スカルファロット家四男とバスソルト
・読者様よりTwitterにて「ヴォルダリ生誕祭2022」を開催して頂いております。今話はこちらへの御礼です。ありがとうございます!
「今日は少し冷えますね」
「そうだね」
ダリヤにそう答えながら、ヴォルフは上着を羽織った。
緑の塔で過ごす時間は、いつもとても短く感じられる。
すでに魔導ランタンの灯りがないと足元の見えない玄関で、ヴォルフはドアに手をかける。
これから王城の兵舎に戻り、明日は朝から鍛錬である。
「あ、忘れるところだった!」
小さなつぶやきと共に、ダリヤが玄関から棚へ向かう。
そして、小さなガラス瓶を持って戻ってきた。
中に入っているのは、薄い緑が混ざった白い砂。
グリーンスライムの粉にしては白すぎるし、粒感があるような気がする。
製品に使えない級外品だろうか? そんなことを考えていると、彼女が言葉を続けた。
「ルチアにもらったグリーンローズのバスソルトです。香りがいいので、よかったらヴォルフもどうぞ」
「ありがとう。使わせてもらうよ」
うっかりスライムの粉かと尋ねなくてよかった――
そう思っている自分に、彼女は笑顔で言った。
「とても温まりますよ」
本日の夕食とダリヤとの話を思い返しつつ、ヴォルフは兵舎の自室に戻った。
上着のポケットからガラス瓶を取り出すと、目の前で振る。
蓋を開けると、春の咲き始めの薔薇を思わせる、爽やかで少し甘い香りがした。
不意に思い出されたのは、スカルファロット本邸の庭。
兄達と庭を駆け回っていたとき、白い薔薇が似た香りを風に広げていた。
ヴォルフは興味本位で片端から花の匂いを嗅ぎ、蜜を集めていた蜂に追われることとなった。
自分を抱き上げた二番目の兄が全力疾走で逃げてくれたが――
蜂の怖さを知らなかった自分は、遊んでもらっていると思い、ただ無邪気に喜んでいた。
「すっかり忘れてた……」
母が亡くなってから、ヴォルフは一人、別邸に移った。
疎遠となった家族をできるかぎり思い出さぬよう、関わりをもたぬよう――
それはいつの間にか、優しい思い出にも蓋をすることになっていたらしい。
さらりと揺れるバスソルトの香りに、幼い頃の楽しかった記憶が次々に掘り返される。
一番目の兄、グイードが子馬を見せてくれ、彼との乗馬を楽しみにしていたこと。
二番目の兄、ファビオの膝の上、蜂の解説を聞きつつ、昆虫図鑑を読んでもらったこと。
三番目の兄、エルードと夜犬の背に乗って、走らせる前に転げ落ちたこと。
どうして忘れていたのか。たあいないけれど、自分には大切な思い出で――
次に緑の塔に行ったときはダリヤにこの話をしよう、そう思えた。
せっかくなので、浴槽にこのバスソルトを入れて浸かりたいところだが、兵舎は大浴場。
大風呂なので入浴剤は使えない。
明日にでも別邸に帰って浴槽に入れようか、そう考えたがやめる。
別邸の大きな浴槽には、いつも入浴剤がすでに入っている。
屋敷の者へ、『今日は入浴剤を入れないでくれ』と言えば、気に入らないのかと心配されるかもしれない。
それを否定するには理由を話さなくてはならず――それはちょっと避けたい。
悩んだ結果、兵舎の浴場、一番端のシャワールームに入った。
シャワールームはすべて個室なので、他の人の邪魔にはならない。
ヴォルフは安心して盥にお湯を入れ、グリーンローズのバスソルトを少量入れた。
これならば数回に分けて香りが楽しめる。
浸かることはできないが、その香りを手でぴたぴたと体につけて楽しみ、最後にかぶる。
そうして、満足して浴場を後にした。
自室に戻って休んでいると、ノックの音がした。
了承すると、ドリノがひょいと顔をのぞかせる。
「ヴォルフ、下町で焼き菓子を買ってきたから一緒にどうだ? ランドルフの部屋で」
「ありがとう。俺も干物のストックがあるから持っていくよ」
棚から干物を入れた缶を出していると、ドリノがくんくんと鼻を動かす。
「ん? なんかいい香りがする。お前、今日、香水つけてる?」
「いや、浴場でバスソルトを試しただけで――これ、ダリヤから分けてもらったんだ」
盥では濃度が濃すぎたのか、流したつもりでも残ったらしい。
ヴォルフは小瓶を手に取って説明する。
聞き終えたドリノが、こくりとうなずいた。
「なるほど――だと、今のヴォルフは、ダリヤさんと同じ匂いなわけだ」
「……ダリヤと、同じ匂い……」
同じ入浴剤を使ったら確かにそうだ。
けれど、なんだかこう、落ち着かない感じになるのは何故なのか。
「おーし! 今日は三人で飲んで、暴露大会でもするかー」
そんな自分を知ってか知らずか、友はとてもいい笑顔だった。