第8話 氷の魔術師、冒険者の街にやってくる①
これはまだルークが第二王子リカルドの護衛でガウレス傭兵団と共に王都におり、トリシアの貸し部屋では入居者達がそれぞれの暮らしに慣れ始めた頃のお話。
ベックがエディンビアに来たのは、ダンジョンの新階層が全国で話題になり、魔草の有用性が騒がれ、多くの冒険者達がこの街に押しかけてきたのと同時期だった。
「ようトリシア! この街、かなり景気がいいみたいだな」
「あれ!? ベック! 来たんだね!」
エディンビアの冒険者ギルドで再会した2人は、出会った頃の思い出話に花を咲かせることはなかったが、お互いの近情で大いに盛り上がった。あたりは冒険者で溢れかえっている。
「……イーグルに会ったよ。たまたまだけど」
「じゃあアレコレ隠す必要はないわけね〜」
ニヤリ、とトリシアは冗談っぽく笑ってみせる。まさかとは思ったが、ベックはイーグル達に追い出されたトリシアを心配してここまで様子を見に来てくれたのだとわかり、実は少し有難さで涙が出そうだったのだ。
(相変わらず優しいな)
この世界の移動はなかなか大変だ。前世とは違い移動手段が限られている。手間と暇と体力を費やしてやって来てくれたベックの優しさが嬉しくないわけがない。
少し離れたところでベックに向かって冒険者が2人、軽く手を上げている。
「パーティ組んだんだ」
トリシアは驚きで目を見開いたあと、思わずホッと微笑んでしまう。
「……まぁな」
だが予想外に歯切れの悪い返事を聞いて、トリシアは少し心配になった。ベックは最初組んでいたパーティが彼以外全滅、という経験をしており、その時たまたまトリシアがベックを治療し縁ができたのだ。
「なにかあった?」
ベックの様子が出会った頃に似ていたのだ。常に相手に気を使わせないよう笑顔だが、カラ元気で、大丈夫だと自分に言い聞かせるよう表面上演じている。
彼は笑顔のまま先程の仲間の姿を確認し、もうギルドからは出ているのがわかると、急にふにゃりと泣きそうな顔になった。
「トリシア……俺、パーティを追い出されそうなんだ……」
「ええ!? な、なんで!?」
トリシアにする相談ではないと思いつつ、トリシア以外に相談相手はいなかった。
珍しく弱音を吐いてしまうほど動揺していた。
「ご、ごめん! こんな話……!」
「大丈夫大丈夫! 思いっきり不安、吐き出しちゃって!」
ベック達の階級はCだったが、ベック自身は十分B級に上がることができる実力を持っていた。ただ、他2人のメンバーはベックの実力についていけなくなりつつあるせいか、パーティ内の関係が煮詰まっているのだ。
トリシアが心配でエディンビアにやってきたが、拠点の移動はパーティにとってもいい気分転換にもなるとベックは考えていた。
この街はダンジョン以外の依頼数も多い。冒険者として新しい経験を積むことが出来るだろうと仲間を説得してここまできたのだ。
「今日はうちに泊まってよ! ゲストルーム作ったのに全然誰も泊まってくれなくて寂しいの」
「あ、ああ……助かる」
(ゲストルーム?)
元気づけに来た相手に気を使われていることがわかって、ベックはますます自分が恥ずかしくなった。だがもう、今はそれに甘えるしかない程、何も考えられなかった。
◇◇◇
ベックは氷の魔法を使いこなすことが出来る。魔法の基本は、地・水・火・風、それに回復魔法だ。それ以外を使いこなせるのはかなり珍しい。氷の魔法は攻撃力もさることながら、防壁を作ったり、対象の捕獲にも便利だった。
そんな力を持ちながら、亡くしてしまったかつての仲間のことを彼はいつも考えていた。だから彼らに報いるように必死になって魔術を磨いた。
『この街にいる間、別行動にしよう』
『え?』
それは街に入ってすぐのことだった。
寝耳に水とはこの事だ。トリシアを心配できる立場ではない。
『お前がいるとどうしても甘えちまうからよ……』
『修行のつもりでしばらく2人で頑張ろうと思うんだ』
2人を足手纏いだなんて感じたことは一度もない。だが改めて言われると、いつも自分が守れる範囲に2人を誘導していた。それが彼らのプライドを傷つけたのだとベックは今更気がつき後悔する。
(俺はなんてことを……!)
