第19話 【ネガステル】と【ジルカレ】
【ネガステルの場合】
私は大統領の娘、ネガステル・カークマン。今は、潜入がバレてホテルの一室に人造人間08さんと閉じ込められてるの。08さんは生意気で手が早い上にお口の汚い方ですわ。お互い最大限離れるため、部屋の対角線上の隅っこにそれぞれ離れてうずくまって座っていますわ。でも、ここに入れられてから10分ほどでしょうか、沈黙が重くて苦しいですわ。何か音でもしないと居心地の悪さに押しつぶされそう。
……そういえば、彼女はさっき何か別の名前で呼ばれていたように思いますわ。それだけ知っておいても、まあいいでしょう。この沈黙の苦しさも紛らわしたいところですし。
「あなた、さっき他の人造人間さんたちやセンターのお方から別の名前で呼ばれてませんでしたか? えーと、じ、ジーカレ?」
話しかけると08さんが一瞬こちらを振り向きましたが、そのあと隅っこに視線を戻してしまいました。話しかけても無駄かと思い、部屋に置いてある宗教本の類に手を伸ばそうとすると彼女の声がしました。
「わたちはジルカレ。そう自分に名付けた。正式な名前は人造人間08号だけど、センターの中では自分につけた名前をお互い呼び合ってるの」
「そうなのね。ジルカレ……。ジルカレ。わかったわ、これからはあなたのことをジルカレって呼ぶわ」
「そう。ありがとう」
沈黙。そのあとの会話が続かない。何か話すことがないか考えてみたけれど、どの話題がふさわしいのか分からない。そもそも私はジルカレたち人造人間のことをあまり知らない。だから彼女が何を知っているかもわからない。どうしよう、何を話せばいいんだろう。
「そういえば、ネガステルちゃんってどうしてここにきたの?」
【ジルカレの場合】
名前を聞かれて、答えた。会話はそれで充分だったはずなのに、余計に沈黙が痛くなった。この部屋にひとりだけならどんなに楽だっただろうか。また、その相手がエルカレだったら気遣いなくのんびりできたのに。知らない人と一緒にいるのは、つらい。
そういえば、このひとは父親に黙って潜入してきてたんだ。なんでそんなことしたんだろう。聞いてみるだけでも、気分は紛れるだろう。
「そういえば、ネガステルちゃんってどうしてここにきたの?」
「あら、そうね。単純にあなたたちのことを見に来ただけよ」
「なら、お父様に頼めば良かったのに。どうして黙って来てたの?」
「頼んでもいつも断られるんですの。基本そうなの。たまの政治的な式典のとき以外は、同行したくても断られちゃうの」
「ふーん……。あれ?」
この子、大統領との同行をいつも頼んでいる割にはまるで大統領と一緒にいることが目的じゃないみたい。今回だって、私たちを見に来ることが目的になってる。
「ねえ、どうしてお父様と一緒に行きたいの?」
ネガステルが首を振って答える。
「正確には……お父様が接している相手を知りたいのですわ」
「そうなんだ……どうして?」
「わたくしのお父様は大統領でしょ。だから、いつもいつも重大な決断をしなければならないの。で、わたくしは今まで数は少ないけれどほかの人に怒られているお父様を見たことがあるの。……あの姿は痛々しかったですわ」
軽く話を振ったつもりだったが、どうやら重い話になるみたい。でも沈黙よりはマシだし、このまま聞いてみるか。
「わたくしのお父様は大学は経営学の専攻でしたわ。でもそれ以外は、言い方は悪いですが素人ですわ。ですから、いつも正しい決断をできるはずがありません」
そらそうだろうな、とわたちは思った。
「分かっていますの、誰かに怒られるのもお父様の仕事の一つだって。でもわたくしはそんなの耐えられないの。だから、せめてお父様の扱っている政策だけは正しく在ってほしいんですの!」
ネガステルが急に立ち、泣きそうな顔でわたちに視線を向けてきている。……この子の言いたいことはわかったけど、なんかムカついてきた。
「ねえジルカレちゃん、教えてくださいまし。あなた方【人造人間】は、正しいのですか!?」
キレた。言葉が気に食わない。殴りたい。でも殴るのはコミュニケーションじゃない。わたちは、今目の前にいる少女とちゃんとコミュニケーションを取らなきゃいけない。そう思って、彼女の思いにわたちなりに応えることにする。
「そういうことなら、答えることはできない。ていうか、その前に言わせてよね、ネガステルちゃん」
