第5話 立ち入り禁止区画めぐる、【次女】と【五女】
【五女と長男の場合】
時は少し遡って、【長男】ファストが議員との面会を終えた昼。ファストは栄養ドリンクを飲みながら、【五女】ジルカレを呼び出す。
「なんだよ、お兄?」
「昨日、一緒に謝りに行こうって言ったじゃないか。さあ行くよ」
兄に逆らえないジルカレは、渋々と兄に同行する。どう見ても不満気な態度がありありと表れている。すると、ファストが突然立ち止まった。
「ジルカレ。君がそんな態度では謝罪が意味をなさない。謝罪はやめようか」
朗らかに言い切ったファストに、ジルカレが驚く。
「え、ごめんって言いに行かないの……?」
「ああ。でも、その代わり大人たちの仕事を見学しに行くんだ。まずはお互いを知ることから始めないとね」
そういうと、ファストはスマホのような通信端末で誰かと連絡を取る。話し終えると、ジルカレに手を差し伸べて「おいで」と言って妹の手をつかみ、妹の手を引いて立ち入り禁止区画に立ち入る。
立ち入り禁止区画への入り口で、ジルカレが急に不安になる。
「な、なぁ。入っちゃいけないんだろ? 罰されちゃうよ……?」
「大丈夫。僕の権限で許可を取っておいた。お互い理解するためには、こっちに入る方が良いって思っただけさ」
【長男】ファストが禁断の扉を開け、未踏の世界へとジルカレをいざなう。手を引かれるままに、ジルカレは境界線を踏み越える。
「ところで、立ち入り禁止区画は主に何の業務が行われているか知ってるかい?」
「事務作業と、対外業務でしょ? 業者さんや偉い人が時々来てるって」
「その通りだね。外の世界と繋がっている区画だから僕たち人造人間が立ち入るのはまだ許可されていないんだけどね」
廊下の天井には、見通せない範囲などないかのように監視カメラがたくさん設置されている。漆黒のレンズが、まるで睨みつけているようだ。
「ここだね、運搬物点検室。家具や薬なんかもここで一度点検されて、ここから人造人間製造区画や僕たちのお家にもモノが運ばれてくるんだ。あ、君が昨日転ばせたスタッフだね」
ファストが指で指した先には、膝がやられているのか歩き方がぎこちないスタッフがいる。スタッフはジルカレたちを視界に捉えると、チッと舌打ちをして離れていった。
「あ、トゥレルさん……」
その場を離れたスタッフの名をジルカレが口にする。自分が犯した罪の被害者を目撃して、彼女の罪悪感が名前を呼ばずにはいられなくなったのだ」
「足、よろよろだったねぇ」
ジルカレの心の罪悪感を一気に膨らませるように、ファストが無遠慮に言い放った。視線を泳がせるジルカレに対して、ファストがほかのスタッフを指し示して業務内容を説明する。
「あ、今あのスタッフが隠しカメラを取り除いたよ。隠し撮りされなくて済むね。 こっちは培養槽の薬剤に不純物がないか調べているようだね」
(ここのみんながやっている仕事、ぜんぶわたちたちが産まれる時から今までの全てを確実に支えている業務だったんだ)
【長男】ファストが朗らかに語る一方で、ジルカレは表情が暗くすっかり黙ってしまった。
「次いくよ。いま、人造人間製造にまつわる法を作った議員があいさつに来てるから特別に会いに行こう」
と、ファストがジルカレを引っ張る。応接室に入ったジルカレは、ミルバル博士と会話している見知らぬ紳士を目撃する。紳士はジルカレらを見るや立ち上がって近づいていく。
「やあファスト君、おっきくなったねえ! でこの可愛らしい少女がジルカレちゃんか。ミルバル先生から話は聞いてるよ」
ジルカレがビクっと体を震わせる。昨日のいたずらのことをこの紳士に聞かれたのではないかと心配になっているのだった。
「昨日のことは間違いなく話してないから安心しろ。あと、この方はオルミア先生な」
