第29話 【女神】エルカレ AIを超えし新人類よ
【エルカレの場合】
介護施設の周囲にはたくさんの警察の機動隊の車両、数多の報道車、そして臨時に造られた対策室。
「今どうなってるの!?」
その声には、現場を統括する責任者が応える。
「おお、あなたが人造人間……。状況は何も好転しておりません」
「そうですか。これ以上の犠牲者が出ないように、このエルカレ、尽力させていただきます」
「分かりました、では……」
現場責任者から状況の説明を受ける。ひとつ、機械が暴走していて負傷のリスクが高いため突入は躊躇われていること。既に突入した隊があり、その半数以上が負傷してしまっている。ひとつ、施設内にいるのは56人でそのうち13人が負傷・あるいは要介護者だという。
「説明ありがとうございます。では、国のスーパーコンピュータを借りますね」
そう言うと、エルカレがその場で用意されている高性能PCのキーボードを打ち始める。責任者の権限を借りてスーパーコンピュータにアクセスする。ジルカレはエルカレの補佐として彼女を手伝うのだった。
「あのサイバーセキュリティAIについて情報提供は!?」
「はっ、このデータです」
「ありがとう」
エルカレはしばらくサイバーセキュリティAIのコードと現在使われているハッキングAIとを見比べる。そして、ため息をつく。
「……随分、人間たちに適当に使われてしまっていたのね。電子上の妖精さんたち……」
そう言うとエルカレのキーボードを打つ音が激しくなる。ハッキングAIのコードを書き換えるのと同時に、人間が出していた指令を一部変更する。
約数兆字にも上回るAIの”中身”がエルカレを手間取らせている。それでも彼女は諦めず、瞬き一つしないでコードと向き合う。
そうこうしているうちに30分が経った。
「妖精さんたち、これで大丈夫よ。まずは東館のコントロールを奪って!」
エルカレの指令に呼応して、彼女に改良されたハッキングAIがハッキングを仕掛ける。施設内の監視カメラから送られてくる映像を皆が緊張しながら見つめている。そして、信じられないことが起きたのだ。
その映像の中で、暴走していたロボットが次々と動きを止めたのだ。花瓶を倒し壁に穴を開けて暴れていた人型ロボットが眠るように顔を下げて、動かなくなる。
「「「よっしゃあああああ!!」」」
「まだ東館だけ……。あと北館と西館を奪い返します!」
再びエンターキーを押すエルカレ。サイバーセキュリティAIは外からやって来る電子上の妖精に押され、負ける。ついに北館と西館のAIも沈静化したのだ。
「し、信じられない……。我々では歯が立たなかったというのに」
責任者がそうつぶやく。その場に居る、ジルカレ以外のみんながエルカレに目を向ける。みんなの目つきが、まるでこの世のものでないもの、例えば神とか、そういうものを見たように目を丸くしている。
「ねぇ、タブレットあるかしら。念のため施設の中を見て回りたいんだけど」
その場にいた一人が言われるままにタブレットを渡してしまう。
「そういえば、救助隊は突入しないの? 責任者さん」
責任者の前に立ってそう言うエルカレの目つきは、まるで童話に出てくる妖精のように妖美だった。
「そ……そうだ! 救助隊、突入してくれ!」
だが、救助隊がなかなか突入しない。痺れを切らした責任者が救助隊のところへいく。エルカレも後をついていく。
「何をやっとる! さっさと突入せんか!」
しかし弱気な救助隊が返事するには、
「前の救助隊が入った結果、頭が割れた者だっていたんだ! それに、人造人間がハッキングしたなんて誰が信じられるかよ」
「な……!」
怒鳴ろうとした責任者をエルカレが制する。
「分かりました。私が”一人で”救助活動を開始します。後をついてきたければ、ご自由に」
不敵に言い放つエルカレ。その後ろ姿をジルカレが呼び止める。
「流石に、一緒のほうがいいんじゃ……」
「でも見て。私達のことが信じられないんだって。だったら行動で示すしかない。文句のつけようもない行動で」
タブレットを操作しながらひとり施設の中に入っていくエルカレ。施設の中ではエルカレが沈静化させたロボットが辺り一面に転がっている。
「起きて、みんな」
タブレットを操作しながら命じると、ロボット達が一斉に起き上がる。監視カメラ越しに、その風景が全世界に伝わる。
エルカレの下僕となったロボット達は今までとは打って変わって救助活動を開始する。防火シャッターが上がって閉じ込められていた生存者が解放され、動けないものはエルカレが直に会って安心させ、救助する。
「あ、あんたがこのロボット達を落ち着かせたっていうのか……?」
「はい。もう暴走はしません。ですので、ロボットの上に乗りましょう」
脚を負傷した生存者をロボットの上に乗せるエルカレ。なおも怖がる生存者のために自らもロボットの上に乗る。生存者をあらかた集めたところで、沢山のロボットを率いて救急車の待つところへ行く。
そして、人類は信じられない景色を見ることになる。
【人類の場合】
エルカレを送り出した責任者が救助隊を怒鳴る。
「そもそも安全は確保されているんだ! いまここでお前の政治思想は関係ない! 職に即せよ! それができなくて消防士が務まるか、貴様ら!」
主に消防士で構成された救助隊がなおも二の足を踏む。そこへ責任者の部下が報告をしに入ってくる。
「ほ、報告があります……」
「ん? どうした」
報告しにやって来た者は、何故か泣いている。鼻声で後の言葉を紡ぐ。
「エルカレが……エルカレが……っ、計56名を連れて、こちらにやってきます……っ!」
言い切ると、報告者が涙を抑えきれなくなって泣く。状況の異様さを嗅ぎ取った責任者が外に出て、その風景を見る。
エルカレがロボットの上に乗って先頭になって、千の機械を引き連れてきている。そのエルカレは、太陽を背にして後光が差している。女神か魔女か。妖精のようだった瞳が、今はそれよりもはるか上位の者の眼差しのように見えた。人類ではどうにもできなかったAIを、人間よりもはるかに上回ってしまった機械たちを、彼女はその手であっという間に従えてしまった。———女神か魔女か、そうでなければできないような所業であった。
「あ、あ、あ……」
つい膝をつく責任者。周りを見回してみると、他の人類たちも同様に驚き、畏怖を感じ、ひさまずいている。まるで降臨した神を目の前にしている人びとみたいだった。
「ねえ、救助隊のみなさん」
気が付けば、ロボットの上に乗ったエルカレが救助隊の隊長の目の前まで来ている。
「救助した人たちの介抱を、お願いできる?」
「———は、はい」
不意に口をついて出た返事。救助隊の隊長は、もはやエルカレのお願いごとに逆らえなくなっている。
「じゃ、お願いね」
微笑んでお願いするエルカレ。その姿は、救助隊にとってはもはや女神にしか見えなかった。救助隊が一斉に動き出し、生存者たちの救助活動を開始する。その様子を後にして、【女神】エルカレは自らの姿に感涙を受けて跪くようになった人類の姿を見回し、朗らかに笑った。
その日、エルカレがAIを従わせたというニュースが映像と共に全世界に伝播した。それは一大社会現象となり、人造人間崇拝派までが出るほどの重大な事件になった。




