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はじめよう

 校舎の影がグラウンドの中央までぼんやりとのびている。

日の光は未だ確かに世界を照らしてはいるが、教室からこぼれる蛍光灯の明かりが少しまぶしく感じられる。

ボールを蹴る爽快な音、子供の遠慮のない澄んだ大声、下校を促すアナウンス。

時折、遊具の軋む音がキィーと泣いては止まりを繰り返している。


 この止まったように優雅な時間を一頻り眺めていると、自分だけが世界からはみ出てしまったかのように思える。

だからだろうか、ふと何気無しに手首に手をやり、脈を確認していた。少し速いがしっかりとリズムを刻んでいる。

大丈夫、生きている。それにしても久しぶりの母校は、感情の乏しい俺であっても充分に心動かすものだったようだ。


「はじめよう」  


 誰にもみつからないように気をつけながら、手提げ鞄を片手に携えて、校門から校舎裏を目指して歩きはじめる。

いざ思い出の場所へ。子供達は遊びに夢中のご様子。都合がいい。だが、念には念をだ。

こそこそと物陰をつたって移動していく。見つかればこのご時世、言い訳のしようもない。

忍び足だったにも関わらず、思いのほか早く到着した。大人と子供の歩幅の違いだろうか。


 校舎裏には昔と同じ位置にグミの木が、ちょうど真ん中に空間を作るように両端に生い茂っている。

なにひとつ変わっていないことに安堵するとともに、グミの臭いが意識を過去へと後退させる。

季節の変わり目、空気の匂いの違いに気づいたときのような、うつろな感覚が全身を巡りだす。

身震いしながらグミの木の間を潜り抜けると、ぽっかりと何もない、薄暗く湿度の高い長方形の空間が広がる。


 学校という特殊な環境にありながら、より一層、異質で隔絶された世界。

内外を分かつための境界としてそびえる高い壁と、校舎の壁との両側から挟まれた、日の当た

らない不気味な世界は、つまらない怪談にさえ肝を冷やす児童に堪えられるものではない。


 だが、当時の俺にとって、ここほど優しい場所はなかった。

機能不全の家庭とそれに因る対人能力の未熟さから、どこに居ても孤立していたせいだろう。

 家庭と学び舎の両方から弾かれたものにとっては唯一の逃げ場所だった。

壁に挟まれた暗闇と、自分を取り巻いていた状況は、奇しくも似通っているのだが、

攻撃してくるもののいないという一点だけで、薄気味悪さを覚えずにいられた。


 鞄から携帯折り畳みイスを取り出し

 組み立て

 おそるおそる腰を下ろす。


 やや不安定な足場だが、目的にはそれが丁度いい。アウトドア専門店で時間を掛けて選んだこだわりのイスだ。

 

「自分のつまらない一生でも思い返してみようか」 誰かに話しかけるように独り言を言う。さびしいから。


「えーと、公立の小学校を出て公立の中学校をでて公立の高校を出て三流私大を卒業して

就職氷河期でフリーターにならざるを得なくて、気がついたら日雇い派遣労働者か、ふぅ」

ん、いや、ちょっと待て、いくらなんでも端折りすぎだろ。


「てか、端折ってるのに底辺人生だってハッキリわかるよ、なにこれふざけてんの」

一人ツッコミがむなしく響く。


しかしなんだ、意外に思い返すことなんて出てないもんだあ、思い出したくないことだらけだからかな、ははっ。

今となっちゃ、なにもかもどうでもよくて忘れちゃってるよ。そんなもんか。そんなもんだな。

記憶に残っていたのは、ここだけで、他には何もない、なにも・・・


 再度、鞄を開ける。丈夫な麻縄とミネラルウォーター、それに精神科で処方された睡眠薬のストックを取り出す。

錠剤は一度に飲み込めるように小袋にまとめておいた。数回に分けてミネラルウォーターで流し込む。準備は万端。

後はどこかの木の幹にでも縄をかけて、モヤイ結びで作った輪に首を通し、イスの上に立っていればいい。

 睡眠薬の作用は大体にして20分後から利き始め、1時間後には血中濃度が最大になる。否が応でも意識が飛ぶ。

そこまでくれば、小脳の支配を失った脚が、自動的にイスを蹴飛ばすだろう。寝ている間にキュッだ。


 運命だろうか、いい具合の幹をすぐに発見した。神様、僕を初めて応援してくれるんですね。

短い人生だったけど、ありがとう、ありはろう、ひんああひはひょう!

ろれひゅまわりゃなふなっへひは 


あばばばばばばばばば








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