第13話 帰還
冬の始め、ついにルークが王都からエディンビアに戻ってきた。彼としては一刻も早くトリシアの側に戻りたかったのだが、彼のS級という立場がそれを阻んだ。……というのはまた別の話。
「遅かったわね」
「なっ! なっ! お前……! ななななんで!!?」
トリシアの貸し部屋に到着したルークが一番初めに会ったのは、ちょうどダンジョンから戻ったばかりのエリザベートだった。頬や服に土埃が付いたままだ。
「トリシア~! ルークが戻りましたわ~!」
面食らって固まっているルークを無視して入口のドアを開け、建物に響き渡る大声でトリシアに呼びかける。まさかエリザベートがそんな行動をするとは思わず、ルークは目を見開いた。彼女は貴族のご令嬢。先程のように大声を出すなど、はしたない行為として咎められてきたはずだった。
トントントン、と階段の方から足音が聞こえてくる。
ルークはトリシアになんと言おうか迷った。自分があれだけ真剣に忠告したにもかかわらず、エリザベートを招き入れていたのだから。
(あぁったく! また余計なモン抱え込んで!)
だがその気持ちも一瞬で吹っ飛んでいった。
「ルーク! おかえり!」
階段を駆け降りてきたトリシアは満面の笑みで、本当に嬉しそうにルークを迎え入れた。
『おかえり』という単語がルークの心にじわじわと染み込む。
「た、ただいま!」
頬を赤らめて少し照れながら答えるルークを見て、エリザベートはニヤリと笑っていた。すでに先ほどの切迫したような表情は綺麗さっぱり消えている。
「エリザもおかえりなさい! 今回はどうだった?」
「Bクラスの魔物をかなり倒せたからいい稼ぎになりました。やっぱりパーティを組むといいわ。持ち帰れる量は増えるし、何より私、解体するのが得意ではなくって」
「買取所で解体まで頼むと結構手数料で持ってかれるもんね~」
『普通』の会話を繰り広げている彼女達を見て、いつの間にこんなに2人は仲良くなったのかと、ルークはギョッとしていた。
エリザベートは今、トリシアからの依頼で知り合った冒険者達と仮のパーティを組んでいる。彼女は基本的にこの街から出るつもりがないので、あくまで仮だ。エリザベートはあっという間に階級をDまで上げていた。
「お前、髪の毛どうしたんだ?」
1階のスペースでティアが出してくれるお茶を飲みながらルークがエリザベートに尋ねた。
「売ったのよ。城を出て早々に。おかげでギルドの登録費と当面の生活費は得られたわ」
伸びたらまた売ろうかしら、そう言いながら面白そうに笑った。
「エドガーの負けだな。たくましいよ。すっかり冒険者だ」
「ふっ……お兄様は私がどれだけ本気か試してらっしゃるのでしょう」
エドガーはエリザベートのもう1人の兄だ。頻繁に体調を崩す領主を手伝い政務に励んでいる。
エリザベートが冒険者になる事を一番反対し、城を出ていく彼女に一銭も与えなかった。そうすればすぐに泣きついて戻ってくると思っていたのだ。
なんといっても彼女はお嬢様。一般の暮らしに馴染む可能性など考えもしなかった。
「まあお金は銅貨1枚持ち出しませんでしたが、その他のモノは色々と」
彼女はちゃっかりと冒険者に必要なものは持ち出していたのだ。
「トリシアの貸し部屋に滑り込めたのは幸運でした。こんなにゆっくりと自分の部屋でくつろげた事なんてないもの」
入り口の扉が開いた。少し大きな、上部が丸くなった木製の扉だった。ドアノブにはライオン……ではなく龍が形どられている。
「お! ルーク戻ったか! おーいトリシア~!」
「アッシュか。久しぶりだな」
「トリシアとはさっき会ったわ。お客様がいらしてるみたい」
ちょうど階段からトリシア達が降りてきた。スピンと、彼の上司にあたるバレンティア工房の親方だった。
「ではトリシアさん。今後ともよろしく」
「はい! わざわざありがとうございました!」
スピンは親方と一緒に帰っていったが、ルークを見てパッと表情が明るくなり、満面の笑みのままお辞儀をした。
「ごめんね! 念のため点検ってことでわざわざ親方さんがきてくれてたから」
「終わった後もしっかり面倒見てくれるんだな」
「うん。弟子の仕事に満足してたみたい」
そう言って微笑むトリシアのことを可愛いと思いつつ、スピンに対する微笑みのようにも感じてルークは複雑な気分になった。
(あの傭兵どもが余計な事言うから……)
トリシアの側で、彼女が困った時はただ助けるだけと決めていたのに。あれこれ望まず、近くで過ごせるだけで幸せだと感じていたはずなのに。今はどうも意識してしまっていた。
「もう部屋には行った!?」
それはもう嬉しそうにルークの側に駆け寄ってくる。まるでいい物を手に入れた子供のようだ。
「いや、まだだ」
「なんで!? あんたもう家賃払ってるんだから! 早く早く!」
そう言うと急いで彼の背中を押して階段を登っていく。
ルークは背中にトリシアの温かな手のひらを感じ、今までずっと抑えてきた、彼女に触れたいという気持ちや、独り占めしたいという欲求がどんどんと溢れてくることに気がついた。
(ダメだ。んなことしたらまた逃げられる)
トリシアが冒険者になる少し前、全力で愛情表現した末に避けられた。立場的にルークのことを無視できないトリシアは、彼が来る前に隠れるようになった。
イーグルから注意された後は控えるようになったが、間もなく彼女は彼の下から離れていった。冒険者になる為、黙って孤児院を出ていったのだ。
もちろんトリシアはあの時、ルークの気持ちがわかっていた。そしてそれを受け入れられる立場ではないことも。彼の母親や彼の教育係からも酷く叱責され続けていた。最後は追い出されるような形で孤児院を出たのだ。
ルークの母親は、トリシアがいなくなれば全て解決するだろうと疑っていなかった。ルークがその内落ち着いて、然るべき相手と結婚するだろうと。
トリシアの方も同じだ。時間が経てば自分は彼にとって過去になり、淡い思い出として残るだろうと。冒険者となったルークと再会した時、彼はもう以前のような全力の愛情表現はしなかった。それで彼はもう自分に恋愛感情がなくなったのだとホッとした。同時に少し寂しいような気もしたが、その気持ちにはそっと蓋をしたのだった。
「どう!? 見て!」
ルークの部屋には一面に大きな窓が付いていた。しっかりと海が見えるように。
「お! いい眺めだ!」
「でしょ!? 図面で見るのとは全然イメージ違わない!?」
じっとルークの目を見つめる。肯定の言葉を待つ期待に満ちた目だった。
「ああ。図面よりさらにいい部屋だよ」
その答えに彼女はとても満足そうだった。
「ねぇ! 他のとこも見てよ!」
褒めてほしそうにブンブンと勢いよく尻尾をふる犬のようなトリシアの頭を、ルークは思わず撫でる。
「頑張ったな」
「おかげさまで!」
花が綻ぶように笑った。