表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

錦祥女の月

作者: 庭鳥

たそがれ時、大きな月が清かな光を放っておりました。松の内も過ぎて日差しが春めいてきたその日、芝右衛門(しばえもん)志賀屋(しかや)主人の使いで堺に出掛けようやく道頓堀に戻って来たところでございました。

暗くなり知らず、急ぎ足で中橋の前を通りかかりますと橋のたもとで空を見上げている人々が目に入ります。今夜は、望月。見つめていると魂を抜かれてしまいそうなくらい、大きく美しい月です。見上げる中のひとりに目をとめて、芝右衛門はハッとして姿勢を正しました。

同時に相手、中年の武士もこちらを見ました。

「おう、狸か」

「はい、山部様。お久しゅうございます」


中年の武士は、志賀屋主人の知人で芝右衛門が志賀屋で働けるよう口添えしてくれた山部佐八郎でした。

「良い月だなあ、狸」

「はい、心が洗われるような心地でございます。錦祥女(きんしょうじょ)が楼門の上で見た月もこのような美しさだったのでしょうか……」

国性爺合戦(こくせんやかっせん)の登場人物を引き合いに出して相槌を打つ芝右衛門を見て、山部は朗らかに笑いました。

「楼門の……うむ、そうだろうなあ。どこぞ異国では、狼が望月の夜を好むと聞くが。狸も月が好きか」

なおも笑い続ける山部に、芝右衛門は赤面して下を向きました。

道頓堀の芝右衛門は、もともと淡路島に住む狸でありました。芝居好きが高じて大坂に来て、人間に化けて芝居三昧大豪遊をするも正体がばれて殺されそうになり、たまたま山部や志賀屋主人に拾われて一命を取り留めたのでした。

それ以来、芝右衛門は再び人間に化けて道頓堀の芝居茶屋・志賀屋で働き木の葉の小判で豪遊した分の借金返済をしているのでした。


「北堀江の浄瑠璃に行ってきてな。ああ、お染久松のあれだ。噂には聞いているだろう?ちょうど志賀屋にも寄ろうかと思っていたところだ。供をせい、狸」

そう言うと山部は、もう一度月を見上げてから歩き出しました。

「心にもあらでうき世にながらへば……下の句を知っているか、狸」

「はあ、百人一首でございますか……どうも、苦手で」

首を傾げる芝右衛門に、山部は続けます。

「うむ。恋しかるべき夜半の月かな……だ。三条院の和歌だな」

「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな……恋しかるべき月」

和歌を口に乗せ空を見上げると、なお一層今夜の月の輝きが増すように思えます。

そのまま二人で月を見上げながら、志賀屋へ向かいます。

「この歌は、生きていたくないと思うほど辛い人がそれでも月夜を美しいと感じた、そういった意味なのでしょうか」

志賀屋の戸口が見えてきたところで、芝右衛門は口を開きます。

「そうだな、三条院は政治的には不遇で晩年は眼病を患っていたらしいからな。だが……まあ、良いではないか。詠み手から離れた歌は、読み手のもの。歌詠みの不遇に思いを馳せるより、歌を楽しめばいい。この月夜を」

どこか自分に言い聞かせるように語る山部に、返事をするよりも早く山部の姿に気がついた店の仲居たちが迎えに出て客人はそのまま中へ入っていきました。

中に入る山部を見送り、勝手口から入ろうとして芝右衛門はもう一度月を見上げます。

「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな……錦祥女が、和藤内わとうないが見上げた月も、きっと明るかったに違いないな」

百人一首アンソロジー さくやこのはな参加作品として、庭鳥の同人誌「化狸浪華賑」の番外編として書きブログに投稿した短編です。

〇六八 心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな  三条院


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