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第13話 読書家のこれから②

 夕方、耳を赤くし、口をへの字にしたルークが寒かった外の世界から()へと戻ってきた。


「なんだぁ!?」


 ちょうど階段を上がったすぐそこで、トリシアとティアから今日預けていたピコの様子を聞いていたダンが、予想外の光景に思わず声を上げた。


 ルークの背には泥酔したアッシュが乗っかっている。


「そんなに呑んだの? ヒールかけとこっか?」

「いい。酔わせとけ」


 同じく顔が赤いルークはアッシュを担いだまま3階まで階段を上がっていく。アッシュは体勢をそのままに、ヒラヒラとトリシア達に手を振っているのが見えた。


(狸寝入り……)

 

 トリシア達は小さくクスリと笑った。アッシュの心はあの日の衝撃から少しずつ日常へと戻りつつあるようだった。

 

 琥珀色の扉の前で止まる。


「起きてんだろ。さっさと部屋の鍵開けろ」

「……バレてたか」


 わかっていたのにここまで運んでくれたことにアッシュは驚く。いくらとっつきやすくなったとはいえ、ここまでルークが自分の世話を焼くとは思いもしなかった。


(この歳になって他人に甘えるなんてなぁ)


 だがあまりに甘えすぎたと感じたようだ。酔いがさめてきて今更少し気恥ずかしい。ほら、とフォーゲルの本を手渡され、ボリボリと頭をかきながらルークに礼を言った。


「楽しかったよ。いい気分転換になった」

「……あんまり思いつめんなよ」


(まったく……ここの住人は同業者に甘すぎる)


 ルークやトリシアの優しさが体にジーンと染み入る。


 玄関でブーツを脱ぎ捨て、今日買った本を荷物棚の隅に置き、そのままペタペタと風呂場へ向かう。自分自身にヒールをかけ、体内のアルコールを分解した。以前飲酒後に風呂に入っている話をしたらトリシアに注意されたからだ。


(ヒーラーが怪我や健康の心配をされるとはな……)


 思い出して思わず笑ってしまう。


 青と赤の透明な魔石のついた栓を回すと、温かなお湯が勢いよく出てきたので、そのまままだ数センチしかお湯のない楕円形の浴槽へと座り込む。この部屋の風呂は他の部屋より大きなものが設置されていた。


「ふー……」


 流れ出るお湯を見つめながら、アッシュは昔の記憶を思い出していた。まだ胸は鈍く締め付けられるが、覚悟していた期間が長かったせいか、その痛みすらも慣れたもののように感じ始める。

 

 アッシュは隣国の辺境伯の庶子だ。父親が気まぐれに下女に産ませた子だったが、魔力を持ち、嫡子よりも優秀だったためにスペアとして教育を施されていた。


『書物の面白さを教えてくれたことだけは感謝してるよ』


 成人を迎える前に母が死に、アッシュはさっさと城を抜けだした。この場所にはなんの思い入れもなかった。


 アッシュが愛していた女性は、彼の扱う双剣術の姉弟子にあたる人物だった。


 抜け出した先で拾ってもらった小さな傭兵団では、ヒーラーも身を守る術を持つべきという方針だったので、彼女にいいところを見せたくて血のにじむような努力をして彼は強くなっていった。

 彼女は気が強く、男勝りで決して隙を見せない人だったが、太陽のような笑顔を持ち、アッシュと同じく読書好きだった。ただ傭兵団と言えど、かさばる本をいくつも持っているわけにはいかなかったので、読んでは売るを繰り返していた。


「フォーゲルの本はもう読んだか? 世界観がよく出来ていて面白いんだ」


 その傭兵団の団長がある戦闘の最中、敵の攻撃を受けて即死してしまったため、団は解散することになった。その時いくつかのグループに分かれて冒険者になる者もおり、帰る場所のないアッシュもその一員だった。


「アッシュ! 私とパーティを組もう! 戦えるヒーラーは大歓迎だ!」

「男女の冒険者パーティは敬遠されるんだぞ。そんなことも知らねぇのかよ」

「私とお前だぞ!? そんな色気のある関係になるもんか」


 少し意地悪な笑顔だったが、冗談でなく本気で言っているのがわかっているからこそ、アッシュは彼女とパーティを組むわけにはいかなかった。


(もしあの時パーティを組んでいたら、アイツはまだ生きてたかな)


 何千回目かの『もし』を想像した。月明かりが大きな窓から差し込んで部屋の中を照らしている。アッシュの部屋には壁一面に本棚が備え付けられており、梯子まで付いていた。その中にはかつて最愛の女性が読んでいた本が並んである。今日買った本を棚の中にしまい、保冷庫から冷えた水の入ったガラス瓶を取り出して、向かい合ったソファーに座り込む。


