服飾師ルチアとアーモンドクッキー
おかげさまで『服飾師ルチアはあきらめない』2巻、1月25日発売しました。どうぞよろしくお願いします。
※記念SSの為、一部ネタバレに近い部分があります。
未読の際はご注意ください。
「今日、微風布の第二弾分を魔物討伐部隊に納品したの!」
「ルチア、ごめんなさい、急ぎばかりで迷惑を――」
「謝らないでよ、ダリヤ。仕事は楽しいし、とっても儲かってるんだから」
友が言いかけた謝罪を笑顔で止め、ルチアは袋入りのアーモンドクッキーを手渡す。
服飾魔導工房の近くにある菓子店のものである。
本日は仕事帰りの馬車に頼み、友人であるダリヤの住む緑の塔へやってきた。
彼女が魔物討伐部隊分の急ぎの納期を心配していたので、その報告と差し入れだ。
とはいえ、お互い予定が詰まっているので、本日はクッキーを塔の前で届け、立ち話だけである。
「聞いて、工房設立分の貯金、目標の四分の一ぐらい貯まったの!」
「そんなに! すごくがんばってるのね、ルチア」
ここ数ヶ月で一気に貯金が増えた。
この調子でいけば、数年で目標額に届きそうだ。
自分の服飾工房と店を持つ――夢物語だと言われ続けたそれが、現実味を帯びてきた。
けれど、それは自分一人の力ではなく、目の前の友や仕事仲間、そして洋服を作らせてくれた顧客達のおかげである。
「ダリヤはもっとがんばってるじゃない。そのうち、ロセッティ商会の大きな建物が建ちそう」
「大きな建物があっても使いきれないわ。商会員は四人だけだもの」
めざましい発展を遂げているロセッティ商会、商会長はやり手で新進気鋭の魔導具師――
そんな噂が流れているが、目の前の友はいたって真面目で堅実だ。
今も仕事中だったのだろう。
ワンサイズ大きいシャツは、おそらく彼女の父のもの。
似合わないとは言わないが、最近は固定の来客――黒髪の魔物討伐部隊員もいるのだ。
もっとかわいい部屋着もいいのではないだろうか、そんなことを考えつつも、ダリヤの欲しがっていたものを思い出した。
「せっかくだもの、がんばった自分へのご褒美にいつか欲しいって言っていた素材をまとめて買ったら? ほら、風龍とか、世界樹の葉だか枝が憧れだって言ってたじゃない」
「風龍で風魔法の付与……世界樹で強化……そうね、考えてみるわ……」
ダリヤの目が遠くなり、きらきらと輝きだした。
やはり欲しかったらしい。
そのうち、緑の塔に新しい魔物素材が増えるかもしれない。
仕事の幅が広がるのはいいことである。
やる気が出るのもいいことである。
ただし、ここ緑の塔にスライムや多足虫系魔物素材が増えた場合は、外で会うことにしたいと思う。
ヒヒン、と、背後で馬のいななきが響いた。
道の途中、馬車を長く待たせておくわけにはいかない。
ルチアは『また今度!』、とダリヤと笑顔を交わし、馬車に戻った。
馬車の中で待っていたのは、フォルトの従者で護衛のロッタだ。
帰宅時の護衛にと、フォルトの命令で付いてくれている。
彼は馬車の扉を閉めると、向かいの座席に音もなく座った。
いつものように無表情だが、その濃灰の目が自分を見たので、ふと思ったことを尋ねてみる。
「ロッタは今、欲しいものってありますか?」
「……欲しいもの、ですか……?」
尋ねたのに疑問形で返した彼は、真剣な表情で考えはじめた。
すぐには思い浮かばぬらしい。
そのとき、くうと小さくお腹が鳴いた。
ルチアは顔を赤くしつつ、家用に買っていたアーモンドクッキーの袋を、音を立てて開ける。
「もう夕食の時間ですから、お腹もすきますよね! ロッタもどうぞ!」
袋を差し出すと、彼はちょっとだけ迷ってから、クッキーを一枚取った。
「ありがとうございます」
その後、ルチアに合わせるようにクッキーを口にするが、動きがどこかぎこちない。
「ロッタは、アーモンドクッキーが苦手、いえ、もしかして、あまり食べませんでしたか?」
これまで食事にあまり関心がなかったらしいロッタだ。
もしかしたら食べ慣れていないのかもしれない。
「――昔は少し食べました。でも、菓子は虫歯になると」
「歯磨きをちゃんとすれば大丈夫ですよ。それに虫歯になったら歯医者さんへ早めに行けばいいです。今は効きのいい痛み止めの薬湯もありますから」
「歯医者は……二角獣の魔付きは、痛み止めの薬湯が効きづらいのです」
「え? それだと、どうやって治療を?」
「フォルト様と騎士様二人で押さえて頂きました……」
ロッタの瞳孔が、一瞬横になりかけた。
ここまで悲痛な表情は初めてだ。
「た、大変でしたね……」
「あれから菓子は食べないようにしています」
「お菓子だけが虫歯の原因というわけではないので、食後に歯磨きをしっかりすれば……あ、歯ブラシと歯磨き剤も新しいものが出ていますよ。今は柔らかめの馬毛が人気だそうです。ロッタは何を使ってますか?」
「歯ブラシは二角獣の毛を使用したもの、歯磨き剤は部屋に備えてあるものを使っております」
その歯ブラシは超高級品だが、二角獣の魔付きであるロッタが使うのはどうなのか。
いや、逆に相性としてはいいのか。
そう思っていると、彼は軽く握った手を顎に添えた。
「ルチア工房長、欲しいものがありました――辛くない歯磨き剤です」
この日より、ルチアは周囲によい歯磨き剤を聞いて回り、最終的に真珠の粉とミントの入った味よし、香りよし、効果ありの一品を見つけた。
護衛のお礼として渡すと、ロッタは両手でうやうやしくそれを受け取った。
翌日、ルチアに会った彼は、その白い歯が見えるほどの笑みを見せる。
正しく意味を理解し、ルチアも思いきり笑い返した。
その笑みにあらぬ誤解をする者が複数出るが――二人とも知らぬ話である。




