学院生オズヴァルドと灰と銀(後)
高等学院の入学式の前日、嫁いだ姉をのぞき、家族そろって夕食をとった。
今日のメニューは自分に合わせてくれたらしい。
メインの皿は、鶏の蒸し物にオレンジのソースをかけたもので、温野菜がたっぷりと添えられてあった。
国境沿いにワイバーンが出て、魔物討伐部隊が隣国の騎士団と共同で仕留めた、新型の小型魔導ランタンは光が一段明るくなった――そういった世間話の後、父母から嘘の告白に巻き込んだ者達のその後を教えられた。
嘘の告白をしてきた彼女からは、子爵家からの詫びがきたものの受けず、『クラスが同じだけで、交際は無かった』で終わらせた。
初等学院生とはいえ男女、お互い悪い話にならぬためだそうだ。
彼女は高等学院の文官科に入り、卒業後は故郷に戻って領地経営の手伝いをするという。貴族であればごく当たり前の進路だ。なんとなくほっとした。
なお、入ってからは付き合わぬこと、接点は持つなと念を押された。
言われなくてもそのつもりだった。
侯爵家の長男は、こちらも家から詫びがきたが、『交際は無かったので謝罪されることはない』と返したという。これは家同士の争いにせぬようにだろう。
しかし、他からの声が聞こえたのかもしれない。
前侯爵当主が孫である彼を大層心配し、『自分と領地にいるときは、こんなことをする子ではなかった。王都が向いていないのではないか。一度休ませ、私が再教育する』と自ら迎えに来て連れ帰ったそうだ。二年はあちらにいるという。
もしかすると、彼は初等学院の成績競争などで疲れ果てていたのかもしれない。それなら、牛の多いという領地でしばらくのんびりした方がいいだろう。
男爵家の少女は、こちらも家から詫びが来たが、『当方はその者を知らない』と返したという。
侯爵家、子爵家にも交際について否定する形になる上、彼女は見ていただけの傍観者だ。当然かもしれない。
少女は高等学院ではなく、隣国の商業学校に入った。
自分のせいではないかと心配したが、男爵家の商会は、隣国の支店を増強中なのだという。
『そもそも、お前より侯爵家の長男を血迷わせたと思われることの方が問題だろう』、そう視線を合わせず言った兄に納得した。
彼らのことについて考える間もなく、高等学院で部活はするのか、魔導具師の師匠は誰にするか、入学祝いにほしいものはないかと、次々に質問された。
その後、兄達から魔導具店巡りに誘われた。喜んで受けた。
初等学院に入った弟とは菓子を買いに行く約束をしている。うれしいが、自分はほどほどで自制しようと思う。
姉からは次の茶会の伝言が来ていた。できれば遠慮したいが、選択権はなさそうな気がする。
この日、オズヴァルドは心から家族との食事を楽しんだ。
・・・・・・・
前日深夜までの雨はどこへやら、高等学院の入学式は見事な快晴だった。
オズヴァルドは馬場で馬車を降りる前、少し震える手で銀枠の眼鏡を上げ直した。
一度だけ深呼吸して馬車を出ると、背筋を正して歩き出す。
あちこちから視線を感じたが、誰も自分に声をかけることはない。心臓が一段、速くなった。
少し進んだ先、初等学院で隣のクラスだったご令嬢を見つけた。
「おはようございます。また一段とお美しくなられましたね、キエザ様」
初等学院、選択授業でよく一緒だったご令嬢は、少しだけ目を見開く。
「え?……『あなたのような素敵な方』にお声がけ頂けるなんて」
驚かれたようだが、すぐ整った笑みと共に挨拶が返ってきた。
名前を知らぬ、覚えていないときに使う貴族言葉である。
「オズヴァルド・ゾーラです。半年ぶりですから、お忘れになられても当然です」
「――眼鏡をおかけになったので、すぐにはわかりませんでしたわ、ゾーラ様。高等学院の制服がお似合いで、とても素敵ですね」
流石、伯爵家のご令嬢である。眼鏡のせいにした見事な切り返しが返ってきた。
「こちらでもどうぞよろしくお願いします。キエザ様を遠目に眺められるだけでも、高等学院の魔導具科に入った甲斐がありました」
「まあ……」
彼女が笑み、その紫の目をすうと細めた。
子爵家子息、魔力は少ないが同じ魔導具科、入試は二位、マシになった見た目。
このオズヴァルド・ゾーラは彼女の『ご学友』に値するだろうか――そう思いつつ、笑み返す。
