第10話 引退間近の冒険者の憂鬱①
チェイス・ウェイバーは自分が冒険者として凡庸であることにずっと気が付いていた。だがそれには蓋をしてフラフラとただ楽しく冒険者を続けていくしかないことも知っていた。
彼の実家の治療院は王都にあった。祖母が回復師として立ち上げたのだ。評判もよく、中流階級向けの治療費だったので、それなりに裕福な生活を送っていた。
『えぇ!? チェイスさんってぼんぼんなんですか!?』
『ぼんぼん……?』
彼の父やその兄弟は魔力を持たずに生まれたので、チェイスに魔力があるとわかってからは、修行の為に毎日のように治療院へ行き、あらゆる経験を積まされていた。
『どうせならカッコイイ攻撃魔法を極めたいのに!!! そっちの方が絶対にモテるし!!!』
束ねた赤毛を振り乱して抗議するもそれは許されず、来る日も来る日も実家の治癒院で、いかに効率よく魔力を使い怪我を治し、病に対抗するか学ぶ日々だった。
『毎日毎日こんなことやってられるか!』
彼が冒険者になったのは、ただの反抗心からだった。なんの理想も目標もない。ただ家の言いなりの人生が面白くなかった。この彼の発言は周囲から見ると、ただ環境に恵まれた少年の反抗期だと思われるのも癪だった。
『ではやってみなさい。だけどあなたは今の今までウェイバー家の恩恵を受けて生きてきたことを忘れずに』
修行に出すつもりでチェイスの祖母は、彼が冒険者として生きていくことを許可した。未来の治癒院を担うこの孫が腐った気持ちのまま回復魔法を極めても、いいことはないだろうという考えもあった。
期間は23歳まで。それ以降はまたこの治癒院で学び、働くという条件をチェイスはのんだ。
『もう1つ条件をつけるわ』
『はぁ!? そんな! 旅に出る直前にずりぃよ!』
『必ず生きて戻ること』
祖母の顔はいつも通り厳しく優しさのカケラも感じなかったが、淡い黄色の瞳がいつもより潤っていることがわかり、
『それ当たり前じゃ~ん! 俺死にたくないも~ん』
と、いつも通りヘラヘラとした自分を見せることしかできなかった。
◇◇◇
回復魔法は嫌々学んで仕込まれていたことだが、その経験は冒険者になって大いに役に立つことになる。駆け出しのE級ヒーラーにもかかわらず、王都の治癒院の息子という肩書や実力が知られるとあっちこっちからパーティに勧誘されたのだ。その中から一番馬が合いそうなパーティに加入し、順調に階級を上げていった。
「C級までくれば冒険者としては合格点だろ」
治療院で働くにしても、患者はその肩書に安心して集まってくる。B級以上が大変珍しいヒーラー界でC級ヒーラーという肩書は治療院を開く上でも十分なのだ。すでに人気の治療院である彼の実家でも歓迎されることは間違いない。
(なんだかんだ……実家に都合のいい存在になっちまったな~ばあちゃんの希望通りだ)
冒険者になって7年と半年。もう以前のような自分の人生が自分のものでないような焦燥感はなくなっていた。冒険者になって、もがいて焦ってわかったものもあった。貧しさも自分の実力も思い知った。
エディンビアに来る前、すでに自分が仲間の足を引っ張っていることに気がついていた。彼はトリシアや他のヒーラー同様、自分を守る術も、敵を倒す力も持たなかったのだ。
だから予定より少し早目にパーティを抜けた。いい思い出ばかりの仲間に、少しでもいい印象を残して去りたかったのだ。
(あーあ。このタイミングでまぁた冒険者が楽しくなるなんてよ~)
エディンビアは最後の遊び場にするつもりでやってきた。彼が王都の実家へ戻るまであと半年、ちょうどこの街がヒーラー不足という話を聞いたのと、エディンビアでの冒険は後々土産話にもなるだろうと思ったからだ。自慢も出来る。
でもなぜかチェイスは今、物悲しさを感じてしまっていた。
常駐ヒーラーは予想外にかなりいい稼ぎになった。だがそれ以上にここでの経験は少し足踏みしていたチェイスを大きく成長させ、そして気持ちにも変化をもたらした。
(アッシュさんやべぇ! のたうちまわってた大男、一瞬で治療してんじゃん! やっぱ筋肉か!?)
