第3話 AI少女【五女】ジルカレ
最初の人造人間が造られてから7年。人造人間は最初の男を含めて男3人、女5人の計8人が作られた。
未だに彼らの存在は月1のレポートの公表以外は極秘扱いで、世間との接触はまだなかった。というのも、反対派の運動が未だに激しく政府側がタイミングを取りそこねているせいである。
ともかく、8人の【兄妹】は観察施設で仲良く一緒に暮らし、勉強し、遊んでいる。だが、兄妹の中に問題児がいたのだ……。
【五女、ジルカレの場合】
「えいっ!」
とオレンジ髪の8歳児のような少女が大人のスタッフの膝に蹴りを入れる。廊下でスタッフが転倒する。
「まちやがれ、このやろおーーーっ!」
他のマッチョスタッフが相手は貴重な人造人間であることを忘れて怒りを露わにし、捕まえようとする。だが、
「へっへーん。人間ごときに捕まんないよーだ」
とばかりにスタッフの掴んでくる手を避ける避ける。ついには、両手で捕まえに来た手の内側に潜ってスタッフの体勢を崩し、転倒させる。
「いっで〜……まちやがれー!」
捨て台詞を無視して少女が窓を出て庭へ逃走する。そしてべろべろばあ。
「ジルカレ、またやったのか」
少女の背後から声がする。そこには、すっかり大人びた青年がいる。最初に作られた人造人間、【長男】”ファスト”だ。”ジルカレ”とは、5女である彼女の名前である。
「だって、あいつらとろいくせに注射するって生意気だもん!」
「ジルカレ。君にはAIが搭載されている分他の人より強いから抑えなきゃいけないって教えたのを忘れた?」
「べー! お兄もAI無いでしょ!お兄は機械いれただけー!言われたくない!」
と、ジルカレは逃げ去ってしまった。
「はぁ……。仕方ない。後でAI積んでる次男以降か次女以降にあいつの確保を頼むか」
ファストがため息をついて、施設内限定の通信端末を取り出し、他の兄妹たちに依頼を出す。
程なくして、ジルカレが縄でぐるぐる巻きにされて戻ってきた。ここは、懇談室だ。
「べーーーっ! いじわるいじわる! みんなしてわたちを追い込み漁みたいに取り囲むなんてずるいぞーーー!」
ジルカレを取り囲む兄妹たちは、一斉にため息をついた。【次女】ドゥーレがジルカレの頭を掴んで顔を近づける。
「あんたさ、あまりふざけんな。私達がいい印象を他の人にもってくれねえと困るんだよ」
さすがに【次女】ドゥーレの乱暴なやり方を見兼ねたか【次男】ファングが手を引き剥がす。
「姉ちゃん、そこまでにしてくれよ。AIを載せられちまったガキだ、こうなるのも仕方ないだろう」
【次男】ファングの言い方は、しかし姉の【次女】以上に刺々しかった。
「だってだって!! 2週に1回の注射とか週2回の身体テスト、毎日のお勉強!! いやだよおーーー!もーーーいやーーー!」
とジルカレが喚き散らす。
「注射はともかくそれ以外はふつうでしょ……」
と、ジルカレとは遺伝子情報を同じくする双子【四女】エルカレがぽつりと漏らす。
「注射!! 注射さえなければまあスタッフどもを許してやらなくはないけどねー?」
と急にふんぞり返るジルカレ。その傲慢な態度に他の兄妹たちが怒鳴りそうになったところを【長男】ファストが手で制する。
「この件は、僕に任せてくれないか」
海を思わせる青い静謐な瞳が兄妹たちを見回すだけで、他の兄妹たちはすっかり黙ってしまった。大海を閉じ込めたような瞳は、兄妹たちにとっては抗いがたい威力を秘めていた。
「あとで僕の部屋に来るんだ、ジルカレ。必ず頭を冷やしてから、ね」
さすがのジルカレも、【長男】の微笑みの眼差しの向こう側に荒ぶる海のような怒りを感じてしまって、それ以上は何も言えなかった。
頭を冷やしたジルカレが、おそるおそる【長男】ファストの部屋に入る。
「やあジルカレ、ソファに座って一緒にアニメでも見るか」
(お兄が大事な話をする前ぶりはいつもこうなんだから)
それでも逆らえず、やむなくファストから距離を作るようにソファの端っこに座る。だがファストは遠慮なくジルカレのそばに寄っていく。
ジルカレはやむ無しと腹をくくり、幼児向けのDVDアニメに目を向けながらお兄から話が切り出されるのを待つ。
「ジルカレ」
びくん、とジルカレが身を震わせた。
「スタッフの人たちになんであんなことをしたの」
声に怒気が混じっている。アニメが気にならなくなるくらいの迫力を感じる。でも、スタッフたちにちょっかいをかけたのにはジルカレなりの理由があったのだ。
「あいつら、私たちより頭悪くてとろいくせに偉そうだもん。この前だって私の出した問題に答えられなかったくせに私にテストをやらせようとするんだもん!」
「ああ、この前のテスト中に君が解答用紙に問題を書いたあれか」
