騎士ランドルフと白き魔羊
おかげさまで『魔導具師ダリヤはうつむかない』書籍7巻、コミックス4巻・4巻特装版が10月25日に刊行となりました。心より御礼申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
王城の訓練場、ランドルフ・グッドウィンは、青い空に浮かぶ綿のような雲を眺めていた。
その白い雲に思い出すのは、学生時代の羊の毛刈りだ。
隣国エリルキアでは、夏の暑さが厳しくなる前に羊の毛を刈る。
エリルキアは『牧畜の国』と呼ばれるだけあって、羊はそれなりに数が多い。
一定年齢以上の学生達は郊外実習と称し、労働力となる。
貴族であるランドルフは不参加も選べたが、喜んで加わった。
羊のもふもふとした毛並みは楽しい。伸びて弾力の違うそれもなかなかだ。
刈り始めから大人しくしているもの、じたばたした後にあきらめるもの、最後まで逃げようとするもの、それぞれの性格がにじむ。
毛刈り中、羊に蹴られたり体当たりをされていた生徒もいた。
だが、ランドルフの担当した羊は、そういった乱暴なことは一切しなかった。
身体の大きい自分では羊も怖かろうと、視線を下げ、羊に毛刈りをすることをゆっくり告げる。
あとは軽く撫で、ひたすらに専用バサミとカミソリで刈っていく。
あちこち土に汚れ、毛並みの脂がぺたぺたと手に付き、それでも楽しかった。
今でも、緑の香りがする風の中、級友達と羊の毛を刈っていたあの日を鮮やかに思い出せる。
もしかすると、自分は騎士より羊飼いが向いていたのかもしれない。
オルディネ王国に戻り、王都に来て魔物討伐部隊員になってから、毛刈りどころか、羊を見る機会にすら恵まれていない。
そのうち、王都外の羊牧場にでも見学へ行ってみようか、最近はそう考え始めた。
毛足の長い動物全般が好きだと周囲に知られたところで、どうということもないだろう。
自分の甘い物好きはもう隊でも周知され、食堂にも兵舎にも広まった。
拍子抜けするほどあっさりと納得され、悪意のあるからかいはまったくなかった。
むしろ食堂の調理人達は自分に果物や甘菓子を多めに盛りつけてくれるようになったし、仲間から菓子のお裾分けがくるようになった。
そして、王城騎士団内で、同じように甘物好きの仲間が増えた。
皆で『疲れ取り』として、喫茶店や屋台に行き、甘い物を食べるのが最近の楽しみになっている。
人の視線も気にならなくなった。
似合わぬと言われたところで、それはその者が思えばいいだけの話。
自分はこのままでいいのだ。
そう思い切れるようになったのが、とても心地よい。
「ん? なんだ、あれ?」
隣で鍛錬後の休憩をとっていた友が、訓練場の端を指さした。
「羊……?」
「羊だね……」
どこからやって来たのか、訓練場の端を、白い毛並みの羊がタカタカとリズミカルに走っている。
若い雌の羊だ。
なかなかに毛艶がよく、赤みを帯びた黒の目はつぶらでとてもかわいらしい。
まだ短くまっすぐな金の角が、太陽の光をきらきらと反射している。
「あれは魔羊だな」
「げっ! なんで魔羊がここに……」
友がそう驚くのも無理はない。
身体強化魔法が使え、脚力に特化した羊型の魔物。
その毛並みは羊より少しやわらかで、大変手触りがよい。
隣国では一部の牧場で飼われており、自分も見に行ったことがあった。
それにしても、白くふかふかとした見事な毛並みである。
見とれていると、魔羊はぴたりと動きを止める。
つぶらな黒い目が、じっとこちらを見た。
自分は身体が大きいので、怖がらせてもかわいそうだ。
しかし、できれば少しだけ、あの白い毛並みに触れさせてはもらえないだろうか?
「おいで」
膝をついて、武器も捕獲の網も持っていないことを示すように両手を広げる。
すると、真っ白な魔羊は、とことこと寄って来た。
「おい、ランドルフ! それ魔羊なんだろ。蹴られたらやばいだろ!」
「ランドルフ、近づけない方が……」
「大丈夫だ、羊は慣れている。一応下がっていてくれ、怖がらせたくない」
仲間達がしぶしぶ下がると、魔羊はそのまま自分の手が届く範囲までやって来た。
「魔羊殿、見事な毛並みだな。撫でてもいいだろうか?」
言葉はわからずとも、意味合いが通ることはある。
魔羊が目を丸くしつつも動きを止めたので、目より下の高さで手を伸ばし、その肩から背をゆっくり撫でた。
よく手入れされたもふもふの毛並み、温かな身体。
蹄もきれいに揃えられており、艶がある。
気持ちよさげに横に狭まる瞳孔に、ランドルフはつい笑んでしまった。
「抱き上げてもいいか?」
右の前足を了承するように伸ばしたので、ひょいと抱き上げる。
毛並みが長めなのか、見た目よりも軽かった。そして、ぬくぬくと温かい。
つぶらな目がじっと自分を見つめてくるのが、大変にかわいい。
「待て、魔羊!」
「おのれ、家畜! ……いや、王城畜?」
王城警備隊員数名が息を切らして追いかけてきている。
こんなにかわいく大人しい羊に、一体どんな対応をしているのだ?