「ニーナ……」


 久しぶりに口にした愛する人の名前は古い本の中に吸い込まれていくようだった。



「え!? アッシュさんここ(エディンビア)のギルドマスターになるの!?」

「おう。すごいだろう」

「おめでとうございます」


 翌日、トリシアとティアは庭の隅で家庭菜園の相談をしていた。せっかくの庭をどうにか有効活用しようとトリシアはあれこれ頭を悩ませているのだ。


「ユーゴさん、もういい歳だからな。次を探してたところにこの間のスタンピードだ。年齢的にも俺がちょうどよかったんだろうよ」


 前回の戦功でアッシュはA級に上がることが決まっていた。トリシアもついに念願のB級へ昇級する。どちらもソロのヒーラーとしては異例中の異例だ。冒険者回復師(ヒーラー)としての評価というより、まさにその回復魔法が評価に加わった結果ではあるが、昇級は昇級だ。スタンピードへの参戦が冒険者達にとってうま味があるというのはこのあたりであった。


(イーグルとアネッタにこの冒険者タグを見せびらかしたいわね!)


 トリシアの胸元で、銀色の真新しい冒険者タグがキラリと光る。通常であれば内定から実際に階級が上がるまでは時間がかかるのだが、ギルド側が冒険者の努力に報いるようにあれこれ手続きを早めてくれていたのだ。


「アッシュさんがギルドマスターかぁ~。うん! それっぽい!」

「なんだそりゃ」


 アッシュはクックックと面白そうに笑っていた。


 この世界のギルドマスターになるには冒険者としての戦闘力も実績も必要ない。冒険者ギルドに勤める事務方の人間がなることもある。求められるのは、知識と判断能力と実務能力だった。

 ギルドマスターは尊敬される対象であるにもかかわらず、冒険者は自由に生きたい人間が多いので、高い階級の冒険者であるほどやりたがる人間は少なくなるという問題も抱えている。


「今のギルドマスターさん、この間のスタンピードの後処理終わった後過労で倒れたって言ってましたもんねぇ」

「まぁあの人だからこんだけ早く後処理が終わったし、俺らの昇級通知も早くできたんだろうよ」


 ユーゴはエディンビアの冒険者ギルドのトップとして長らく働いてきた。元々は王都からやってきたダンジョン研究者だったのがそのままこの街に居つき、いつの間にかギルドマスターを押し付けられていたと度々愚痴っていたという噂だ。


「次期ギルドマスターにアッシュさんを指名するなんて見る目がありますよね~」

「はは! だろ~?」


 ギルドマスターをやりたがらない冒険者が多いというのに、近年は大きな街の冒険者ギルドであれば、それなりの人物が求められた。アッシュは実力も人望もそして教養もある。これ以上の適任はいないと現ギルドマスターのユーゴ、それに領主から直接頼まれたのだ。

 だからアッシュは最愛の人が最期に過ごした街で自分も最期までいることに決めた。そう決めると不思議と気持ちが楽になった。体を置く場所を決めると、心も安定するのかもしれない。現役の冒険者には必要ない感覚だが、そろそろ自分のソレもおしまいだとは気づいていた。


 結局彼女以外の女性を愛することはなかった。ならいつまでも彼女の傍にいたかった。それがついに叶うのだ。


「だからとりあえず5年分、家賃前払いしたいんだが」


 ギルドマスターにはギルド施設内に大きな部屋を与えられてはいたが、それよりもよっぽどトリシアの貸し部屋の方が心地いい。最高の本棚も作っている最中だ。


「わかりました!」


 トリシアの顔がパッと明るくなった。その表情がかつての彼女を思い浮かばせて、アッシュはまた少しだけ切なくなった。


 自室へ戻ろうと建物の中へと入ると、階段前で珍しくルークがアッシュを待ち構えている。


「例の契約魔法だけどよ……」

「……なんのことだ?」


 アッシュは本気で何の話かわからないと首をひねった。


「おまっ! ……これだから酔っ払いは……!」


 わかりやすくプリプリと怒りながら外へ出ていったが、窓の向こうで、トリシアに声をかけられて途端に機嫌がよくなる男の姿が見える。


 アッシュは肩を震わせてこっそり笑った。


(まあでも、俺達の大家のことはちゃんと守るからよ)


 だがこれからは深酒をして若者を揶揄うのは控えようと、出来もしないことをそっと頭の中で誓うのだった。

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