第2話 はじまりのあなたから それと、久遠なる旅路のはじまり
【最初に造られた人造人間の場合】
目が開く。
ここは部屋の中のようだ。色々なものが見える。換気扇の音が聞こえる。寒くも暑くも無い絶妙な気温。
肌ざわりのカサカサする服と肌の触れ合いが気持ち悪い。
辺りを見回すと、人間1人は入れそうな、巨大な円筒状のガラスの筒が機械に繋がれて設置されている。
(そういえば、僕は何者だろう? ここはどこだろう?)
そこまで考えて、僕はいま、椅子に座っていることに気が付く。
(この椅子、という物に腰かけている状態を、座る、というのだったかな……?)
知識は膨大にある。だけど、体験が無い。0に等しい。辞書をなぞるだけでは文章に込められた意味を理解できないように、僕は行為とその名前を結びつけるのが難しい。
部屋のドアが開いて、白衣を着た2人の男が入ってきた。2人とも手に資料を持ち、資料と僕を見比べながら何やら話し合っている。
そのうちにメガネをかけている方の男が僕と目が合った。
「やあ01君、やっと目覚めたね。私はミルバル博士。君を作った人だよ」
(この人が、僕を作った……? いや、そもそも人間は産まれるもののはず……)
その点を疑問に思って口に出そうとする。だが、
「ひぉういてぇ、うらめたれてはいつかぁ」
ハッとして、僕は自分の口を手で覆った。あまりにも口が下手すぎた。
「声の出し方は練習しよう。私の言ってることはわかるね? わかるならうなずいてほしい」
うなずくという行為とは何だったのか少し考えて理解し、あごを数回上下運動する。
「うーん、まあ造られたばかりだから拙いところがあるのは仕方ないね。君も自己紹介したまえよ」
ミルバル博士が中年太りの男に促す。
「こんにちは。オデルといいます。私は君たちのお世話をする係の人です。生活面は私がサポートします」
この人にお世話になるのか、と思った。
(どうやら僕は特殊な人間らしい。今のところ、四肢や胴体はあるから人間に変わりないはず。……そもそも普通の人間なんて見たことあったか?)
普通の人間に関する知識が文字データでしか記憶にない。ますます混乱する。
(ミルバル博士の言う通り、僕は造られたとでもいうのか?)
考えても仕方ないので、とにかく現状を理解することに努める。
「じゃあ、私についておいで。施設を案内するよ」
オデル氏の言う通りに後についていこうとする。立ち上がって歩こうとして、いきなり転んでしまった。
「あ~! 大丈夫? 僕の手につかまって歩こう?」
歩く、という行為も未体験だ。最初はオデル氏の腕に捕まっても足が震えて僅かずつしか歩けなかったが、徐々に慣れて腕を掴みながらならオデル氏と同じように歩けるようになった。
ミルバル博士がオデル氏と僕の後ろについてきている。
食堂やプレイルーム、広大な庭園に草原のように広がる庭。数十棟ある居住室。その他はたくさんの部屋にそれぞれ異なる医療機器があって、辞書の言葉をなぞるなら病院みたいだ。
はっきり言って、この人造人間製造センターという施設は広い。広すぎる。そのほとんどが、まだ使われていなかったようにみえる。
その反対に今までたくさん使われた痕跡のある部屋は、彼らが”人造人間製造実験区画”と呼んでいる部屋たちだ。
「では、ここが今日から君が過ごす部屋です」
オデル氏にそういわれて通されたのは、居住室のひとつだ。ソファがあり、テレビがあり、ベッドがあり。トイレと風呂は別になっている。
(この気持ちを慣用句で言い表すなら、一城の主になったよう、というのかな)
「お、気に入ったかな?」
唇が緩んでいたのをオデル氏に見破られたらしい。
「じゃあ、あとは任せていいかな? オデルさん」
「はい、博士。こちらは任せておいてください」
同行していたミルバル博士が部屋を出、オデル氏とふたりきりになる。
「じゃあ、文字は読めると思うから生活に当たってのルールブックを読んでおいて」
とホッチキスでまとめられた紙を渡された。
(……? 外出不可? 外界の情報はプロジェクト進行度に伴い限定的に解除? これって、今はテレビは見れなくてパソコンはインターネットに繋げられないってことか!?)
他にも細かいルールはあったが、外の情報を入手できないということのショックが大きかった。
オデル氏に理由を説明してもらおうと、問題の文章を指でなぞって見せつける。するとオデル氏は申し訳なさそうな顔をして、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ごめんね。君たちの置かれている状況は非常にデリケートなんだ。だから君が外の世界を知って傷付くかもしれないし、外の世界でも君たちのことをよく思わない人がたくさんいるんだ。普通の人間は母から産まれる自然な子供なんだけど、君の場合は産まれる前から改造されて培養槽から産まれた最初の人間だからね」
「ばい、よぉうぉ……?」
僕が最初に目覚めた部屋にあった巨大な円筒のガラス。あれは僕の培養槽だったのか。
(———僕は、人間じゃなかったんだ。人造人間なんだったんだ……)
でも、そう考えれば今までの全てに説明がつく。身体は七歳児のようなのにまるでない記憶。世間から隔離された施設。僕を導く知らない白衣の男たち。これらすべては僕が人造人間たる所以だったのだ。
この事実を知って、僕は手が震えた。頬を涙が伝った。
「だいじょうぶ? ベッドに横たわってもいいよ?」
その厚意に甘えることにして、ベッドの中に潜る。ふいに、今まで抑えてきた不安な気持ちが溢れてきた。
「あ”あ”っ、う”っ、う”っ」
たくさん出てくる涙が毛布に大きく染み込み、大きな模様をつくった。
ベッドに横たわったままお腹が鳴ったので起き上がると、まだオデル氏がいる。その彼は腕時計を確認して、私に向き合う。
「今日はあなたが人間としての生活に不慣れなので、今日は一日中近くで見ています。ですが、明日からは私はこの部屋には入りません。自分の身の回りは自分でできるようにしましょう」
その後はオデル氏に夕食を渡され、食べ方を教えてもらった。最初は口からポロポロ零れ落ちたが、次第に食べるのが上手くなっていった。コンソメスープと柔らかいミートボール、パンに柔らかく煮られた野菜。どれも食べやすくておいしかった。
やがて就寝時間になり、オデル氏に促されてベッドに横たわる。
(俺はおそらく、彼らのプロジェクトの要。俺の一挙手一投足が彼らの命運を左右する)
右手を上げて見やる。
(重い。まだ俺には信念も覚悟もない。誰とも違う人生を、たったひとりぼっちで歩いて行かなきゃいけないのかなあ?)
と、彼はオデル氏の口ぶりを思い出す。
(そういえば、あの人はこれからもヒトが造られるみたいな言い方だったな)
数多ある居住室がその証拠の一端を示していた。
(なら、俺はその人たちをも引っ張っていかなきゃならない)
ただただ、自分を取り囲む世界そのものが重く感じた。窒息しそうで、押しつぶされそうだった。
(それでも、俺はせめてこの世界に生きる理由を探りたい)
一滴の涙を流しながら、後に【長男】と呼ばれることになる少年は決意するのだった。