そのテストはジルカレが解答しなかったため0点だったが、ジルカレの出した問題に回答したスタッフたちもまた0点だったのだ。
「血の抜き取りは痛いわ、無意味なことで時間を拘束されるわ、自由なようでほとんど自由がないわ。ニンゲンたちの言うこと聞いてるだけでソン!」
その部分に関しては、ファストは何も反論しなかった。AIを入れず、ただ生体機械による処理速度と記憶容量の大幅上昇の恩恵のみをあずかっているだけのファストでさえ、常人よりはるかに能力が高いのだから。
だが、ファストにはミルバル博士をはじめとした大人たちに反抗するような気持ちは一片もない。
「彼らは僕たちを作ってくれたんだ、恩を仇で返すようなまねは僕は嫌いだな」
とファストが妹に微笑みながら言う。その微笑みに怯んだかジルカレは兄から離れるようにソファーの更に端っこに尻の端っこを乗せて座るだけになった。
「それにジルカレ、君も分かっているからこそ反乱にならない程度にいたずらしてるだけなんだろ?」
その言葉にジルカレは少しだけ瞳が揺れた。
(やっぱり、お兄には敵わないな)
と、唇の端を緩める。
「そりゃわたちだってわかってるよ。大人たちが外の世界について教える時だけは真面目に聞くもん。わたちたちのことを良く思ってない人がたくさんいて、少しでも問題が起きたらこの施設もわたちたちの命も危ない……」
ジルカレが少ししおらしくなる。だが、その直後に目をぎらつかせた。
「でも、今のわたちたちの周りに縛られてるっていう状況が圧倒的に気に入らない。自分より下のものに支配されてるのが気に入らない!」
それがジルカレの本音だ。彼女に見える世界では、普通の人間を含めた世界すべてがスローモーションに見えていて仕方ないのだ。すべてが遅い世界の中で兄妹たちだけが普通の早さで動いているのだ。
「それでほかの人を傷つけていい話になるの?」
よく研いだ刃物のような切れ味で、ファストの言葉がジルカレに突き刺さって少女が怯む。
「君に転ばされたスタッフさん、血が出てたよ」
さらに言葉の追撃がジルカレに襲い掛かる。ジルカレの中で罪悪感が膨らむ。
「不満の出し方として人を傷つけるのは、良くない。ますます君の思いを誰にも聞いてもらえなくなるよ」
トドメにファストなりの結論を突き出される。ジルカレは、もはやうなずくほかなかった。
(そんなことはわかってるけど、でも先に手が出ちゃうんだ)
ジルカレはまだ子供。大人たちより明晰な頭ではわかっていても感情がそれを許さない。体中に溜め込まれた不満が体の外に逃げ場を求めるせいで、彼女は凶行に走ってしまうのだ。
「今日はここまでにしようか」
とファストがテレビを切る。話のおしまいの合図だ。
「時間をかけてじっくり考えるといい。明日、一緒に謝りにいこう」
「はい」
促されてジルカレが部屋を出る。とぼとぼ、と彼女の部屋に戻る途中で【三男】ロテとばったり会った。
「ジルカレ、またやったのかい?」
【三男】ロテは読書家で、兄妹たちの喧騒からはいつもやや距離を置いている。ジルカレ捕縛大作戦にも、彼と【長女】は参加していなかった。
「だからなぁに?」
いつもはあまり関わりのないロテも今日は責めてくるのかとジルカレは身構えた。
「いや、君の不満は僕もよくわかる。考えなしの行動にでるのは褒められたものではないけどね」
どっちつかずの曖昧な態度の返答。とりあえず責められているわけではないと、ジルカレはほっとした。
「でも、私の気持ちがよくわかるってなぁに? ロテ兄って周りに興味のあるタイプとは思えないけど?」
「僕はいろいろなものを知りたいのさ。正直言うと施設内の本だけじゃ物足りなくて、外に行って様々な実物を見聞きしたいんだ。だが、それが叶わなくちゃあね」
「ロテ兄もいつも外に出たいって思ってるの?」
「うん。僕はミルバル博士やオデルさん、ファスト兄さんにいつも頼んでいるんだけど聞いてくれないんだ」
(ロテ兄はわたちと同類だったんだ……!)
本心を話し合える相手ができて、ジルカレはうれしくなった。
「ねえ、ジルカレ。僕に考えがあるんだ。だけど、そのためにはまず君がおとなしくしていないと。ファスト兄さんからも言われただろう?」
「……うん!」
考え、が何なのかは分からなかったが、ジルカレはロテを味方だと認めたので一応いうことを聞くことにした。
「じゃあわたちもう寝るからね、またねーっ」
とジルカレはロテに手を振って自室へと向かった。ジルカレがその場を離れてからしばらくして、【三男】ロテが不穏な言葉を呟く。
「……ふふ、ジルカレはちょろいな……」
この時、兄妹たちは彼らにまつわる大事件が起こるのをまだ知らなかった。ただ一人を除いては。