番外編&後日談9 聞き役
ピコは最近、ちょろちょろと走り回るようになっていた。言葉も増えてきて、ますます可愛さがアップしている。
日中はよく庭に出て遊んでおり、ティアが王都へ行ってしまってからは、ダンが不在の時は二号棟の管理人であるダイナやレックスが一緒に過ごしていた。
「ピコ〜! 今日はギルドで講習会終わったらすぐ帰ってくるからな〜」
ダンは龍の巣の一階でレックスにピコを託し、顔と体格からは想像し難い優しい声をかけながら頭を撫でている。
「ババイ」
ピコがダンを見送るのはもう慣れたもので、まるで保育園に預けられた子供のように仕事に出かける親へ、小さな手を一生懸命振っていた。トリシアがよくするので覚えたのだ。ダンはそれを見るといつも少しの寂しさと安心感の狭間をウロウロとし、この生活がずっと続けばいいと思うと同時に、自分にいつ何があったとしてもいいよう、人脈と金を稼ごうと気合いを入れるのだった。
「おはよう! パース、プレジオ、フュリー」
レックスとピコが庭に出てきたとわかると、先に庭で日向ぼっこしていたケルベロスがゆっくり裏口に近づいてきた。彼らはこの小さな生き物をいたく可愛がっている。まるで今は王都にいるハービーが、幼い頃の自分達に対してそうしたように。
「皆おはよう〜〜〜」
トリシアが小さくあくびをしながら庭で遊ぶピコ達に声をかける。そしてニコニコしているピコを抱き上げ、頬擦りをして癒されていた。
「あれ? トリシアさんも今日ギルドでしたよね?」
「そうなの〜アッシュさんに借りた本が面白すぎて夜更かししちゃった……ってことで行ってきまーす」
ピコをレックスへ渡し、また『ババイ』という可愛らしい声と小さなバイバイを名残惜しそうに見つめながら玄関から出ていく。入れ違い様にリーベルトが外から帰ってきた。締まりかけの扉から、
「ちゃんと寝てくださいね!?」
と、トリシアの声がピコの耳にまで届く。
「やあ諸君! いい朝だね!」
目の下にクマを作ったこの国の第二王子が、庭に繋がる裏口の扉を開けながら少しハイになっているのか、声高に五つの顔に声をかける。
「お! おはようございます!」
「ねんね」
レックスは相変わらずリーベルトの前ではガチガチに緊張していた。ピコの方はトリシアの言っていたことがわかっているのか、最近覚えた『ねんね』を連呼している。
「ねんねするよ〜……でもちょっとここで一緒に日向ぼっこしてもいいかい?」
トリシアと同じようにリーベルトもピコに頬擦りをする。じんわりと徹夜の疲れを癒しているようだ。彼は最近冒険者としてよりも魔草の研究に力を入れており、キリのいいところまで……とついつい朝まで実験に没頭することもあった。
リーベルトは自分自身にヒールを使えばこの疲労問題はあっという間に解決するのだが、彼は疲れたままでいたかったのでトリシアやアッシュからのヒールの申し出も断っている。
「あ、ぼ、僕なにかお茶、お茶を……!」
「いやいや気にしないでくれ……と言いたいが、すまない。頼めるだろうか? ピコは私が責任を持ってみているから」
レックスは頷き、頬を赤らめ張り切ってお茶を入れにキッチンの方へ。リーベルトはピコを抱っこしたまま海を眺めに東屋の方へとゆっくり歩く。その後ろを、ケルベロスもついて歩いた。
「はは! 大丈夫。いくら眠くても大事な我が国の民を落としたりしないさ」
笑いながらリーベルトがベンチに座ると、ケルベロスが足に頭を擦りつけてくる。そのことに彼は眠気が吹っ飛ぶほど驚いた。これまでケルベロスは一度たりとも彼にそんなことをしたことはなかった。
元々リーベルトは彼らに興味津々だったが、同居人以上にはなれないのだと諦めつつあったのだ。だが、このケルベロスの行動はどうにも自分を心配してだということがわかる。
「わ〜だめだめ……最近ちょっと涙腺が弱くって……今日は疲れてもいるし……」
ぐっと込み上げる涙を堪える。
リーベルトは周囲の予想に反し、エリザベートがエディンビアを出るという話を受け入れていた。少なくとも表向きは。もちろん、彼女の兄であるエドガーがどうにかしてくれることを内心期待はしているし、あまり深く悩まないよう薬草研究や冒険者業に励み、夜ぐっすりと眠るようにはしているが。
(案外、大丈夫なもんだな)
動揺はしている。だがまた以前のように逃げ出したい気分にはなっていない。それで彼は自分の変化に驚いたのだ。なんとかこの貸し部屋の中でなら立っていられると。
彼の交友関係は広い。立場上当たり前だ。だが、王宮では誰もが無条件に彼を敬うか、鬱陶しく思うかのどちらかで、唯一仲の良かった兄とも今はお互いのために距離をとっている。あの空間は、この貸し部屋とは違い、赤の他人と人間関係を深めていくなんてことはなかった。それも自然に。