(は? なんであの傷がこんな一瞬で治ってんだ? 傷跡も残ってねえ……トリシア、あれでC級なのかよ)
自分の実力を思い知ったが、同時に自分の強みも見えたのだ。
「チェイスさんってなんかとっつきやすいですよね」
「この間も娼館から仕事もらったんだろ?」
「営業上手ですよね」
珍しく巣にいるヒーラー3人が1階に集まって、軽食を取りながら情報交換をしている。ちなみに今日のメニューは豪快な骨付き肉。冒険者向けの食堂を開こうとしている料理人が、調理場であれこれ試行錯誤して客の反応を見ていた。
「患者から話を聞くのがうまいですよね〜」
トリシアとアッシュは肉を頬張りながら彼の才能を口々に褒めた。自分達にはないものだったからだ。
即効性の求められがちな冒険者のヒーラーは、患者の話を聞かずに判断することが多い。チェイスは緊急時を除いて、所謂問診をきっちりおこなっていた。だから彼からヒールを受ける患者は、目当ての怪我の治療だけでなく、日ごろ気になっている症状まで一緒に治してもらうことが多々あったのだ。
「まぁな! 人徳だよ人徳!」
いつも通りおちゃらけてはいたが、心の中はネガティブな気持ちが溢れていた。
(やっぱり冒険者より治療院で働く方が向いてるんだろうな……)
チェイスはその評価を冒険者以外でのものと受け取ったのだ。
トリシアもアッシュもそんなチェイスの様子が少し変だと感じた。いつもならもっと褒めてとばかりにアレコレ喋り続けるのに、今日はずいぶん大人しい……。
◇◇◇
彼の部屋は2階にあり、扉の色は柔らかな黄色だった。玄関の大きな戸棚の中には冒険者用のカバンがキチンと整理されており、いつでもダンジョンへ行けるようセットされている。部屋の中も他の誰よりも片付いていた。
「ああ~このベッド実家にも欲しい~!」
大の字になって寝転がるなんて何年振りだろうか。ほどよい硬さのベッドは彼を虜にした。
「あのベッド? あれだけ特注なんですよ。スピンさんに寝具専門の職人さん紹介してもらって」
「寝具専門!?」
「やっぱ睡眠って大事なんですねぇ」
トリシアが用意した家具の中で、数少ない新品のものだった。冒険者にあれこれと話を聞いた際、皆一様にベッドの話をしていた。
チェイスはこの部屋での生活をとても気に入っている。
屋台で持ち帰った料理を絵皿の上に綺麗に盛り付けして1人で食べるのも楽しい。落ち着いた空間の中で1日中、だらだらと部屋の中で過ごす日もあった。部屋の中は、どんどん自分好みに変えていった。若い絵描きの作品を買って飾り、ティアとお揃いで買った花瓶も置いてある。冒険者が着ないような衣類も増えていった。
ティアが花瓶と花のお礼にとくれた手編みのマフラーは寝室に飾った。身に着けて少しでも汚れたら嫌だったのだ。
晴れた日はベランダに出て温かいお茶を飲んだ。小さなキャビネットの中にはトリシアが市で買った、柄がバラバラのティーカップが新品同様になって並べられていた。その中からその日の気分でカップを選ぶのもチェイスは好きだった。街並みを眺めたり、庭仕事をするティアに声をかけたり、穏やかな毎日を堪能した。
(ああ……こんな生活がいいなんて思うってことは、俺はいよいよ冒険者には向いていないんだ)
冒険者の街エディンビアでの生活の中で感じる幸せが、冒険者の感覚と相容れないものに感じて落ち込む日もあった。
彼が自信を取り戻したのは、久しぶりにダンジョン内が大荒れした日。低階層内で発見された隠し部屋から、小規模なスタンピードが起こったのだ。西門にある塔からけたたましい鐘の音がエディンビア中に響いた。それはこの国共通のスタンピードの合図だった。
その日はたまたま全員が巣にいたが、一斉に部屋の外へと飛び出す。
「トリシアはここにいろ!」
「はあ!? マジで言ってんの!?」
トリシアはルークに本気で怒りを向けた。彼女が行けば助かる命がいくつもあることを彼だって知っている。だがルークも本気だ。スタンピード中の魔物には理性が存在しない。ただ破壊にのみその身を委ねるのだ。何が起こるのか予想も出来ない。
「トリシアが心配ならお前が行ってさっさと鎮めてこい」
「そーだそーだ!」
ダンは遠慮なしにS級のルークに意見する。チェイスはそれに乗っかる形で非難の声を上げた。ダンの後ろに隠れながら。
「ヒーラーだからってバカにしてんじゃねぇぞ! 俺らだってやれるこたぁあるんだよ!」
「そーだそーだ!」
今度はトリシアがチェイスに乗っかった。
「いいから急ぐぞ」
アッシュが冷静に声をかけ、ルークを促す。ルークの力は規格外だ。この街の為にも一刻も早くダンジョンへ行ってもらう必要がある。だがまだ迷っている表情のルークにベックが助け船を出した。
「トリシアの護衛、大銀貨1枚でどうだ?」
「乗った! 死ぬ気で守れよ!」
そう言うと、一瞬で姿を消した。ダンジョンへと向かったのだ。
「吹っ掛けたのに……」
ベックは苦笑した。トリシアも失礼なヤツ! と口がへの字だ。とはいえ、この判断は正しいことは皆わかっている。ヒーラーがその仕事に専念できた方がいいに決まっている。
「じゃあ俺もついでに守ってくれよ~」
「いいですよ。大銀貨1枚で」
「って結局俺からも取るの!?」
チェイスがいつも通りの調子でおどけたので、全員の緊張感が少しほどけた。
「よし。そしたらダンはここの地下で待機だな。ピコとティアを頼む。ヤバそうだったら城へ」
「おう、悪いな。トリシア、ティアは任せろ」
「うん! お願いします!」
アッシュが悪ぃなと勝手に仕切ったことをトリシアに謝ったが、アッシュの方が早く的確な指示を出し、何より彼女の希望通りだったので逆に感謝した。
ティアは犯罪奴隷だ。人間として扱わなくても許される。もしもの事があったらそれこそ酷い目にあいかねない。それがトリシアはなにより心配だった。
「皆様、お気をつけて……」
ティアはいつもと同じ毅然とした態度だったが、瞳が少し震えていた。
「おっしゃー行くぞ! 稼ぎ時だ! 稼いでティアに魔石付きのネックレスプレゼントするぞー!」
ティアを安心させようとそう大声を出し、笑顔を見せたのはやっぱりチェイスだった。