ファストがジルカレに耳打ちする。彼女はいくらか安心はできたが、未だに罪悪感が残っている。
「ごめんな、まだこの施設の外に出せなくてな。私がジルカレちゃんたちが外の世界でも大手を振って歩けるように頑張るからな」
紳士の真摯な眼差しの奥に、【長男】ファストのものと似たような人間性の強さをジルカレは感じた。そして、ジルカレはこうも思うのだった。
(わたちたちが今生きている狭い箱庭は、無数の人たちの努力の積み重なりが土台になって支えているんだ)
ファストと紳士が会話する傍ら、ジルカレの瞳から涙がこぼれそうになる。それを見計らったファストが会話を切り上げる。
「私たちは挨拶に来ただけですので、これで失礼させていただきます」
丁寧な礼をして応接室を去るふたり。立ち入り禁止区画から居住棟に戻る廊下でファストが話しかける。
「どうやら、心動かされるものがあったらしいな」
ジルカレは何も言わず、ただ瞳に涙を浮かべている。
「その胸に抱いている言葉は、お前が傷つけてしまったトゥレルさんに言ってやれ」
「うん……」
うなずいた後、我慢できなくなってジルカレは大泣きしだしてしまった。ファストは何も言わず、妹をおんぶして彼らの家に帰った。
【三男と次女の場合】
時は戻って、夜になる。【次女】ドゥーレはいつも通り、【長女】のいる集中治療室のガラスの向こうで物思いにふけっている。そこへ思いがけぬ来客が現れる。
「ん? ……ロテ、なぜここに?」
【三男】ロテが現れてきたのだ。【長女】のところに来る兄妹といえば他に【長男】ファストが時々様子を見に来るくらいだから、ロテが来たのはドゥーレにとって意外だったのだ。
「話しておきたいことがあって」
と、ロテが廊下の手すりにもたれかかる。その手元にはカメラがある。
「俺さ、見たんだよね。ジルカレがファスト兄さんに連れられて立ち入り禁止区画に入るのを」
カメラの画面を起動して、問題の写真をドゥーレに見せる。それを見たドゥーレは、唖然とした。そして、彼女の感情を受信した彼女のAIが妙な制動を始める。
「え、なんで……? 私ですら一度も入ったこともないのに……どうして……?」
「僕も意外だったよ。いろいろと思慮深い兄さんのことだから何かあると思うけど、まさかジルカレがってなったなぁ」
「……それってつまり、お兄ちゃんはジルカレのほうが助けになるって思ってるってこと? 私よりも? ……なんでよ、問題児のくせに……」
ドゥーレの中で、兄に対する不信感と妹に対する嫉妬心がAIによって膨らんでいく。
「私の知らない大人の世界を、どうしてジルカレが……あんなちんちくりん、頼りになるわけないじゃん……」
嫉妬に駆られて、指の爪を噛みむしるドゥーレ。
「姉さんは本当に、ファスト兄さんの助けになりたいんだね」
とロテが言う。
「ずっと手伝うって言ってきたのに、あの立ち入り禁止区画の先にお兄ちゃんは私を立ち入らせなかった……でもジルカレは選ばれた、納得できない……」
「そんなに言うなら、明日ジルカレと話せば? 話し合いの場は僕がつくるから」
感情が重くなるドゥーレに対してロテが提案する。
「ああ、そうしろ。聞きたいことは山ほどあるんだ」
口調が荒くなったドゥーレはそこで話を切り上げ、居住棟へと戻っていった。ひとりその場に残ったロテはつぶやく。
「まさかジルカレが兄に諭されるとは予想外だったが、これはこれでうまくいきそうだな」
彼も居住棟に戻ろうとして、何かを思い出したようにカメラを集中治療室のほうに向ける。周りにはガラスの向こうの【長女】以外誰もいない。
「この施設最大の”過ち”の姿を捉えておかないとな」
カメラが、集中治療室の中を撮った。