2人の実力を疑っているわけではない。だがあの経験が戦闘のたびに思い出されて怖くて仕方がないのだ。そうするともう、常に自分が前衛に出て場を支配してしまっていた。剣士の2人が後方で出来ることは少ない。
◇◇◇
(トリシア、元気でよかった)
トリシアに案内された建物はとても再建したものと思えない程美しい。荷物を置いたゲストルームなんて、部屋に風呂もトイレもついていた。一度だけ泊まった事がある商人用の宿屋よりずっと中は豪華だ。
パーティを追い出されたことをバネにして、立派な建物の所有者になったトリシアをみてベックは心底安心した。
同時に、あれだけ仲良く冒険をしていたイーグルとトリシアの2人が、あんな形で別れ別れになったことが自分のことのように悔しくて仕方なかった。
(イーグル、本当にバカだよお前……)
そんなこと、本人が一番わかっているであろうことは彼に会ったベックは知っているが、今のトリシアとの差が大きすぎて何度も考えずにはいられなかった。
その日は建物の1階部分が、レストランとしてオープンしている日だった。
商業ギルドを通して、若手シェフの修行場やお披露目の場、あとはただ大き目のキッチンを使いたい人達に月に数回、場所を貸し出していた。
何のしがらみもなく使えるトリシアのキッチンはいつも新品のように綺麗に整えてあり、利用者からとても好評なのだ。
「食堂も経営してんのか!?」
「違う違う! 今日はたまたま!」
エディンビアは昔から大きな街だったが、度々スタンピードにあったにもかかわらず、この街は発展し続けていた。
時期によっては地元の人間より一時的に立ち寄る人間の方が多い。冒険者を筆頭に、魔物の素材を売り買いする商人や、武器商人、それに貴族や金持ちが物珍しさに訪れる観光地にすらなっていた。
最近この街は利用者に対して飲食店のキャパシティが足りておらず、エリザベートの兄であるエドガーは、飲食店への優遇政策を進めている。その為ポツポツと新しい店が増えていて、街人の楽しい話題になっていた。
今日1階の食堂エリアを使っているのは、まだ若い夫婦だった。今働いている店から独立してやっていけるか試したくて、数日ここを借りている。
いい匂いが建物の中に充満していた。この時期すでに入居していたメンバーはパラパラと部屋から出て1階の席に着いている。女性が1人忙しそうに注文を取り料理を運んでいた。
「これはこの国のメシじゃないな?」
「東の方にある国の料理みたい」
(肉まん美味しすぎる~!)
どうやら中華料理に近いメニューが多いことがわかった。今日は米を使ったメニューはなかったが、前世の記憶を思い起こす味付けも多く、心の中で1人大騒ぎする。
ただ、目の前に座るベックは気落ちしている姿を隠そうとして隠しきれておらず、はしゃいで食べることは憚られた。
(ベックのことだから、どうせ私のこと聞いて心配してここまで来てくれたんだろうな……なのに自分が追放される心配をすることになるなんて気の毒ね……)
こんなに美味しい食事も喉を通らないようだ。
「美味いな!」
なんて気を使って言っているが、皿の中身はたいして減っていない。
「ベック。今は仲間を信頼して待とう」
他人が何を言っても結果はどうにもならないが、吐き出せば少しは気が紛れるかもしれないと、トリシアは敢えて話を振った。
取り繕うような笑顔だったベックの表情がなくなり、シュンとテーブルに目を落とした。
「ダメだ……今も心配で仕方ない」
「でもベックがお荷物なんてことはありえないし追放なんて」
頭を抱えながらため息をつくベックに事実を告げて、少しでも安心してもらいたかった。
「違うんだ! 俺の側にいない時に死んだらどうしようって、そっちの方が心配で……」
(トリシアがイーグルに対して過保護だったなんて言える立場じゃないじゃないか)
ギュッとフォークを握りしめているベックの手を見ながら、トリシアはまだ第二王子の護衛で王都にいるルークのことを思い出していた。ルークも似たようなこと言ってたのだ。
(他人を大切にするのってこんなに難しいことだっけ……?)