副会長の算盤
おかげさまで『魔導具師ダリヤはうつむかない』8巻が発売となりました。
活動報告にて購入特典情報・ご感想を頂くスペースをアップしました。
ロセッティ商会紋グッズの予約がカドカワストア様にて始まりました。
どうぞよろしくお願いします!
「うちの会長は、また何をどうやって捕まえ――いや、一体どのようにして、前侯爵当主に効果的な売り込みをなさってきたのか……」
ロセッティ商会の副会長であるイヴァーノは、手元の封筒に頭を抱えていた。
ここは商業ギルド、ロセッティ商会で借りている部屋だ。
机の上、本日も手紙は山であるが、手元の一通は別格である。
純白の封筒にある封蝋は大剣の紋章、赤に銀を散らした凝った色合いだ。
濃灰の三つ揃えの従僕が、この部屋まで直に届けに来た手紙と濃茶の革袋――中身は魔導具、携帯温風器の代金だという。
銀貨で済むはずのそれは、目に眩しい金貨となっていた。
差出人はベルニージ・ドラーツィ。
ドラーツィ侯爵家の前当主、王城騎士団魔物討伐部隊の元副隊長。
手紙には魔物討伐部隊の遠征見学に行った際、寒さに震える老体をダリヤが気遣い、携帯温風器を渡してくれたとして、深い感謝の言葉、そして、家の者達にも使わせてやりたいと追加購入の相談が綴られていた。
流麗な筆跡のインクは黒。
だが、斜めにすると茶赤にも見える。
偽造されづらいこの特殊インクは、高位貴族ならではの物である。
「俺じゃ、まだ手も足も出なさそうだ……」
商業ギルドのジェッダ子爵夫妻にはお世話になってきた。
服飾ギルドのギルド長であるフォルトとは紆余曲折あって友人になった。
魔物討伐部隊の隊長を兼任するグラート、王城財務部のジルドも侯爵当主でお世話になっている。
しかし、彼らはイヴァーノに強く礼儀を求めない。
ある意味、見逃してもらっているようなものだ。
だが、このドラーツィ前侯爵相手にそうはいくまい。
ドラーツィ家はオルディネ建国以来の侯爵家、騎士と魔導師を多く輩出している家柄だ。
奥様は『準備万端』の二つ名を持ち、各種の相談にのる親切なご夫人とのことだが――その人脈の広さは、貴族界隈で知らぬ者はないという。
そして、最も気にかかるのはマルチェラとのことだ。
ロセッティ商会員、そしてスカルファロット家の騎士である彼の血縁上の父は、ベルナルディ・ドラーツィ。ベルニージの末の息子である。
家名を聞いた瞬間、マルチェラに関することかと思ったが、それについては何もなかった。
ダリヤとの出会いが偶然であれば奇跡的だが、おそらくは青い目の氷蜘蛛あたりが糸を引いているのだろう。
グイードの不透明な笑みを思い出し、イヴァーノは季節ではない冷えを感じる。
まだまだ、自分では酒を酌み交わす相手にもなれそうにない。
それにしても、商会が大きくなれば貴族とのやりとりは必須。
自分は息を切らしつつ、階段を駆け上がる思いで覚えているというのに、うちの会長は階を飛ばして上に行く。
それでも、その隣にあると決めた以上、何がなんでもついていくつもりだが。
「おはようございます、イヴァーノ」
ノックの後、明るい声でダリヤが部屋に入ってきた。
「おはようございます、会長。各所からお手紙が来ていますが、最初にこちらをご確認ください」
封蝋付きの封筒と濃茶の革袋。それを見た彼女は、緑の目を丸くした。
「金貨がこんなに?! ドラーツィ様に、金額はちゃんとお伝えしたんですけど……」
多すぎると慌てるダリヤに、つい笑ってしまった。
慌てるのはそこではない気がするのだが。
メーナは最近体重が一目盛り減ったと言っていたが――彼にも、一段強い胃薬を渡すべきかもしれない。
マルチェラに関しては、自分から尋ねるのはやめておこう。
もし相談を受ければ全力で対応するが、知られたくないならこのままでいい。
しかし、慣れぬ騎士の学びにダリヤの護衛、妻は双子を妊娠中――やはりマルチェラへも胃薬は渡すことにする。
「これ、代金の多い分はどうやってお返しすればいいでしょうか?」
「お礼の気持ちですから、これはこのまま受け取りましょう。代わりに、発注の相談を頂いているので、数量割引でこれぐらいは色を付けようかと」
眉を寄せているダリヤの前、算盤をはじきつつ答えると、安堵の吐息が聞こえた。
慌てる方向は違えども、彼女にも新しい胃薬が必要かもしれない――そう思ったとき、ダリヤの手にある大きな布袋に気づいた。
「会長、大きい買い物袋をお持ちのようですが、重いものならメーナに運ばせてください」
「いえ、今日の帰りに、ルチアと刺繍糸を買いに行く予定なんです」
思わず耳が立った。
貴族女性が刺繍、もしやそれは恋を告げるハンカチに刺すものでは? 淡い期待を抱いた自分の前、ダリヤがぴらりと紙を差し出す。
「あの、これをロセッティ商会の『商会紋』にしたいと思ったんですが、イヴァーノはどう思いますか?」
紙に描かれた図柄は、赤い花を背にした黒い犬。
誰がどう見ても思い当たるのは特定の二人である。
イヴァーノはふりかぶってうなずいた。
「じつにいいと思います!」
これを見る限り、ヴォルフは魔物討伐部隊をやめてうちの商会に入り、ダリヤの隣にいてくれるらしい。
思わぬ進みで二人に春が来たか!!
思いきり笑顔になりかけたとき、予測不能の上司は続けた。
「これ、元々はヴォルフの『背縫い』、シャツの背中にする、遠征の安全祈願の刺繍なんです」
「……遠征の、安全祈願、ですか……」
勝手に期待をかけて申し訳なかった。
平時そのままのダリヤとヴォルフだった。
しかし、その安全祈願の刺繍をするのに、大袋がいるほどの糸がいるのか、一体何枚縫うつもりなのか――イヴァーノはわかっていることを確認のように尋ねる。
「会長、今、一番成功させたい魔導具って何ですか?」
「ヴォルフの魔剣です。あ! でも、安全性と守秘には気をつけますし、グイード様にもちゃんと相談していますので!」
慌てつつも、どうか止めないで――懸命な思いが透ける彼女に、イヴァーノはしっかりとうなずく。
「ヴォルフ様のために、頑張ってください」
「はい」
ダリヤは優しくも強い笑顔を自分に返してきた。
彼女の安全を最優先にするならば、魔剣作りは止めろと言うべきだろう。
たとえグイードがいいと言っていても、危険性が完全になくなることはないのだから。
だが、自分はそれをしないと決めている。
ロセッティ会長が決めて進む道を、自分は副会長として協力するだけのこと。
何より――ダリヤとヴォルフ、二人の絆がさらに強く、深くなるのであれば、それでいい。
けれど、予測できる利は急ぎたくなるのも商人というもので――
イヴァーノは唇だけでつぶやきを落とす。
「うちの商会に、今すぐヴォルフ様を引き抜く方法はないものか……」
これに関しては、副会長の算盤でもはじけなかった。




