第12話 読書家のこれから①
(フォーゲルの……しかも初版本じゃねぇか!)
いつも通っている古書店でアッシュは表情に出さずに興奮していた。長らく探していた本を見つけたのだ。フォーゲルの本はこの世界からみたファンタジー本だ。魔法の存在しない世界の物語で、設定緻密な創作物語として有名だった。
「いいところに来たね。そうそうこの本、探してただろ?」
「なんだ。覚えててくれたのか」
「そんなこと言って~! 来るたびにフォーゲルがフォーゲルがって言ってたじゃないか!」
店主が大笑いしていた。ポーカーフェイスを気取っていたアッシュもそうだったか? と、つられて笑う。
「すまんな。昔別の街でだが……こっちの足元を見て吹っ掛けられたことがあってな。欲しいものがあっても表情に出さねぇよう気を付けてんだ」
「そんな阿漕な商売するやつがいんのか!」
「冒険者相手の商売なんてそんなもんさ。ま、この街はそんなことないが」
「まぁ~冒険者が金を回してくれてる街だからなぁ」
そんな世間話をしていると、扉が開くベルの音が聞こえた。
「おぉ。今日は冒険者がまた1人……」
古書店に冒険者は珍しい。店主は2人しか来ていないにもかかわらず思わず声を漏らした。
「すまないが店主。植物に関する本を探している。植物図鑑か……この街の植物について記された本はあるだろうか」
「はいはい。何冊かありますので今お持ちしましょう」
そう言って店の奥へと入っていった。
その冒険者は他に客がいることはわかっていたようだが、ふと先客の方に目をやった瞬間、あからさまに顔をしかめた。まさかここで知り合いと会うとは思っていなかったようだ。
アッシュのポーカーフェイスはすでに崩れていたので、思わずニヤニヤと頬が上がってしまうのを隠しはしない。
「ギルドに行ってたんじゃなかったのかよ」
「その帰りだ」
この若いS級冒険者の行動原理のわかりやすさが愛おしく感じていた。
「植物関係の本か~。トリシアが言ってたもんな、シンボルツリーがどうとかって」
「別に……俺も興味があるんだよ」
ただのトリシアの思い付きだった。ふと『記念樹』という前世の単語を思い出してつぶやいたのをルークが聞き逃さなかったのだ。
どうも分が悪いと感じたルークは話題を変える。
「トリシアが心配してたぞ」
「あぁ……悪かったな」
アッシュは少し前に起こったスタンピードで、ルークに倒された魔物の爪に、冒険者の鈍く光る銀色のタグが絡まっているのを見つけた。そこには彼が探し続けていた友人の名前が彫られていた。珍しく人前にもかかわらず肩を落とすアッシュに誰もが声をかけることを躊躇った。
『アッシュさん。必要なことがあったら何でも言ってください。何でもですよ』
ただそれだけ、トリシアはアッシュに告げていた。
『おう。ありがとよ』
彼女の気づかいは嬉しかったが、どうしようもない喪失感が彼を支配していた。ただ、寂しそうに笑っていた。
(アッシュさん、この街出てくかな……)
別れは悲しいがアッシュの人生だ。この街に長く滞在していたのも、今回タグが見つかった友人がダンジョンの中にいるから……ということだった。すでにその人がここにはいないと分かった以上、引き止めることは出来ない。
「よし! 今から呑みに行くぞ!」
「はあ!? まだ真昼間だぞ!?」
ルークが嫌そうに声を上げた。
「だからいいんじゃねぇか」
「……俺、酒はあんまり」
「まぁまぁ! 可哀想な俺を少しはいたわれよ! トリシアの代わりに!」
大笑いしながらアッシュはルークの肩をつかみ、冒険者街へと引きずるように連れていった。
冒険者街は西門の近く、大通りを1つ中に入って飲み屋街、そこをさらにもう1つ奥に入った辺りにある。昼間だというのにそこら中からアルコールの匂いがした。そこからさらにもう1つ奥の道に入り、迷路のような細道を道なりに進むと、突き当りに小綺麗な店の扉が見える。
「ホットミードを」
「外はまだ冷えるな」
「ああ」
アッシュはこの店の常連だ。いつものカウンター席に座り、いつものように注文した。目の前にいる店主の胸には銀色のプレートが鈍く光っている。
「S級さんは?」
「……果実水で」
自分も席に座ってしまった以上仕方がないと注文する。すると少し離れた所から女性店員が早足でカウンターにいるルークの側にやってきた。
「なぁに? これからダンジョンでも行くの?」
若い女性店員はルークのことを知っていた。S級と言えばアイドルのような存在だ。冒険者相手に商売をする人間ならもちろんのことだが、この店員はたとえルークがS級でなくても急いで彼の前にやってきただろう。
店主がそっと、
「アイツに色目使っても無駄だぞ」
とくぎを刺すように呟くと、
「そんなの知ってるし」
ブスッと答える声が聞こえた。彼女は同時に、ルークに良い相手がいることも知っているからだ。
「なんだ。呑まないのか」
「だーかーら! 俺は酒はやらねぇの」
ルークは酒に特別弱いわけではない。ただ自分が人並みに酔っぱらうことは知っていた。これが彼の唯一他人と同レベルのコトガラだ。だから酔っぱらって判断力が鈍るのが嫌で滅多に酒は呑まない。それをみて周囲はルークは酒が弱いのだと思っていた。
最後に飲んだのは、トリシアが追放された後、再会の祝いと称した彼女のやけ酒に付き合った時だ。カッコつけて強い酒を呑んだせいで翌日の護衛の依頼中寝てしまった。