わたちも立ち、今度はネガステルに歩き寄る。怒りを眼差しに込めて、彼女に真っすぐ向き合う。
「あなた、ちゃんとわたちたちに向き合ってないのよね」
ビシッと指さしながら、思っていたことを言う。———この子は、お父様を通じてしか【兄妹たち】のことを見ていない。それが耐え難く、わたちの逆鱗に触れたのだ。
「お父様への思いは分かったわ。でも、今のあなたはわたちたちのことをお父様にとってただちいかどうかしか考えていない! そんな目でわたちたちは見られたくない!」
わたちの拳を、ネガステルの胸元にそっと当てる。
「お父様なんて色眼鏡を外して、あなたの目で直とわたちたちをみなさい!」
衝撃を受けたのか、ネガステルちゃんは目を丸くして口をあんぐり開けている。わたちは続ける。
「お父様にとってただちいかどうか判断するのはいい。けど、せめてそのまえにあなたにとってただちいかどうか考えるべきよね!」
フー、フーと呼気が漏れる。心臓がバクバクする。わたちが心の底から怒ったのなんてはぢめてのことだ。
しばらく見つめ合っていると、ネガステルちゃんが少し微笑み、それから深呼吸をして。
「ごめんなさい、ジルカレちゃん」
深々と頭を下げてきた。
【ネガステルの場合】
「お父様なんて色眼鏡を外して、あなたの目で直とわたちたちをみなさい!」
ジルカレちゃんが怒る。まるで言葉で頭を殴られるようだ。
「お父様にとってただちいかどうか判断するのはいい。けど、せめてそのまえにあなたにとってただちいかどうか考えるべきよね!」
言い返せない。彼女が正しい。彼女が言葉を投げつけてくるたびに私はいちいちそのすべてを受け止めて衝撃を受ける。頭が真っ白になりそうだ。
ジルカレちゃんの言葉がやみ、彼女はただ荒くなった息を漏らしながら私を睨みつけてきている。
色眼鏡を外して私の目で見ろ、か。私は確かに私の目ではなくてお父様を通した色眼鏡で彼女ら人造人間たちを見ていた。お父様にとって正しいか正しくないか、それだけを考えていた。
まったく。私だって政治家の娘、大統領の娘という名前の色眼鏡で見られたくなかったのに。今まで私がされてきたことと同じことを彼女たちにしようとしていた。私は、バカだな。
少し頬が緩んだ気がした。ジルカレちゃんは人造人間だけど、真っすぐ私に向かい合ってくれた。色眼鏡のない、きれいな瞳で。その事実が少しだけ嬉しい。でも頭が真っ白だから深呼吸して脳内を整理して、腰を折って頭を下げる。
「ごめんなさい、ジルカレちゃん」
今度はジルカレちゃんが面食らったような顔になる。すぐ謝罪されるとは思っていなかったようだ。
「色眼鏡で見られるなんて嫌なことなのに、私、されては嫌なことをあなたにしてしまった。ごめんなさい」
誠実に、深々と頭を避ける。
「だから、これからはお父様云々は無し。ちゃんと私の意志で、あなたに向き合うわ」
今まで、私のことを色眼鏡でじゃなく自分の目で見てくれた人がどれだけいただろうか。目の前の少女は、たしかにその数少ないひとりなのだ。———だから、少し、好きになった。
【ジルカレの場合】
「色眼鏡で見られるなんて嫌なことなのに、私、されては嫌なことをあなたにしてしまった。ごめんなさい」
そうか。この子は今まで大統領の娘として何を言われてきたんだろう。そうするうちに他人をも色眼鏡を通して見るようになってしまったんだろう。そんな彼女をちゃんとコミュニケーションで説得できた。コミュニケーションって、すごい。ちからではなく、おはなちで私とネガステルちゃんはたちかにつながったのだ。そう胸を躍らせていると、【私】にとってちょっとびっくりするような言葉が飛んできた。
「だから、これからはお父様云々は無し。ちゃんと私の意志で、あなたに向き合うわ」
わたち? あなたたちではなく、あなた?
目の前の栗毛の少女が、わたちに微笑みかけてくる。ああ、そうなんだ。いまこの部屋でネガステルちゃんと話して、ほんとうにネガステルちゃんの心とわたちの心が繋がったんだ。少し涙が流れて、鼻水が出そうになる。
「うん、そうだね。これからよろしくね、ネガステルちゃん」
【ネガステルとジルカレの場合】
ジルカレが手を差し伸べる。差し伸べられた手をネガステルが握る。ぎゅっと握りしめ合って、心の絆を紡ぎ合う。ここに、ひとつの平和がうまれたのだ。
部屋の外で待機していた、2人の筋肉の大人が涙を流しながら拍手していた。