声を出してあのように追い立てては、怖くて逃げるに決まっているではないか。
「メエェー、メエェー……」
腕の中、怯えたように鳴く魔羊を、ランドルフはそっと抱き直す。
「大丈夫だ。自分から話をしよう」
王城警備隊員達は、ランドルフを見てぎょっとした表情をした。
けして無理に捕えたわけでも、晩餐にしようとしているわけでもないので、かまえないでほしいものだ。
「捕まえて頂き、ありがとうございます! 魔導具制作部三課の囲いから逃げ出したそうで、捕獲のために追っておりました」
魔導具制作部の三課は、学術的魔導具研究を目指す課だ。
もっとも、魔物討伐部隊相談役のダリヤのように有効な魔導具開発をするのではなく、夢物語を具現化させようとしているようにも思えるが――
高位貴族で高魔力、それでいて魔導師・文官などの職務に就けぬ者が籍を置いているだけとも言われている。
もしや、興味本位で魔羊を飼っているのではとも思ったが、世話は行き届いていた。
この毛艶は洗浄もブラッシングもきっちりしてある。
世話係が別途いるのかもしれない。
「毛艶が良い。いい世話をしてもらっているのだな」
「メエェー」
待遇は悪くはないようだ。
もしかすると、狭い柵の中で運動量が足らぬのかもしれない。
「魔羊は警戒心が強い。大きな声で追いかけると、怖がってより懸命に逃げるのではないだろうか?」
「はい……しかし、前回、ワイバーンの舎へ入り、騒ぎになりまして――」
とても言いづらそうな警備隊員の声に納得する。
ワイバーンにしてみれば、餌になりそうなかわいい羊が目の前を歩くのだ。大騒ぎするだろう。
このかわいい羊が、万が一にもワイバーンの餌になってはたまらない。
話の流れで、ちょっと気になったことを聞いてみる。
「伺いたいのだが、この魔羊に名前はあるだろうか?」
「ええと、『フランドフラン』だそうです」
「フランドフラン――白の中の白か。良い名をもらっているな」
「メエェー」
腕の中の魔羊が、小さく鳴いた。
名前はおそらく気に入っているのだろう。
「フランドフラン、危ないから、ワイバーンには近づいてはいけない」
「メエェー」
わかってくれたかどうかはわからないが、鳴き声がかわいい。
その頭を撫でると、気持ちよさそうに黒い目を細める。
このままこうしていたいところだが、警備隊員達は仕事である。フランドフランは帰さねばならない。
「フランドフランは怖がっているようなので、優しくしてやってくれ」
「はっ! 気をつけます!」
名残惜しくあったが、ランドルフはそっと魔羊を地面に下ろした。
フランドフランは首輪と縄をつけられ、大人しく警備隊員達に連れて行かれる。
途中、一度だけ振り返り――こちらを見るつぶらな目が、少しさみしそうだった。
「兵舎で飼えたらよかったのだが……」
無理だとわかりつつも、本当に小さくつぶやいてしまう。
友二人が、自分の肩を軽く二度叩いた。
・・・・・・・
「メエェー」
硬い首輪と鉄線入りの縄でつながれた魔羊は、高い空を見上げて小さく鳴いた。
本来、自分達は群れで暮らすのに、この地(王城)にいるのはわずか二匹。
その一匹はとても臆病で、雄でありながら縄張りを広げる気概がない。
それならば自分が周辺を確認するべきであろう、そう思って、先日、柵を跳び越えた。
しかし、少し歩いた先にはワイバーンの住処があった。
これは縄張りに不向きだ、そう思ったときに人間に捕まった。
ここの人間達は自分達の毛だけがほしいらしく、餌はきちんとくれるし、手入れもしてくれる。
近くのワイバーンも、自分と同じように人間から餌をもらっていた。
どうやら、ここでは我々もワイバーンも、人の群れに組み込まれているらしい。
群れであれば、自分とわかりあえる友、あるいは強き番候補はいないものか。
そう思って、また柵を飛び越えた。
そうして本日、かの者と出会った。
あれは魔羊の心をわかってくれる者だ。
たくましく温かな体躯と、広く優しい心を持っている。そして、少しだけさみしそうな目をしている。
残念ながら同種ではないけれど。
若き魔羊は誓う。
今度、またあの者へ会いに行く。
番となれずとも、言葉は通じずとも――友になりたい。
フランドフランは蹄を土にめりこませつつ、強く息を吐いた。
白き魔羊の脱走は、この後も続く。
ランドルフはやってくるフランドフランを笑顔で迎え、王城警備隊が来るまで待つようになった。
その蹴り足で屈強な王城警備隊員を沈めたこともある、白き魔羊。
それを子羊のごとく扱い、優しく声をかけるランドルフには、陰で『魔羊使い』という二つ名が追加された。
魔羊の脱走時、王城警備隊が魔物討伐部隊にランドルフの居場所を尋ねるようになるのは少し先の話、しばらく共に時をすごし、彼が魔羊を抱きかかえて送りにくるようになるのは、さらに先の話である。
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