「こいつに果実酒を1杯」
「オイ!」
「いいじゃねぇか~たまには付き合ってくれよ~」
「なんで今日はそんなに絡むんだ……」
口では文句を言いながら、しっかり店員から渡された果実酒を受け取っていた。
「うぅ……嫌ならいいんだ……トリシアにアルハラはダメだって叱られたし……」
シクシクとわざとらしく泣き真似をして同情を引こうとする。アッシュは一度びくびくする双子に酒を勧めていたところをトリシアにピシャリと咎められたことがあった。
「あるはら?」
「他人に酒を強要するのはいかんらしいぞ」
「また何言ってんだあいつ……?」
トリシアの感覚はこの世界で暮らす人間に常に理解してもらえるわけではない。が、まぁトリシアが言っているし、と受け入れてもらえることはあった。
「しかたねぇな。少しだけだぞ」
ルークは観念してグラスに口をつける。
アッシュはとても嬉しそうだ。少し前までのルークなら、近くにトリシアがいなければまともに会話すらしなかった。
「流石S級~! 器が違う!」
「階級は関係ねぇだろ!」
口調はプリプリと怒っているようだが、ルークはゆっくりと久しぶりの酒を口に運び味わっているのがわかった。そうして表情が変わった。この店の酒はどれも特別美味しい。それをお気に入りの冒険者の後輩に教えることが出来て、アッシュは勝手に自己満足に浸っていた。
「付き合ってくれた礼にいいこと教えてやるよ」
ニヤニヤしながらアッシュは一気に酒を飲み干す。
「なんだよ……」
ルークはまだちびちびと味わっている。
「お前とトリシア、もうこの街公認のカップルだぞ。だからもう少し踏み込んでもいいんじゃねぇか?」
「……無責任なこと言うなよな」
と言いつつも、ルークはこの話題に気を良くしているようで頬が上がるのを我慢しているのがわかった。
周囲がルークとトリシアをカップル扱いしていることに、珍しくトリシアは気づいていない。あまりにも周りが当たり前のように接し、違和感を覚えていないのだ。
ルークの方は薄らわかっていたが、彼にしてみれば都合がいいのでアレコレと言うことはなかった。
アッシュはルークが1杯呑み終わる前にホットミードを3杯、エールを2杯呑み終わっていた。
「振られたからなんだっつーんだ。どうせ諦められねぇんだから関係ねぇーだろうが」
「また拒絶されたらどーすんだよ……」
「そしたらまた一呼吸おけばいいだろ! 前回だってそうしたって言ってたじゃねぇか」
ルークはトリシアとの関係をじれったいじれったいと大騒ぎするアッシュに、ついつい領地での自分の失敗談を話してしまった。トリシアの状況すら知ろうとせず、心のままに突っ走ってしまったことを。そうして自分の下から離れていったことを。
「また離れてる間に別のヤローに掻っ攫われたらどうすんだ!」
無責任なことを言うなと、先ほどの若い女性店員のようにぶすっとむくれる。
「まぁそれはあるな……レイルとかスピンとか……ダンは……ないか。ギルドのゲルトに……双子の片割れもいるなぁ」
面白そうに可能性のありそうな適齢の男子の名前を上げ、指を折って人数を数える。それを見たルークは絶望的な顔になっていた。アッシュは満足そうに大笑いだ。酒のせいもあってか息が出来なくなるほど笑っていた。
「この! 酔っ払い――!!!」
ルークが怒っているのを見ても、アッシュは笑いが止まらない。
「わかったわかった! お前が一呼吸置くことになったら、そん時は俺がトリシアに寄ってくる野郎どもを追い払ってやるよ! 責任をもってな」
「言ったな!? とびっきりの魔法契約結んでもらうぞ!?」
「ああかまわん! お前らの恋路に関われるなんて光栄じゃねーか」
そしてまだ笑い続けていた。
ルークはいい加減呆れていた。この酔っ払いを相手に何を言っても無意味だとようやくわかったのだ。彼はS級冒険者。魔物の扱いは天下一品だが、酔っ払いの取り扱い方は知らなかった。
「いや~楽しいことはまだまだあるもんだ」
「他人を揶揄て楽しんでんじゃねぇよ……」
だが、これでアッシュの寂しさが紛れるならいいか、と思えるようになった自分の変化が少し嬉しい。
「……この街に残るのか?」
「おーう残るさ! 俺も諦められねぇんだ……相手が死んでても諦めらんねぇ……」
店主の胸元に光る銀色のプレートを見つめていた。それでルークはあれが例の冒険者のタグだとわかった。アッシュの古い友人のものだ。
「俺はちゃんと言葉で伝えないままだったからなぁ! お前らも冒険者同士、いつ死ぬかわかったもんじゃねえ! ちゃーんと言葉で伝えとけよ」
「縁起でもないこと言うんじゃねぇ!」
ついに酔いが頭まで回り始めたらしいアッシュは、それに答えもせずテーブルに肘をついて体を支え始めた。目がどんどん閉じていく。ヒーラーとは思えない筋肉質な腕だが、酒の力に負け頭を支える力はあまり残っていないようだった。
「ソイツの言う通りだぞ。じゃねぇといつまでも惚れた女の兄貴にまとわりついて、飲み屋で前途有望な若者にくだを巻く残念なオヤジになっちまうぞ」
店主がルークに冷たい水を渡した。アッシュの前にも置かれているが、手を伸ばしたところでそのままテーブルに顔を埋める。
「うるせ~……」
店主に反撃しようと言葉を探しながら、アッシュはそのまま眠りについた。