「遠目とは言わず、隣席の学友となってくださいませ。どうぞ『コンチェッタ』とお呼びになって。オズヴァルド君」
「喜んで、コンチェッタ君」
あっさり親しい学友を名乗る許可が出た。
とりあえず、初等学院よりは楽しい学生生活をおくれそうだ。
「コンチェッタ! こちらにいたのね」
「お久しぶりです、グッドウィン君。髪を長くされたのですね、よくお似合いです」
「え……もしかして、ゾーラ君?! ごめんなさい、すぐわからなくて……」
「少し肉が落ちましたので、存在感も軽くなったかと」
「うふふ! いいえ、すごくかっこよくなったわ!」
コンチェッタの友人で、半年前は短髪だったクラスメイト、その赤い髪が伸びていた。それにしみじみと時間の流れを感じる。
もっとも、変身ぶりなら自分の方が上かもしれないが。
ここから次々と声をかけられるようになり、オズヴァルドはその度、丁寧に挨拶を返していった。
初等学院のように自分から挨拶をする必要がないとは、なんとも便利なものだ。
「あの! オズヴァルド君!」
不意の呼びかけ――声だけで誰かわかった。
だが、わざとゆっくりとそちらに顔を向ける。
予想の通り、赤茶の目の少女がいた。だが、オズヴァルドはその名も姓も呼ばない。
「いえ、ゾーラ君、この前は本当に――」
詫びの言葉は受け取れない。
入ってからは接点を持たぬように念を押された。それは彼女も同じはずだ。
赤茶の目をうるませて言う彼女は、自分の恋人であったことなどない。
恋を夢見ていた自分に、己を振り返るきっかけを教えてくれた、ただ、それだけの人。
「『こんなかわいらしいお嬢さん』にお声がけ頂けるとは」
覚えていないという貴族言葉と共に、くり返し練習した貴族の笑みを向ける。
初対面のような返しに、赤茶の目が見開かれ――その薄紅の唇から続けられる言葉はない。
「オズヴァルド君、そろそろ参りませんこと? 入学式に遅れてしまうといけませんもの」
色々と察してくれたらしいコンチェッタに、少し甘く声をかけられた。
それに周囲の少女達が続く。
「混雑しますし、少し早めに入った方がいいですわ、ゾーラ様」
「魔導具科で、ゾーラ君と一緒のクラスだったらいいのに!」
「私もそう思いますわ」
「そうですね――では皆さん、参りましょうか」
少女達に囲まれながら、オズヴァルドは足を踏み出す。
今度は、彼女に袖をつかんで止められることはなかった。
一瞬だけ振り返りそうになったが、視線はそのまま前に固定する。
自分は偽りの恋と、女友達と共にいる楽しさに目がくらんだだけ。
本物の恋愛は、きっと違う。
恋とはもっときれいなもので、愛とはもっとすばらしいもので――
いつかこの手に、まちがいなく確かな、それがほしい。
陽光の下、ゆるやかな風が吹く中を、高等学院の入学生達が歩いていく。
一際目立つのは、銀髪銀目の美しい少年。
すらりとしているのにひ弱さはまるでなく、まるでここが舞台かのように優雅に進む。
「あれって、もしかして、ゾーラ様?!」
「本当に? すごくかっこよくなったわね。『灰色子豚』って呼ばれたのに……」
灰色の髪と目は艶めく銀に、丸々とした顔はすっきりとした輪郭へ。引き締まった体躯はまるで昔からそうであったかのよう。初等学院で何年も知っていたはずが、まるで別人に見えた。
「あれが『灰色子豚』なら、俺らなんか『茶ネズミ』とか『赤モグラ』だろ。あれじゃ魔導具科にゾーラ君を見に行くのが絶対いるぞ」
「うん、まず私が行くわ。文官科から魔導具科は遠いけど」
「本気か? でも、画に描いたら売れそうだな……」
さえずりに似た声音を上げながら、同級生達は彼を見つめる。
銀髪の少年は、周囲の者達に次々と話しかけられても、その都度、優しげな笑みで答え――見ていた少女がまた一人、その輪に加わった。
オズヴァルドを灰色子豚と呼ぶ者は、この日よりいなくなった。
視線と話題をさらう彼は、華やかな少女達や個性的すぎる研究会仲間と、にぎやかな高等学院生活をおくることになる。
初恋のハンカチを収集する、銀狐――
彼が羨望と嫉妬をこめてそう呼ばれるようになるのは、間もなくのことである。
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3周年御礼の番外編、連続更新は本日までとなります。
続きにがんばって参りますので、どうぞよろしくお願いします。