物語の隙間1 しっくり
トリシアがパーティから追放され、ルークとともにエディンビアにやってきたのは春の始まりの頃だった。柔らかな日差しの中、のんびりと物件探しがてらの街探索……とはならず、冒険者ギルドの常駐ヒーラーとして、稼ぎ、稼ぎ、また稼いでいた。
(まさかこんなに稼ぐことになるとは)
と、トリシアはいったい何度思ったことか。
難易度の上がったダンジョンから、絶えず怪我人が運び込まれていた。ダンジョンの側にある治癒院だけでは対応しきれなくなっていたからだ。パーティを組んでいた時なんかよりずっと慌ただしい毎日を送っていた。もちろん慌ただしさに比例して収入も大きくなっているが。
(これは完全に予定外ね)
とはいえ彼女の夢は文字通り大きい。なんせ冒険者向けの賃貸物件の購入ともなれば、一生に一度どころか、二生に一度の買い物に違いない。前世では自分だけの家すら購入することはなく終わっている。しかもここは住宅ローンなど存在しない世界……自力で貯めるしかないだろう。
(貸金業はあるけど……とても恐ろしくて手が出せないわ……)
返済が滞ると行き着く先は借金奴隷。だからこそニコニコ現金払いが一番……というより大前提だ。どちらにしろ、収入が不安定な冒険者に大金を貸してくれる金貸を探し出す方が難しい。
夢に向かってそれなりに資金を貯めてはきたが、彼女の理想の貸し部屋に仕上げるには何かと金が必要だ。
(家の中にいるのが楽しくなる部屋がいいのよね〜)
落ち着いた生活とは無縁の冒険者のために。もちろん、自分のためにも。
そうなると、家具魔道具は揃えたい。家に家具に魔道具となれば、いったいどれだけ金貨が必要になるか……そう考えれば考えるほど、常駐ヒーラーの仕事に力が入る。
常駐ヒーラーとして働いている合間にやってくるルークに理想の部屋の話をして夢を膨らませ、トリシアはそれを現実にさせるのだ、という意気込みと同時に、この夢が本当に現実になる日が来るのだろうか? という疑問に挟まれていた。
ルークはそんなトリシアの気持ちを知ってか知らずか、
「急ぐことはないだろ。街でも歩いてイメージ固めてみたらどうだ? 違うなって思ったらまた別の街に行こうぜ」
穏やかな顔で答えた。次の街にも自分は一緒に行くつもりだ、ということを暗に伝えていることに、実はルーク本人も気がついていない。
トリシアの方はというと、そんなルークの表情を真っ直ぐと見つめていた。
(そういえばこんなルークの顔見るのも久しぶりだな)
最後にこんな落ち着いた微笑みを見たのはいつだっただろうかと記憶を思い起こす。
(ウィンボルト領にいた……まだルークが小さかった頃……?)
彼の笑顔はたくさん見てきたが、こんな様子は久しぶりのように思えた。トリシアはルークが冒険者になったと知った時、名家のおぼっちゃまが大丈夫!? と心配したものだったが、ルークにとってはいいことだったのだと、その笑顔を見ただけで思えた。
「どうした?」
一方、まさかトリシアが自分のことを考えているとは思っていないルークは、彼女がポカンと黙ったままだったのに少々焦る。自分のことは客観的に判断できる男だが、こと恋愛においてはネガティブ思考で、全く少しも自分の判断力に自信がない。
「たしかに。ゆっくりしっかり考えた方がいいことだもんね。大金がかかってるし」
ふふっとわらったトリシアを見て、ルークはホッとすると同時に、また自然と笑みが溢れる。彼女といると、滅多に使わない頬がいつも仕事をしていることにルークは気付いていない。
トリシアはこの街歩きの最中、どんどんエディンビアという街にハマっていった。
愛おしくなるような古い街並み、家々の隙間から見える輝く海、国内外問わずあちこちからやってくる人々の喧騒、冒険者達の大笑いが聞こえる飲屋街、安くて美味しい食堂に中央広場に面したおしゃれなカフェテリア。そしてそんな街で暮らす地元住民達がにこにこと立ち話をしている小さな広場。
(もうエディンビア以外の街なんて考えられなくなっちゃってるな)
なぜこんなにも心が躍るのか。なのに同時に魂が落ち着く場所のようにも思えた。
(なんて言うんだろう……しっくりくるのよね)
うまくピースがはまったような、そんな気分にトリシアはなっていった。
だがそうなるとさらに迷いが出るのが物件探しだ。
商人ギルドに頼み、あっちこっちと歩き回るも、これ! といったものに出会えない。しっくりこないのだ。
「うわ〜〜〜! どうしたらいいの〜〜〜!!!」
「その分稼ぐ時間が増えたって思うこったな」
トリシアの楽しい悩みをルークは嬉しそうに聞いている。なんせ彼はトリシアが自分の見立て通りエディンビアという街を気に入ってくれたことが嬉しくて仕方がない。
「そ、そうね……! 元手が増えれば選択肢も増やせるものね!!」
結局、トリシアが運命の物件に出会ったのは夏を迎える少し前の頃だった。
本日11/15より、pixivコミックにてコミカライズスタートです!
お楽しみいただけますように!