いつの間にかここでできた小さな繋がりが、彼の心を支える柱になっていた。
「えんえん?」
ピコがそんな王子様の顔を不思議と覗き込んでいた。ただ、ジッと瞳を見つめている。
「えーんえーんしそうだよ〜〜〜」
そう言うと、ピコはヨシヨシとリーベルトの頬を撫でる。少しこそばゆくて、思わずふふっとリーベルトは声を出して笑った。
王族として暮らしていく中で、唯一自然と惹かれたエリザベート。結局彼女のおかげで自分は今ここにいる。エリザベートという存在がなければ、自分は今どんな生活をしていたか。想像もしたくない。
エリザベートは、そんなリーベルトの変化に気が付いていた。滅多に表情を崩さない彼女が、
『応援してる』
その一言で心底嬉しそうに笑ったのだ。見惚れるほどの笑顔だ。そうなるといまさら、ヤダヤダ行かないでー! とはとても言えない。
リーベルトはもちろん彼女についていくことも考えたが、流石にこれ以上周囲を巻き込めない。また大騒動になる。
(そう思えるようになってよかった……)
彼自身その自分の変化に……ある意味元の状態に健全に戻ったことにホッとしている。何事も依存しすぎるのはよくない。エリザベートにも魔草研究にも。もちろん、薬にも。
「いやでもさ〜〜〜本当は嫌だ行かないでって言いたいんだよ〜〜〜」
ピコがわかっていないことをいいことに、リーベルトは弱音を吐き始めた。
「いやいや!」
これも最近ピコが頻繁にいう言葉だ。いや、いやや、いやいや、や!
「そう! いやいや! なんだよ〜〜〜! 王子様だっていやいやっ言ってもいいだろう〜〜〜?」
「いやいや!」
「ねぇ! 嫌だよねぇ! エリザベートいなくなったら嫌だよねぇ!!」
その様子を、パースとプレジオは不思議そうに眺めていた。フュリーの方はすでに興味を失って眠そうだ。
「でもね……今は理解あるふりをしないとダメなんだ。というかね! 頭では理解してるんだよ!? エリザベートのことを考えれば当然この街を出て見識を広げる方がいいことはね!」
項垂れる王子様を見て、ピコが今度は頭を撫でる。ケルベロスを撫でる時と同じように。
「うぅ……本当に泣きそう……」
応援するとエリザベートに告げた日から、あきらかに彼女の態度が軟化した。好感度が上がったのだ。楽しそうにこれからの冒険について語るエリザベートに、リーベルトはしっかり向き合って受け答えをした。すると彼女はさらに彼のことをキラキラとした瞳で見つめた。
(あの楽しそうな姿……なんて愛おしいんだ……)
こうなるとどうしようもない。理解あるふりを続けなければならない。言葉通り、彼女を応援するのだ。男に二言はないと。
「どうされました!?」
お茶を運んできたレックスが涙ぐんだリーベルトを見て慌て出す。
「いや失礼……ちょっとあくびを」
「お疲れなんですね……」
顔を上げたリーベルトはいつもの王子スマイルだ。だがレックスはそれでも心配していた。
「ホットミルクに変えてきましょう。飲んだらお部屋でお休みください」
「……手間をかけてすまない」
「ああそれから! エリザベート様からご伝言を預かっているのですが……」
レックスはちょっとなにかを迷っているような困った顔になっている。
「……? どうした?」
「あの……リーベルト様がお疲れのようだったら伝えなくていいと」
「!? わ、私は元気だ!」
途端に彼は自分自身にヒールを施した。レックスはギョッとしつつもこれでエリザベートからの条件は満たしていると思いつつも少しオドオドと用件を伝えた。
「あの、もし今夜ご予定がなければ空けておいてほしいと。ご夕食を一緒にと仰ってました」
「ミルクをいただいたらすぐに寝よう!」
王子の涙はすっかり引っ込んでいた。こんなことは初めてなのだ。ダンジョン以外で初めてエリザベートに誘われた。舞い上がる気持ちのままピコを高く持ち上げる。
「話を聞いてくれてありがとうピコ! なんとかなるような気がしてきたよ!」
怪訝な顔をしたパースとプレジオ、もはや目を瞑っているフュリーにも礼を言う。
「君達は最高の聞き役だね! 参考にさせてもらうよ!」
ついにリーベルトとエリザベートの関係が進み始めた。それを彼は確信したのだ。これまで自分が何をしても大した変化はなかったというのに。ただ彼女の決断を受け入れただけで、これほど一気にことが動くとは。
(愛に試練はつきもの……今更数年待つくらいどうってことない)
自分でも驚くほど前向きな気持ちでベッドの中へと入ったのだった。
次回更新は11/4(月)の予定です