トリシアがすぐに同意しなかったからか、エリザベートが情報を付け足すように話始める。
「フフ……カップの持ち手を折ったの、一度や二度じゃないのよ? お茶会なんて出られたものじゃないわ」
エリザベートはそのスキルの為に、女貴族としてかなり苦労をして育った。その美しさから同年代の子女達の妬み嫉みの対象になっていた彼女の怪力は、嫌味を言うのに格好の的になったのだ。
本人は全く意に介さなかったが、兄のエドガーはそれに深く心を痛め、彼女がうまくスキルをコントロールできるようにあらゆる教師や専門家を付けた。
「やっとモノを壊すことが減った頃、第二王子が私に一目ぼれ。お兄様はそれはもう大喜びよ。あの喧しい令嬢達をギャフンと言わせられるってね」
それはそうだろうとトリシアも思った。同時に会ったこともない令嬢達に怒りが湧く。表情が険しくなったトリシアの眉間を、エリザベートは優しくなでた。
「王子と結婚すれば跡継ぎを求められるわ。まあそれは他の貴族でも同じね。結婚すれば女はどうしても求められる……」
エリザベートは少し遠くを見て話し続けた。
「私、子を産むつもりがないの。だって抱きしめたら何が起こるかわからないわ」
「……!」
「あんなに可愛い生き物、我が子ならなおさらギュッと抱きしめたくなるに決まっているもの」
エリザベートはピコをとても可愛がっていたが、決してその腕に抱くことはなかった。
「だから王子としてのあの方とはどうしたって結婚できないの」
トリシアは咄嗟にギュッとエリザベートを抱きしめた。
「抱きしめられる分は大丈夫でしょ」
「フフ……そうね」
エリザベートはこの現実に傷つきはしていない。だけどこの話をすると他の誰かが自分の代わりに悲しむことはわかっていた。それがとても幸せなことだとも彼女はよく理解している。
「ていうか! 私なら何があってもすぐに治せるわ! 抱きしめたって大丈夫よ! ……即死にだけ気を付けてくれれば!」
考えもなしに滅茶苦茶なことを言っているのはわかっている。だがどうしてもこの場ですぐ、自分はエリザベートの力になりたいのだと伝えておきたかった。
「そうね。今の私には貴女がいるものね」
エリザベートにはちゃんと意図が伝わっていた。美しい笑顔を浮かべ、トリシアの方へ体を休めるかのようにもたれかかった。